「ん、ありがとう。」
 俺は、それだけ言うと立ち上がった。
 「出掛けるん?」
 和葉は心配そうな顔をしている。
 「ん? ま、あんまり心配せんと待っとり。お腹の子に悪いで。」
 和葉の背後に回って、大きな腹をなでてみた。
 「くすっ」
 思わず二人で笑う。
 「今、蹴ったな。」
 「お父ちゃんやて、わかるんかな。」
 和葉がやっと笑顔を見せた。
 「そうかもな。」
 そう言いながら、俺は和葉の肩を抱きしめた。
 「行ってくるし」
 「ん。」
 和葉はそれ以上何も言わへんかったし、俺も振り向かへんかった。
 こんな顔、今は絶対見せられへん。
 情けのうて、それでいて怒りを抑えられへん顔。
 俺はそんな顔をしてるはずやった。

 車をマンションの駐車場に入れて、暫く待った。
 和美には、もうすぐ行くよう携帯から電話してある。
 もう一台、ワゴン車が入ってきた。俺が近づいていくと、後部座席のカーテンが開いた。
 窓から小さな二種類のボタンが渡される。それを受け取ると、俺はエレベーターに乗って、和美の待つ部屋へと急いだ。
 「おはようさん。」
 「おはよう。」
 くすっと和美が笑う。
 「ほんまに服部君て変わらへんな。」
 「そら、おおきに。入ってええか?」
 「どうぞ。」
 リビングに通してもらう。すぐ傍が、西村の殺されてたダイニング。
 「なんか飲む?」
 「え?あ、別にええわ。」
 「そう?」
 口数は少ないが、目は俺を見逃さんようにしてるんがわかる。
 「で、ご用て何なん?」
 「うん・・・。」
 不意に頭の中に和葉の顔が浮かんでしもて、俺はちょっと口ごもった。
 「和葉・・・元気してる?」
 「え?」
 思いがけん言葉聞いて、俺は和美の顔をまじまじと見た。
 「服部君、昔から事件によう顔突っ込んでるくせに、意外とポーカーフェイスでけへんねんね。気にはしとったんよ。和葉、死体の第一発見者やったから。8ヶ月や言うてたやろ。ショックで流産なんかせんやろかって。」
 「おおきに。おかげさんで、大丈夫や。」
 一番気にしてたとこ突かれて、俺はつい、そう答えた。和美の言葉に続きがあるなんて思いもせんと。
 「そう、さすが名探偵服部平次の奥さんやね、あんなんどないなことないてか。残念やわ。」

 目一杯頭殴られた気がした。
 「和美、今、お前、なんて・・・。」
 普通に喋ろ思ても、声がうまいこと出えへん。
 「死体の一つでも見たら、流産ぐらいするか思たのに、図太いな言うたんや。」
 頭にかっと血が上るんがわかった。
 「和美、お前・・・。」
 「そうや。あんたが出てくんねんから、あれでもちょっとは頭使うたつもりやで。すぐわからんかった?」
 なんか、高校の時に知ってた和美とは違う。全然別の、初めて会う女と喋ってる気がした。
 せやけど、こいつ、何でいきなり自白する?
 「・・・でや。」
 声がうまいこと出えへん。
 「何でや、和美。何で、自分の旦那殺して、・・・何で和葉を第一発見者にさせたんや。」
 「犯罪のトリックはわかっても、どうせ心の中まではわからんやろ。教えたろか。」
 「能書きたれとらんと・・・。」
 怒りに震えが来た俺を、目を細めて微笑みながらあいつはしゃべり出した。
 「黙って聞きや。あんた、自分の奥さん、モテモテやったん知らんやろ。男の子の間では、あんたさえおらんけりゃなんて話、結構出ててんで。
 ・・・うちの旦那も、そう。気ィ付かんかったやろ。あれがほんまのポーカーフェイスや。幼馴染みの私でも気ィ付かんかった。
 ふふっ、あんたらも幼馴染みやったな。」
 和美はふっと遠い目をした。
 「小さい頃から近所に住んでて、遊ぶんも何するんでも一緒やった。思春期に入って、さすがに遊ぶのはあんましせんようになったけど、学校行くんは必ず一 緒やった。あのころは良かったなぁ。あいつだけ見つめてて、それだけで幸せやったんやから。高校入って、和葉に出会うて、・・・何であの時、気ィ付かへん かったんかな。あいつが、和葉のこと好きになってしもたんやて。まぁ、いずれにせよ、あいつの失恋は間違いはなかったわけやけど。」
 そう言って、和美はちらっとこちらを見て自分の持ってきたお茶を一口飲んだ。
 「大人しゅう聞いてるやん。
 それから・・・大学も頑張って同じとこ行って、ようよう告白して、つきあい始めて。あいつはそれで、和葉のこと忘れるつもりやったんかもね。卒業して、 結婚して。あいつの仕事は結構大変やったみたいやけど、なるようにしかならんし、苦労してもあいつと一緒なら全然かまへんて、思うてたのにな。あの 日・・・。」
 そこで、和美は止まった。
 俺はじっと聞いていたが、つい、言葉が出た。
 「どの日や」
 うつむいていた和美がこちらを睨んだ。
 ぞっとするような目で、背筋が寒なった。



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