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 俺は、ぽかんと口を開けていることに気づいた。
 彼女は、ロールスクリーンの前に立って、かちんこちんに固まっているらしい。
 写真屋の親父は、あぁだこうだと指示を飛ばしながら、カメラのレンズを覗いている。
 まばゆい閃光がきらめくたび、親父は、何か、声をかけている。
 そのうち、当初よりは、やや表情も軟らかくなって、親父がせっせと繰り出すギャグに、ころころ笑ってみせるだけの余裕が出てきた。
 暗いスタジオの中で、スポットライトに浮かび上がる空間に、あでやかな彼女が立っている。
 絹特有の、潤んだ白地に、澄んだ青いぼかしが裾へゆくに従い、青空のように深くなってゆく。その合間に散らばる草花は、派手やかさはないものの、命の勢 いにあふれていた。
 「ほら、青子ちゃん、笑って、笑って。青子ちゃんが、あんまりきれいなんで、彼氏が惚けてるじゃん。」
 親父の言葉に、我に返った俺は、驚いた眼差しの彼女と目が合った。
 「そ、そんな・・・」
 真っ赤になってしまって、視線を逸らした彼女は、そのままうつむきかけたが、親父は、何とかそれを思いとどまらせ、何枚フィルムを費やしたか知らない が、撮影はひとまず終了した。
 髪結い屋だという年配の女性が、目を細めて、カウンターに腰をかけ、コーヒーを口にしていた。
 着物という、大いに行動を制限するものを身にまとっている彼女が、その髪結い屋のそばまで、しずしずとやってくる。
 「おばさん、今日は、どうも、ありがとうございました。」
 帯でしっかり締められているせいか、お辞儀する姿が、どことなくぎこちなく、それが却って、笑みを誘う。
 「ほ〜んとに、どろんこになって、その辺走り回ってたおてんばさんが、こんなにべっぴんさんになるなんてね。それに、よく似合ってるわ、その着物。大切 にするのよ。ちゃんとたためる?」
 ・・・どうも、比較的うるさめのおばさんだったようだ。
 けれど、それが、口先だけのことで、心底かわいがってくれているのは、彼女もよくわかっているらしく、ころころ笑いながら、聞いている。
 「それと、虫干し忘れないのよ。わからなかったら、電話ちょうだい。行って教えてあげるし。それと、今日は、これからデート?」
 最後の爆弾発言に、彼女は、耳まで、真っ赤になりながら、ばたばたと手を振った。
 「おばさん!そんな、失礼だよ。この人は、ちょっと前に、お世話になった人で…」
 言いかける言葉に、おばさんは、ぶはっと吹き出す。
 その姿に、きょとんとした彼女が、もの問いたげに俺を見上げるが、実際のところ、俺も、何気なく、明後日の方向を見てしまった。
 ポーカーフェイスは、きっと役に立たない。
 顔の赤いのは、日だまりにいたからとでも言い訳したくなる。
 ・・・そう、ちょっと前にお世話になっただけの人が、何もなくて、この休日の朝っぱらから、パセリな格好をして、彼女を訪れるわけなど無いのだ。
 それは、社交場のような髪結い屋(美容院というのか)の女主人でなくても、容易に想像できることなのだけど・・・。
 どうやら、彼女に、その辺の機微は期待できないということらしい。
 「そんな、海千山千のおばさんのことは、ほっとけ、青子ちゃん。ほら、一服したら、次の予定があるんじゃねぇのか?なんか、市民ホールかなんかに行くん だって、桃井んちの恵子ちゃんが、言ってたけど?」
 その言葉に、彼女の中で、ためらいが揺れる。
 きっと彼女が「式典には行くつもりがない」と言えば、二人は大いに反対するだろう。
 「とりあえずさ、荷物、家に置きに行かないか?どっちにしたって、あの荷物持って、うろちょろ出来ないだろう?」
 とりあえず助け船を出した、俺の視線の先には、控え室から持ち出された件の荷物が置いてある。
 「ま、デートにしろ、ホールに行くにしろ、いつものおてんばは駄目よ?歩くのだって、いつもの1割くらいの歩幅にしなさい。それと、階段上るときは、こ うやって、右手でここを持って・・・」
 おばさんが、おもむろに手を伸ばし、彼女の右手許の、おくみの端辺りをむんずとつかみ、ぐいっと持ち上げた。
 つま先が、草履に飾られて、ほんの少し覗いているような状態だったのに、一気に足袋の上のすねまで見えて、俺の心臓がどきんとはねる。
 ・・・こういうのって、かなり・・・色っぽい・・・?
 「きゃぁ!」
 驚いて悲鳴を上げた青子に、おばさんはわざとらしく顔をしかめると、けらけらと笑って言ってのけた。 
 「そんだけ声が上げられりゃ、不逞の輩は蹴散らせるわね。」
 ・・・へぇへぇ・・・
 乾いた笑いを浮かべる以外に、俺にどうしろって・・・?

 
 


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