少し離れた駐車場から車を出すと、案の定、慣れない雪道で、他の車はちんたら走っていた。 俺の車は訳あって、オフロード。 他よりは高い座席から、フロントグラスを埋め尽くす勢いの、光の洪水を眺めながら、俺はあのときのことを思いだしていた。 あのときも、彼の手は、彼女と同じように冷たく、白かった。 ざっくりえぐられた傷口からは、出血がひどく、俺の目の前で、どんどん血の気が失せていって。 親父が死んで以来、初めてだった。 あんな風に涙したのは。 けれど、どんなに悲しんでも、悔やんでも、もう、彼は戻っては来ない。 法に触れているはずの俺を理解してくれた、警視庁捜査2課の警部。 中森銀三氏の死を知ったのは、あの夜から、2日後の朝刊だった。 翌日の新聞には、「キッド、遂に殺人か?!」などと、ショッキングな見出しが出ていたけれど、警部の死を報じたのは、いわゆる3面のほんの小さな記事だけだった。 消えゆく意識を、ぎりぎりまで保ちながら、俺の手を握りしめていた冷たい手。 「法の隙間を信念を持って埋めてゆきたいと思うのなら、止めはせん。だが、守るものができたときは、潔く、手を引け。・・・いいな。」 警察官でありながら、派手なパフォーマンスで宝石を盗み続ける俺を、理解した唯一の人間。 致命的な傷を負った時まで、俺のことを心配してくれる、あまりの人の好さに、涙が止まらなかった。 そして、俺が聞いた最後の言葉が「あおこ・・・」だった。 「中森警部の娘だったなんて・・・。」 壮年期だったはずの警部の娘だから、・・・俺と同じか、ちょっと若いくらい・・・かな? 精進揚げ・・・ということは、警部の葬儀の後だったということだ。 でも、一人であんな風にふらついてたってことは・・・お袋さんって、どうしたんだろう? そんなことを考えているうち、とろとろ走っていた車も、やがて、彼女を預けた店の前に来た。 店に入ると、年輩の客が一人ウィスキーを飲んでいた。 軽く会釈すると、上品な笑顔が返ってくる。 店構えが至って地味なせいか、ここを隠れ家のように思って楽しみに来てくれる客が多い。もちろん、寺井ちゃんのキャラクターに負うところも多いのだが。 妙なやつに絡まれる心配もなく、彼女は店の奥で、ひっそりと座っていた。 「お待たせ。」 できるだけ、慌ただしさを感じないよう、静かに声を掛ける。 「いえ・・・」 そう言って、俺を見上げた彼女に、俺の鼓動が高鳴る。 すっかりぬくもったせいか、顔色も良くなって、でも、それだけでなく目元にうっすら紅が差している。 何飲ませたんだよ、寺井ちゃん。 ちらっと彼女の手元を見ると、そこにあるのは、ミルクマグ。 俺の一連の行動を見ていたらしい寺井ちゃんが、まるで独り言のようにつぶやいた。 「ブランデーを少々、垂らしておきました。芯からぬくもりますからね。」 その言葉に、彼女が、そっとその頬に手をやる。 その仕草も、表情も、俺の理性に揺さぶりを掛けるには十分で。 が、そこはそれ、ポーカーフェイスを仕込まれてるから、何気ない振りを装って、俺は彼女にコートを着せた。 「あの、お代を。」 ・・・律儀なやつ。 「いいよ。俺のおごりってことで。」 しかし、彼女は、困惑の色を浮かべた。 「でも・・・」 「別に、ミルクの1杯くらい、どってことないって。」 やたらとたかりたがるやつに、爪の垢を煎じて飲ませたい・・・ そのとき、静かで、簡潔な声がした。 「400円です。」 ・・・寺井ちゃん・・・。 俺は、じと目で寺井ちゃんをにらんだけれど、彼女の方は、ほっとしたように、小銭を取り出した。 「ごちそうさまでした。」 静かな店内に、彼女の声が、心地よく響く。 そのとき、寺井ちゃんが滅多に見せない笑顔を見せた。 「また、お越し下さいませ。」 ・・・明日も雪になるだろうか・・・。 |
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