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 俺の親父は本職のマジシャンだった。
 世界でも屈指のマジシャンだった親父の舞台は、鮮やかで、優雅で、そして、ちょっとしたウィットに富んでいた。
 子供ながらに自慢だった、その親父が、ショーの最中の事故で死んだのは、9歳の頃。
 そして、その8年後、俺は親父のもう一つの顔を知る。
 国際手配1412号。
 通称、怪盗キッド。
 巷では、単に、宝石専門の泥棒としてしか知られていないが、それだけではなかった。
 主に、盗品を奪い返していたのだ。
 しかも、できるだけ早い段階で。
 つまり、盗品を流す、裏のシンジケートに近いところばかりを狙っていたことになる。
 親父が、俺の部屋に仕掛けた隠し部屋には、奪還リストと、そのシンジケートとおぼしき名簿がいくつかあった。
 リストに並んでいたのは、「盗まれた」と表だって届けることのできないものばかり。
 そして、高校を卒業した俺は、その段階で、親父の付き人だった寺井ちゃんと組んだ。
 以来、俺は、親父の後を継ぎながら、親父を死に至らしめた黒幕を、あぶり出そうとしている。
 俺達親子2代を長年追い続けていた、彼女の父、中森警部には、最後まで、つきあって欲しかったんだけど。
 ・・・そう、あぶり出しは、もうあと一息のところ。
 
 「すいません、そこを左に曲がって、3軒目なんですが。」
 偶然な出会いは、おしまいも突然くるようだ。
 車を左折させると、3軒目は呆気なくやってきた。
 幹線道路と違って、白っぽい道が夜の闇に浮かび上がる。
 何か、言葉をかけたいのに、頭の中は、そんな道路と同じくらい白くて。
 『中森』と書かれた表札の前で、車を止めると、彼女の動く気配がした。
 「今日は、本当にご親切にどうもありがとうございました。」
 濁りのない声。
 こちらを信じ切った声に、俺の中のオオカミが、諸手を上げて降参する。
 こんな爽やかな笑顔を見せられたら、手も足も出やしねぇ。
 トイレを借りるとか何とか、彼女と共に家の中に入っちまうのは簡単だけど。
 微妙に黙ってしまった俺に、彼女は少し不思議そうに首を傾げる。
 ・・・勘弁してくれ。
 そんなに、無防備に俺を刺激すんなよ。
 初対面で、いきなり抱かれるような女じゃねぇだろう?
 勝手なことを胸の内で呟きながら、俺もまた、微笑んでみせた。
 「じゃな。雪でひっくりかえんなよ。」
 その言葉に、彼女は可笑しそうに微笑むと、車を降りた。
 が、扉を閉めかけた彼女が、もう一度開けて、顔をのぞき込ませる。
 「忘れ物か?」と言おうとした一瞬早く、可愛い唇が開いた。 
 「黒羽さん、Merry Christmas !」
 
 フロントグラスはスクリーン。
 微笑んで、手を振って、そのまま家へ駆けていった後ろ姿が、繰り返しフィルムのようによみがえる。
 いつまでも、エンジンをかけたまま車を止めていると不審だと気付くまでに、一体どれくらいの時間がかかったのだろう。
 おもむろに、ギヤを入れ、ゆるゆると車を出す。
 「サンタは夜中に来るもんじゃねぇのか?」
 そんなこと呟いてみたところで、何の意味もないことは知っている。
 けれど、彼女の存在が、心の中に大きく居座ったことには違いがない。
 甘やかさと、痛みを伴って。
 
 寺井ちゃんは、またもや、軽く眉を上げ、驚いた表情を見せたが、一瞬後にはいつもの何を考えているかわからない顔になった。
 そういや、俺、休むって言ったっけか。
 そう思っても後の祭り。
 彼と同じく、黒いチョッキに、黒いスラックスの出で立ちで、俺もカウンターに立つ。
 寺井ちゃんは、小休止に入り、俺がその間を引き継いだ。
 いつもと変わらない静かな空間で、思いを巡らせる。
 あの短い間に見せた彼女の表情が、幾つも脳裏を駆けめぐる。
 彼女にもう一度会いたいと思う自分を認めざるを得ない。
 幾度か見せた笑顔を、もう一度俺に向けて欲しいと思うのだから。
 それとも、俺はただ同情しているだけなのだろうか?
 二親を亡くしてしまった彼女に。
 ひとりぼっちになってしまった彼女への、同情が俺を突き動かしている?
 そんなことはないと思いながらも、後ろめたさは拭い去ることはできない。
 物静かな常連達が、いつもより早めに切り上げる、今日は全世界的にクリスマスイブ。
 店内の客が誰もいなくなった夜更け。
 「もう一度、会える?くらいは聞いてもよかったよな。」
 プレイボーイ返上となってしまった自分に、俺はこっそりため息をもらした。




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