*** Third Stage ***

 その時、後ろから、首に腕が回った。
 ・・・青子なら、喜んで身を任すところだけど・・・。
 「んあ?」
 気のない返事をしたら、「バカ。」と返された。
 ・・・これも、青子なら・・・
 「来いよ。」
 こちらの都合も聞かずに、場所を移動しようとする強引さ。
 んなことする奴は、1人ぐらいしかおらず、さりとて、抵抗すれば、どういう目に遭うかわかったものでないので、俺は、大人しくついて行くことにした(…その体勢のまま)。
 「器用な奴だな。」
 半ば呆れかえったようすで、新一が口を開いた。
 連れてこられたのは、2階の奴の部屋。
 「おら、脱げよ。」
 心地よい程度に、ぬくもっているのは、家に入って、すぐ暖房をつけたせいだろう。
 「やだ、新一ったら!」
 言葉より、脚が先に飛んできた。
 あぶねぇ、あぶねぇ。俺じゃなきゃ、絶対、避けきれねぇぞ、今の。
 「蘭の声、真似るなって、言ってるだろ!」
 うわっ、滅多に見れねぇ、赤面する新一。耳まで真っ赤な、奴を見てたら、腹の底から笑いがこみ上げ、堪えきれずに吹き出した。
 「ンの野郎、こら、快斗、脱げ!でなきゃ、俺が脱がすぞ!」
 真剣に怒る新一は、今にも飛びかかってきそうな勢いで。
 「わっ!俺、そんな趣味無いって。あ、悪かった。わぁった、わぁったってば、脱ぐ、脱ぐ。」
 ほんとに、取り押さえられそうになり、俺は、観念して、服を脱ぐ。
 奴は、ぶつぶつ文句を言いながら、机の上にあった箱の蓋を開けた。
 中から、消毒道具を取り出すと、よっこらしょと床の上に座る。
 「ベッドに横たわらなくていいわけ?」
 ジョークでも飛ばしてなきゃ、堪んねぇんだけど。
 「俺も、そういう趣味はねぇよ。」 
 探偵ってのは、芸術性に欠けるんだよな・・・口の中で呟いたつもりだったけど、奴は、しっかり理解したようで。
 オキシドールのたっぷり浸みたコットンボールが、脇腹に容赦なく押しつけられた。
 「ったく、どういう当たり方したんだよ。」
 ぶつぶつ言いながらも、新一の手は止まることがない。
 「当たろうと思って、当たるわけねぇじゃん。」
 ったく、避けたから、これで済んでんだよ。
 オキシドールなんか使いやがって、すっげぇ、痛ぇじゃねぇか。腹に力を込めてないと、心身共に、挫けちまいそうだ。
 「おめぇが、避けきれないなんて、珍しくねぇ?」
 隠してたって、探偵は、真実を見つけ出す。
 「防弾チョッキ着ると、多少なりとも鈍くなるんでね。」
 俺の言葉に、一瞬、奴の動きが止まる。ま、一瞬だけど。
 「そのチョッキで、怪我してりゃ、世話ねぇじゃねぇか。」
 丁寧に消毒された場所に、バチンとガーゼが貼られた。
 「・・・るせぇ。」
 そう、昔、忍者が身につけていたような、鎖帷子のようなものを身にまとっていたのだが(言っとくけど、もっと頑丈な奴な)、弾を避けた際、微妙な角度で被弾してしまい、結果、帷子が破れ、そいつで怪我をしたというわけ。
 「銃創がつかなかっただけ、ましと思わなきゃな。」
 ガーゼに合わせて、油紙を切っていた新一は、それを特大の湿布の上に載せると、脇腹に貼り付けた。
 ・・・さすがに、腰が引けちまう。
 「どうせ、俺達ゃ、銃創持ちだよ。」
 あまりの冷たさに、歯を食いしばる俺に構うことなく、新一は、今度は包帯を取り出した。
 「・・・まぁ、俺たちは、まっとうに病院で手当てしてもらえる状況だったけどな。」
 かにが泡を吹くように、ひとりごちながら、包帯をぐるぐると巻く。
 「締めすぎるなよ?」
 飲むときくらいは、リラックスしていたい。
 「文句言うな。」
 冷たい言葉とは裏腹に、慎重に包帯が巻かれる。
 「手慣れてるねぇ。」 
 確かに、新一の腕前はなかなかの出来で。
 「蘭譲りだからな。」
 真剣な顔で、そんなこと言われると、やっぱ、からかいたくなるのが人情ってもんじゃねぇ?
 「えぇ?もしかして、二人で、縛りっこしてるの?」
 きゃぁ〜なんて、素振りをした俺は、次の瞬間、しまったと思った。
 包帯を巻き終わった奴は、手に、凶器を持っていたのだ。
 今時、そんなもん、しかも、腹に巻いた包帯を止めるのに、使うか?
 あっ、と思ったときには、小さいけれど鋭い金具の先が、包帯に引っかけられ、新一の手が、思いっ切り、それを叩いていた。
 あう・・・
 「んな、大げさに痛いもんじゃねぇぞ。殆ど痕もつかねぇからな。」
 そりゃ、そうだけど・・・
 さくさくと後かたづけする奴の背中を見ながら、上着を羽織った俺は、最後の反撃をしてみる。
 「新一、蘭ちゃんに何やって、そういうことされたわけ?」
 脚は、即座にかわした。
 けど、飛んできた拳は、俺の頭に命中した。

