夕方に降り出した雪は、勢いを衰えさせることなくしんしんと積もってゆく。 所用で、数日前にスタッドレスに履き替えた俺の車は軽快に走るが、慣れない都会の車は、いずれももたついている。 助手席に座った彼女がそっと頬に手を当てるのを感じ、やかましいくらいにかけていたエアコンをゆるめた。 「中森さんって言ったっけ?学生さん?」 「はい、・・・あの、看護学生なんです。」 「へぇ・・・、看護婦の卵か。学校はどこ?」 ナースの制服は、よく似合うだろうな・・・ 俺の妄想に気づくこともなく、彼女は警戒心もなく、話を続ける。 「東都医大の付属の看護学校に通っています。」 目の前のテールランプが光を増し、俺もブレーキを踏む。 「へぇ・・・、うちの付属か。見かけたことはないね。」 まぁ、同じキャンパスだからといって、顔見知りになるわきゃないんだけどさ。 ・・・ちょっと残念な気がして。 「東都医大の方なんですか?」 「そ。・・・俺もまだ卵なんだけど。」 「お医者様の卵なんですね。」 車が進まないことをいいことに、ちらっと彼女を見ると、ふんわり微笑んでいた。 その柔らかさは、まるで、落ちてくる雪のようだ・・・ ・・・俺って、今、詩人になってるかも知れない・・・と、苦笑がこぼれる。 「えっと・・・、じゃ、ん? 二十歳くらい?」 ホントは、女性には歳は聞かないもんだけどな。 しかし、彼女は、そんなこと気にもとめていないようだ。 「この9月に、二十歳になりました。」 ふ〜ん・・・3つ違い、か。 しかし、実に簡潔な応対だ。 やっぱり、親父が警察官だとそういうもんなのかな。 普段、あれこれくだらない装飾のたくさんついたおしゃべりを聞いているから、これも新鮮に感じる。 初対面で、女を口説いたり、「おしゃべり」しながら情報を引き出したりするなんてこと日常茶飯事なのに、俺は、彼女の隣で、ふと口をつぐんでしまった。 何・・・話せばいいんだろう。 いつもなら、いくらでもどんどん先が続けられるのに、このときばかりはストックが真っ白。 彼女の父親のことに触れにくいということもある。 「今日はどうしたの?」という常套文句を使うことに、ためらいがある。 こちらの問いに、あれほどはっきり答えるくらいだから、会話が弾まないわきゃないと思うのに、沈黙も、また心地よく感じて。 「どちらがご専門なんですか?」 不意に彼女が口を開いた。 車は相変わらず、進んだり止まったりを繰り返している。 「あ、一応、外科。」 「・・・一応・・・ですか?」 つい、いつものように答えてしまった俺に、彼女は、くすっと笑いをこぼした。 「そ、一応。」 授業日数やら、何やら、結構ぎりぎりクリアしてるだけだからなぁ・・・。 「中森・・・さんは?」 「はい?」 少し、話が波に乗ってきた。 「なんで、看護婦目指してんの?」 俺の言葉に、彼女は、遠い目をして、光の洪水の向こうを眺めた。 「・・・母が・・・看護婦だったんです。それで、・・・なんとなく。」 警部の奥さんて、看護婦なんだ。 なんか出来過ぎてねぇ? 「あんまり、主体性がないですよね。」 控えめな声に、俺は軽く笑ってみせる。 「いや、別に。それって、お袋さんのこと、誇りに思ってるってのも、あるんじゃねぇの?」 ・・・いや、それは、俺か。 「ずっとずっと、昔のことで、その頃は、よくわかってなかったんです。今なら、いろんな事が、わかるんですけど。」 ギヤを落としながら、トーンの落ちた彼女を見ると、微かにうつむいて。 「生きてたら、あれこれ聞きたいことがあったんですけど。」 袋を担いだサンタが、ビルの壁をよじ登り、窓の戸を開けようとしている。 最近じゃ、変わった飾りを付けるようになったもんだ。 その、袋の中には、子供達へのプレゼントが一杯詰まっているのだと、小さい頃、よく聞かされた。 ふ〜んなんて言いながら、俺は、親父とサンタと、どっちが上手だろう、なんて思っていた。 ・・・なぜ、そんなことを思い出したのだろう。 胸の中に浮かぶ感情が、複雑な色をかもし出す。 もしかして、彼女・・・独りになった? 中森警部は、彼女の名前しか口にしなかったから、彼女に兄弟がいるとは思えない。 その警部が亡くなって、お袋さんがとっくにいないとなれば、そう考えるのが妥当だろう。 「・・・悪いこと・・・聞いちまったな。」 いわゆる都心部を抜け、幾分、車通りはスムーズになった。 「いいえ。ほんとに、もう、ずいぶん、昔のことですから、母が亡くなったのは。」 柔らかな響きは、けれど、彼女の父親の死に関わった俺には、痛かった。 ・・・そして、今、もう1人失ったんだろ・・・? 雪景色と様々な光が、視界を横切ってゆくのを感じながら、俺は、いつしか口を閉ざしていた。 彼女も、また、口をつぐんでしまって・・・。 車は、それでも、緩やかながら、進んでいった。 |
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