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 「・・・っ! ゃ・・・」
 激しく抵抗する青子の両腕を押さえたまま、俺は唇から、やがて首筋へと唇を滑らせた。
 「いやっ、離して!」
 涙混じりの声が、更に俺を駆り立てる。
 力で俺にかなうわけもないのに、体いっぱいで抵抗してくる青子に、心の中にあったはずの良心なんてやつも、どこかに姿を消してしまった。
 ただ、欲しくて・・・
 それが、青子を傷つけることだと、わかっていながら、一方で、このまま二度と会えないのなら、思いを遂げてしまいたいという思いに捕らわれて。
 「やめて、お願い・・・黒羽さ・・・や・・・ぁん!」
 体ごと青子を押さえつけ、コートの中へと進入した俺の手が、柔らかなふくらみに触れると、青子は、泣きそうな、けれど俺を煽るには充分な甘い声を上げた。
 その唇を再びむさぼりながら、ブラウスのボタンをはずしてゆく。
 青子は俺を体から引き離そうと、拳で肩を叩いているが、一向に効を奏さない。
 直に、胸元の素肌に触れると、華奢な体がびくんと反応した。
 ・・・感度良好。 
 青子の精一杯らしい抵抗をものともせず、俺はそのふくらみに唇を寄せた。
 「・・・!」
 首筋じゃ、いくら何でもかわいそうかと、そこにキスマークを落とす。
 青子は、声もなく息をのんだ。
 その体に、俺自身を刻みつけたくて。
 そのぬくもりを俺のものにしたくて。
 その腕が、やや不自然な動きをしたが、俺は温かな柔らかさに夢中になっていた。
 女を抱くなんて、初めてなわけない。
 それどころか、数だけは多だろう。
 けれど、俺は、そのとき、経験したことがないほど、文字通り、我を忘れていた。
 そして、その一瞬の隙をついたように、青子の腕が上がり、頬に痛みを感じた。
 固くとがったもので、引っかかれたような痛み。
 目の前を通り過ぎる、赤い色彩に、俺はようやく、理性を取り戻した。
 
 かたん・・・と、それは、床に転がった。
 目の前で、涙にまみれた青子が俺を見つめている。
 その目に怒りと悲しみを浮かべて。
 俺が体を離すと、青子は、すぐに、はだけた胸元を合わせた。
 肩で息をしている姿が痛々しい。
 ・・・こんな風にしてしまったのは俺なのに・・・。
 らしくもなく乱れた呼吸を整えながら、俺は、そっと、床に転がったものを見た。
 その瞬間に、胸を貫く痛み。
 赤い小さな小箱に、真実を知る前の、彼女の想いを知る。
 きれいに結ばれていただろうリボンが歪んでしまっていて、それが妙に悲しくて。
 そいつを拾い上げると、「to Kaito」と書かれたカードが添えてあった。
 
    あなたに出会えたことに感謝して
         from Aoko

 たった一行のメッセージ。
 彼女が伝えようとしていたその言葉を、踏みにじったのは・・・他でもない俺。
 顔を上げると、青子が、そっと目を逸らした。
 体が、まだ、微かに震えているのは、寒さのせいじゃない。
 その姿を見つめながら、彼女がどうしてこの界隈に足を踏み入れていたかを知る。
 「ごめん・・・。」 
 そんな言葉しか出てこないことが情けない。
 青子の想いを踏みにじって、傷つけて・・・それで、こんな言葉しか出てこないなんて。
 「・・・毒を溶かし込めば良かった・・・。」 
 かわいい唇から、物騒な言葉がこぼれる。
 けれども、次の瞬間には、青子は目を閉じて、その唇をぎゅっとかみしめた。
 頬を、一筋のきらめきが伝う。
 ポケットからハンカチを出して、そっと近づくと、青子の体がすくむのがわかった。
 初めて、俺を強く拒む姿に、その痛みを垣間見る。
 胸元で握りしめられた手元に、ハンカチを押し込むと、俺は、すぐに、踵を返した。
 これ以上、彼女の心を傷つけたくなくて。
 そして、小箱を片手に、俺は部屋を出た。

 薄暗い洗面所で、俺は幾度も顔を洗った。
 刺すように冷たい冬の水で、どんどん頭を冷やしたかった。
 冷たさに、指先の感覚が薄れてくる頃、ようやっと俺は顔を上げる。
 小さな鏡の中に映った、自分の顔にため息をつく。
 …ひでぇ面。
 うんざりしながら、脇のタオルで顔を拭こうとして、頬についた赤い筋に気がついた。
 そっとなぞると、痛みがある。
 暫く考えて、それが、ポケットにつっこんである、赤い小箱を投げつけられたときに付いた傷だということに気づいた。
 青子が、素手でかなわないと知ったとき使った、かわいい凶器。
 「毒を溶かし込めば・・・ってことは、手作りか・・・。」
 はずれそうなリボンをほどいて箱を開けると、不揃いなチョコレートトリュフが肩を並べていた。
 一つ、つまんで口に放り込むと、溶けるような甘さが口に広がる。
 それとともに、香るブランデーの香り。
 ・・・胸が熱くなった。
 
 「奥に、ホットミルク一つ。」
 寺井ちゃんの後ろを通り抜けながら、耳打ち。
 微かに首を動かす気配を感じはしたが、俺はさっさと寺井ちゃんの仕事を引き継ぎ、顔は見せなかった。
 ポーカーフェイスは親父仕込み。
 が、普通の人間にはわからなくても、長年親父の付き人をやっていた、寺井ちゃんには見透かされてしまう。
 察しのよい彼が、手際よくホットミルクを作って奥の部屋へと消えると、少しだけ、肩の力が抜けた。
 寺井ちゃんなら、青子も、少しは緊張がほぐれるだろう。
 
 薄暗がりでも、頬の疵は目立ったのか、数人の客にからかわれた。
 それを軽く受け流し、俺は、黙々とバーテンダーとしての仕事に没頭する。
 でもなきゃ、青子の姿がちらついて。
 過ぎたことは、思い悩んでも仕方ない。
 前を見ていなければ、いつ、足下をすくわれるかもしれない。
 それが俺の信条。
 けれど、白いクロスの上に置かれたグラスが目に入る度、飴色のランプが視界を横切る度、俺の腕の中の青子を思い出す。
 必死に抵抗していた青子を、無理矢理ものにしようとして傷つけたはずなのに、脳裏によみがえるのは、その姿の妖艶さ。
 上気した頬と赤い唇、白く抜けるよう素肌。
 うなじから、胸元にかけてのなめらかな感触まで、あのわずかの間に俺の体に刻み込まれた青子に、体の奥がうずく。
 ・・・男って、身勝手だな・・・。
 思わず自嘲のため息が漏れた。
 カウンターに背中を向けて、グラスを片づける振りをしながら、そっと奥の部屋を伺う。
 寺井ちゃんがまだ戻らないところを見ると、青子は、まだそこにいるのだろうか。
 ・・・送ってくんなら、いくら何でも、声ぐらいかけてゆくだろうし・・・。


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