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 朝の数倍の時間がかかっていたはずなのに、彼女の家には、呆気なくたどり着いてしまった。
 教えられたとおり、彼女は裾を端折って、おっかなびっくり自分ちの階段を上り、やっとのことで、門を通り抜ける。
 さっさと玄関口まで行きついた俺は、荷物を持ち上げて見せた。
 「これ置いて、出かけねぇ?」
 案の定、彼女の顔に躊躇いが浮かぶが、
 「な。」
 と、一押しすると、その顔が、ほころんだ。
 「その前に、・・・父に、この姿を見せたいんですけど。」
 微かに俯いて、自分の着物に視線をやる彼女に、何の異論もあるはず無くて。
 「そりゃ、そうだ。」
 と笑うと、彼女が微笑みながら、鍵を開けた。
 
 言葉通り、彼女が、両親の位牌の前で、腕を開いたり、くるりと一回りして、振り袖を見せた後、そのまま外出することにした。
 どこを歩いていても、彼女は目を惹き、知り合いも多いらしく、たまにすれ違う人が、おめでとうと声をかけてくれる。
 ・・・けど、なんか、年寄りが多かねぇか?
 ま、彼女を見てると、その理由がわからねぇでもねぇけどさ。
 たまに、同じように振り袖を着たのを見かけたりするけれど、着物が泣いてるぜぇ?って輩が結構多い。
 凛としたところが、薄い。
 一応、正装なんだからさ・・・と、意外に年寄り臭いこと考えてる自分に苦笑する。
 やっぱ、背伸びしすぎか?俺。
 どこへと言うでもなく、ただ歩いている俺に、彼女は文句も言わず、不審がることもなくついてくる。
 この格好で、連れ回すのも、しんどそうだし、・・・俺もじっくり見てたいし。
 そんなこと、つらつら考えているうち、「黒羽さん・・・」という、小さな声がした。
 上目遣いな瞳が、少し潤んでいる。
 「あの・・・」
 言い淀む唇が、いつにもまして、紅い。
 「ん?」
 結い上げた白いうなじやら、紅をさした唇やら、どうしてもそういうところに目がいってしまう。
 「あの・・・足が・・・」
 足?
 双方の視線が、草履を履いた足下に降りる。
 「すいません、ちょっと、痛い・・・。」
 はき慣れぬ草履で、足を痛めてしまったのかも知れない。 
 丁度、少し先に、神社の境内が見えた。ベンチの一つもあるだろう。
 「あそこまで、行けそう?」
 俺の意図に気付いた彼女が、こくりと頷き、とりあえず、そこまで歩くことにした。
 入って、すぐに、ベンチは見つかった。
 ポケットからハンカチを取り出し、さっと広げると、彼女は、目を丸くしている。
 「ほら、座ってみろよ。」
 「え?ここにですか?」
 ・・・何のためのハンカチだよ・・・
 つい、可笑しくなって、笑いがこみ上げる。
 「そう、まさか、その真っ新な着物で、直接座るわけにはいかないだろ?」
 「・・・ありがとうございます・・・。」
 少し俯いて、彼女は、そっと、ハンカチの上に腰を下ろした。
 その足下に跪き、彼女の足を、草履からずらすと、痛めているとおぼしき辺りに触れてみる。いくつかの場所で、彼女の足は、強ばった。
 「靴擦れみたいなもんだな。どうする?これ以上、歩くのは辛いだろ?」
 見上げると、困ったように眉を顰めた彼女の顔が見えた。
 「・・・そうですね・・・。」
 よく晴れているが、空気は、冬のもの。
 ひんやりしたベンチに、俺も並んで腰をかけた。
 「もしよかったらさ、美味しい店があるんで、そこへ、いこうかと思ってたんだけど、こりゃ、やめといた方が良さそうだ。」
 その言葉に、彼女は、そっと目を伏せる。
 「すいません、こんなことになってしまって。」
 そう言いながら、草履の上で、鼻緒からはずした足の指を動かす仕草が、笑いを誘う。
 「しゃあねえよ。とりあえず、車でも呼んで、帰ろう。心配しなくても、すぐ治るって。」
 曇った顔が、ちらりとこちらを見上げ、そして、俯いた。
 「ごめんなさい。本当に・・・。」
 尻すぼみな声が、痛々しくて。
 彼女には、笑顔が似合うのにな・・・そんなことを考えながら、俺は、懐に手を突っ込んだ。何故か、こういうものは、常備してるんだよな。
 
   ポン!

 途端に、翳り気味だった彼女の顔に、驚きと、感嘆の色が広がった。
 「え?すごい・・・!」
 子供みたいに喜ぶ笑顔。
 暗かった空気が、たちまちのうちに、華やかなものに変わる。
 差し出した赤いバラを、彼女の手に移すと、俺は、笑いながら携帯電話を取り出した。
 「家まで車な?」
 「近すぎて、乗車拒否されないかなぁ。」
 少し、困ったような顔をするけれど、その顔は微笑んでいて。
 なんて、心地よい笑顔なんだろうと思いながら、俺は、車を呼んだ。
 タクシーの運ちゃんは、一瞬、ためらっていたが、事情を言って、頼み込むと、苦笑いしながら、車にしちゃ、僅かな距離を走ってくれた。


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