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 女の身支度は時間がかかるんだと聞いたことがある。
 ましてや、普段着慣れぬものを着るとなると。
 しかし、アポも無しに来るなんてのは、ある意味、反則だよな・・・と、そんなことを考えながら、門の前に立つ。
 普段、おおざっぱな格好をしてる俺だけど、今日は、パセリよろしく彼女がどんな出で立ちでも、何とかなるような格好をしてきた。
 ま、寒波が意外と勢いづいているから、黒いオーバーで、みんな隠れてしまってるけど。
 花屋に立ち寄ってきたので、思ったより時間をくっちまった。
 ・・・どうしようか。 
 出掛けてたら、間抜けだよな・・・。
 そんなことを考えていたら、玄関の扉が勢いよく開いた。
 次いで、中から彼女が勢いよく飛び出してくる。
 かなり慌てているらしく、鍵がなかなか締まらず、「やだ、もうっ!」なんて、一人で叫んでいたが、やっとこ、かけ終えると、足下に置いた、大きな荷物を 持って、こちらへすっ飛んできた。
 門扉に手をかけたところで、ようやっと俺の存在に気づき、目を大きく見開く。
 「よっ。急いでいるみたいだな。」
 にっと笑ってみせると、彼女の顔に笑みがこぼれる。
 「おはようございます。えっと・・・」
 しかし、せっぱ詰まっているらしい時間と、俺の存在の板挟みにあっているらしく、その顔に逡巡の表情が浮かぶ。
 「成人の日、おめでとう・・・って、言うのかよくわかんねぇけど。急いでるんだろ?荷物持ってやるよ。」
 両手で、引きずるように持っていた荷物に、手を伸ばすと、彼女は、少しあたふたとしたが、よほど時間が気になったのだろう、俺から荷物を奪い返すことも なく、「で、どっち行くの?」という俺に、「こっちへ」と、歩を進めてくれた。
 「す、すいません・・・えと、あの、ありがとうございます。」
 彼女が困らぬよう、いつものスピードで歩く。
 これだと、彼女は、ほんの少し急ぎ足になる。
 「成人式だろ?式典は、昼の部かい?」
 そう、確か、人数の調整だとかで、朝の部と昼の部に分かれていた記憶がある。
 「式典は・・・やめようかと思って。ほんとは、ずっと家にいようかと思ったんですけど、父の友人が、写真館やってて、写真だけは撮りに来なさいって。な んか、父は、去年のうちから、予約していたらしくて。」
 息が荒くなりながらも、話を続けながら、彼女は必死に歩いている。
 「仕立屋さんから、おとつい着物が届くし、写真屋さんからは、さっき、電話がかかってきて、着付けも予約してあるから、絶対来なさいっていうし・・・。 試験勉強もそんなに出来てないのに・・・」
 混乱する心をそのまま吐き出す彼女に、思わず笑みが漏れる。
 それは、素の彼女に触れられている、ということだけでなく、彼女を取り巻く人たちの暖かさを感じたから。
 彼女の様子からすれば、きっと、今日のことは警部が、用意周到に(笑)計画し、楽しみにしていたに違いない。
 恐らく、生きていれば、俺の仕事が入らぬ限り、休みを取って、娘と共に過ごしていただろう。
 彼女の足の向くままに急ぎ歩いてゆくと、小さな写真館が目に入った。
 「あそこか?」
 「・・・はい。」
 少し息の苦しそうな彼女のために、歩を緩める。
 化粧っ気のない頬が、真っ赤に色づいている。
 「どんな風に化けるのか、拝見させてもらってもいいかい?」
 おどけて言うと、きょとんとした顔が、吹き出す。
 「そんな、変わり映えないですって。それでも、いいですか?」
 屈託のない笑みが返ってきて、俺は、慌てて意地悪そうな面をかぶった。
 「そりゃ、とくと拝見だ。」
 ・・・ったく。自分を知らなすぎるぜ。思わず見惚れちまうだろが。

 少しレトロチックなその場所で、俺は、静かな音をたてるストーブの脇に座っていた。
 「なに、青子ちゃんの彼氏?」
 いたずらっぽい瞳の写真屋の親父は、彼女の父親の同級生だったのだという。
 彼氏・・・ねぇ。
 「いや、まだ、そこまでは・・・。」
 つい、本音が出てしまうのは、その場に流れる、穏やかな空気のせいだろうか。
 スタジオの隣にある控え室に彼女が消えて、そろそろ30分ほど。
 ついつい、そちらに目がいってしまう俺の耳に、クスリと笑う声がする。
 「女の着替えって言うのはね、買い物と同じくらいかかるもんなんだよ。ま、青子ちゃんは、素地がいいからね、心配しなくても、惚れ直せるって。」
 何だか、すっかり見透かされた感じで、俺は、柄にもなく照れ笑いを浮かべることになってしまった。
 カメラのセッティングを終えた彼は、ストーブの上に載せてあったポットを取り上げ、脇のカウンターに向かう。
 「インスタントだけど、どう?」
 使い慣れたであろうマグカップから立ち上る湯気に、顔がほころび、俺はありがたく頂戴することにした。
 「銀の野郎もなぁ、もう少し待ちゃいいものを・・・」
 湯気を吹き飛ばすついでに漏れたような呟きに、俺は、目を細め、視線を逸らす。
 それだけで、彼はわかってしまったのだろうか。
 「青子ちゃんてのはさ、いつもにこにこしてんだよ。見た目、ちょっと、ぽやっとしたとこもあるけど、あれで、なかなかのしっかり者なんだよ。だけ ど、・・・なんてかなぁ・・・そういう子だから、肝心なときに、他人に頼るってことが出来ないんじゃないかなって。そこんとこ、わかってやってくれると嬉 しいな。」
 とつとつと話していた彼は、コーヒーを一口飲んで、ちらりとこちらを見た。 
 きっと、我が娘のように慈しんでいるのだろう。
 「そうなれるといいんですが・・・。」
 取り繕うわけでなく、心底思ったとおり口にした言葉。
 おやじは、わかってるかなぁ〜ってな表情をちらりと浮かべたきり、もとの顔に戻った。
 その言葉の、本当の重みを知るのは、そう遠いことではない。
 そして、それ相応の犠牲を払うことになると、当然、その時の俺に、気づくわけなど無かった。



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