next




 新年早々、依頼が入った。
 試験もあるし、依頼元の意向もあって、ちょっと荒仕事だったが、何とか手っ取り早く片づけた。
 こういうとき、寺井ちゃんは頗るつきで、機嫌が悪い。
 「仕事の内容をとやかく言うつもりはございませんが・・・」
 なんて言いつつ、何かと小言が多くなる。
 わかっているさ。
 親父で見慣れていたならば、俺がまだまだひよっこなんだということくらい。
 が、「世界の女性を魅了する」なんて、言われた親父と比べられたってな。
 魅了できるのなら、俺は一人だけでいい。
 一人だけ・・・彼女、中森青子の心をしとめたい。
 人気の無くなったカウンターバーで、底の丸いブランデーグラスに飴色の液体を注ぐ。
 それは、ごくごく、ほんの少しだけ。
 いくらバーで働いているからといえど(これでも一応、使用人だ)、むやみやたらに商品に手を出すわけにいかない。
 ・・・そんなことしたら、寺井ちゃんに、即追い出されちまう。
 とっておきのマイボトルは、仕事が終わるたび、ほんの少しずつ傾けられる。
 馥郁たる香りを楽しみながら、いつの間にか、彼女のことを考えている自分に気づく。
 初めて出会った夜から、2週間ほど。
 やばい・・・
 半ばそう思ってる。
 もしかしたら、これが恋って奴なんだろうか?
 そりゃ、今まで、つきあった奴も何人かいたけれど、なんていうか・・・まぁ、相手にゃ悪いが、そんなもんか?みたいな感じで。
 ・・・そう言えば、俺からモーションかけたことって、無かったなぁ・・・
 いつだって、なんだか、かったるくって、余り長続きしなくて。
 そう言えば、やっぱりつき合いきれなくて、別れた彼女が、信じらんねぇ反撃に出たときがあったんだよな・・・俺のこと、女より男の方がいいらしいなんて、言いふらして。
 さすがに暫くは、誰も俺の相手をしなかった。
 思わず苦笑が漏れる。
 ・・・そう、その頃だった。親父の真相を知ったのは。
 
 カラン・・・
 重い扉にへばりついているカウベルが柔らかな音をたて、俺は、現実に引き戻された。
 常連の一人が、寒そうな顔で、にっと笑う。
 「や、まだ、やってる?」
 慌てて、ボトルとグラスを持って、俺はカウンターの内側へと移動した。
 寺井ちゃんは、何食わぬ顔で、どうぞと彼に席を勧める。
 その隙にグラスをあおると、さすがにギロリと睨まれた。
 睨まれても、これは捨てるわけにはいかない。
 単に超一級ブランデーであるだけでなく・・・ま、ひとつの験担ぎだから。
 無事仕事を終え、次にまた、無事に終えるための・・・それは、親父が始めたことだったらしいのだけれど。
 常連客は、そんな俺たちのやりとりを見ていたらしく、にこやかに寺井ちゃんに話しかける。
 「珍しいこともあるもんだね、あんたがそんな顔するなんてさ。なに、快斗君、それ君のボトルなの?」
 若者らしく、てへへと答えるにとどめておいて。
 「若いうちから、そんないい酒飲んでて、後で苦労するぞ。」
 冗談めかして、そう笑うと、彼は、その後、寺井ちゃん相手に、いつもの通り静かなおしゃべりをする。
 単身赴任で、この町に来て2年。
 よほど気に入ってくれているのか、常連客の中でも、足繁く通ってくれる方だ。
 ボトルはスコッチを入れているが、さほど強くはないらしく、1時間以上かけて、オンザロック1杯をじっくり味わい、帰ってゆく。
 滅多に来ないが、金曜日に彼が来ることがあったなら、それは、家族のもとに帰れず、仕事で週末を過ごさなければならないとき。
 時折、話に出てくる二人の娘にめろめろに弱い親父だった。
 今夜も、彼は寺井ちゃんに、娘自慢をしている。
 「・・・だからさ、俺も、奮発したんだ。普段、そんなに贅沢言う奴じゃないし、最初はあいつも、別に要らないって言ってたんだけど。まぁ、欲しくなってしまったって、あんな、申し訳なさそうな顔で言われちゃ、買ってやりたくなるってのが、人情だよな。」
 「けど高かったんだ」とか、「でも思わず見惚れちまうくらい似合ってた」とか、そんな言葉を、寺井ちゃんは、いつもの調子でさりげなく微笑みながら聞いている。
 そのうち、彼は、しんみりと呟いた。
 「20年なんて、あっていう間なんだな。つい最近まで、ほんのちびだと思ってたんだが。・・・どこぞの男に、さらって行かれるのも、時間の問題なんだろな。」
 しみじみとした言葉に、寺井ちゃんの眼差しがゆらりと揺れる。
 ・・・。
 それは、あまりに一瞬のことで、恐らく客は気づいていないだろう。
 俺だって、目の迷いかと思ったくらいだ。
 けれど、俺はそれ以上深く追求することも、考えることもなかった。
 もっと、大切な現実に気づいたからだ。
 そう、今週末は成人式なのだ。
 彼女は、確か去年の秋に二十歳になったと言っていた。
 二十歳の祝いを、彼女は一人で過ごすのだろうか。
 ・・・彼女がいわゆる独り者だと決めつけてる自分が妙に可笑しい。
 でも、「彼氏」と呼ばれる存在がいるようにも、また思えなくて。
 彼女一人なら、もしかしたら、祝う・・・なんて気持ちになれないかも知れない。
 それも、何だか、少し寂しい気がした。
 尤も、自分が二十歳の時に、何かしたかと言えば、・・・仕事をしてたくらいなのだが。
 俺を振り仰いだときの、澄んだ大きな瞳。 
 ふわっと微笑んだときの、柔らかな空気。
 何もかもが、俺の心をとらえて離さない。
 ・・・もしも誰かのものだとしても、奪い去りたくなる存在。
 いきなり行けば、驚くだろうか?とか、つい、いろいろ考えちまうが。
 リネンのクロスで、最後のグラスの水滴を拭い去り、ほの暗い明かりの下で一点の曇りのないことを確かめると、心を決めた。
 全国一斉成人式の日、彼女をエスコートするってことを。




<<