 台所に足を踏み入れると、なにやら、いい匂いが漂っていた。
 さすが、伊達に厨房を任されてるわけじゃない。
 「あ、新一。これくらいで、足りるよね。」
 酒蔵から、適当に物色して取り出してきた俺たちに、蘭ちゃんが気付いた。
 テーブルの上に所狭しと並べられた皿を見て、新一は、小首を傾げる。
 「・・・充分じゃねぇ?」
 その言葉に、女性陣は、エプロンをはずし、そそくさとリビングに用意されたテーブルに並べるべく、皿の乗った盆を持って、台所を出て行った。
 何だか、コンロには、まだ、火のかかった鍋が二つほど乗っかってるんだけど・・・。
 「おう、これ、どこ持ってったらええねん?」
 グラスを並べた盆を持って、平次が尋ねる。
 「あ、場所作る。」
 そう言って、歩き出した新一について、俺も、宴会場へと足を向けた。
 リビングの壁面に立てかけてあった、折りたたみ式のテーブルを開き、酒類がそこに並べられる。
 ローテーブルの上には、酒の肴になりそうなおかずものが、沢山乗っかっていた。
 「あの、後で、お茶漬けとか欲しくなるかな・・・と思って、ご飯も用意してあるし。」
 遠慮がちに、声をかける蘭ちゃんに、俺と平次が、思わず新一の顔を見て、ため息をついた。
 「んだよ・・・。」
 不満げな声は、俺たちの言いたいことが、十二分にわかっている証拠。
 「いえ、別に・・・」
 しらっと口をそろえた平次の頭の中にも、俺と同じ言葉が浮かんでいただろう。
 『お前には、もったいない女や!』
 きょとんとしている蘭ちゃんには、何でもないから、とか、おおきにとか答えて、乾杯も何もない(当然か)、飲み会が始まった。
 
 最初のうちは、ほんとに、何の他愛もなく、キャンパスの話をしたり、酒の話をしたり、つまみがうめぇ話なんかをしてた。
 そのうち、手洗いやら、お代わりやらで、人が出入りする。
 それを感じながら、俺は、酒が体の中を回るのを感じていた。
 「飲み過ぎるなよ?」
 新一が、何気なく呟く。
 「お前、抱えて行くんは辛いで〜。」
 へいへいと適当にあしらいながら、スコッチをちびちびなめている。
 俺だって、傷口が開くのはごめんだ。
 ソファの足下に座り込んで、ぼーっとしてるうち、青子の声がしないことに気付いた。
 なんだかんだと、男同士、女同士でかたまっちまって、それぞれに、盛り上がっていたのだが、さっきまで、蘭ちゃんや和葉ちゃんと、しゃべくってたはずの声が、聞こえない。
 ゆるりと視線を動かすと、傍らで平次がふっと笑みを零した。
 「んだよ・・・」
 「お前、ほんま正直なやっちゃな。どないしてん、今日は。めっちゃ余裕ないやん。」
 グラスの底に、梅干しを揺らしながら、平次がにんまりとこちらを見やる。
 「さしずめ、子羊を目の前にぶら下げられた狼ってとこだな。」
 からんと涼しげな音をたてて、新一のグラスで、琥珀色に染まった氷が光る。
 なんだ、2段構えで来るのかよ。
 「ずりぃぞ・・・」
 思わずむくれると、二人の探偵は、ぶっと吹き出した。
 「黒羽、お前、今日は、むっちゃかわいいわ。」
 「ま、ひねくれてるよりは、素直な方が、いいだろな。」
 一つため息ついて、ちらりと周囲に目をやる。
 いつの間にか、女性陣は、リビングから、姿を消していた。
 「・・・ちょっと、疲れただけだ。」
 その一言だけで、俺は、目を閉じた。
 あれこれ言葉を並べたところで、どれもこれも、いいわけじみた、嘘になりそうで。
 口に上らせたくないものは、黙殺してしまいたい。
 「焦りが出てきたか?」
 氷に呟くように、呟く新一も、ちらりと、ダイニングへの戸口に視線をやる。
 「ま、ぼちぼち、いけよ。」
 ・・・ったく、二人で完結しやがって。
 けど、それぞれが、一言だけを呟いて。
 それで、充分。
 肩の力が、少し抜けて、俺の意識は、心地よい、静けさに、覆われた。



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