***ふたり***

何をするわけでもなく、ぼんやりと過ごしていた。
独りだけの家は、ガランと静か。さすがに、テレビを見る気にもなれず、こたつに入って、窓の向こうの風景を、見るともなしに見ていた。
・・・全然目に入ってなんかいやしない。
ずっと彼のことを考えていたんだから。
胸の奥が疼く。あなたの優しさに触れたい。
でも、一度触れてしまえば、失うことがいっそう怖くなる。
私の中で、感情が渦巻いている・・・。

電話が鳴った。
母親の友達だろうか?・・・お見合い持ってくるような人だったら、やだなぁ・・・。
子機の前で数秒迷ってから、通話ボタンを押す。
「もしもし、佐藤ですが・・・。」
「あ、け、警視庁捜査1課のた、高木渉と申しますが、み、み、美和子さんはおいででしょうか。」
その、焦りまくった声に、私は思わず吹き出してしまった。
「高木君?私。」
その言葉に、受話器の向こうで、安堵の吐息が聞こえる。
「あ、佐藤さん。えっと・・・今、お手すきですか?」
「ん、暇してる。」
・・・初デートをお流れにしてしまったのは、私の方なのに・・・。
「あの・・・、じゃ、えっと・・・・お会いできませんか。」
一瞬言葉に詰まってしまったけれど、次の言葉を聞いて、私は子機を持ったまま玄関へ飛び出した。
「実は、今、お宅の前にいるんです・・・。」

「どうして・・・。」
そう言ったきり、私は言葉が出なかった。
寒空の下、扉の向こうに立っていた彼は、携帯の電源を切ると、ゆっくりと口を開いた。
「あ・・・、その、本日有給休暇でして・・・。」
困ったような、照れたような顔で、答えた後、彼は、頭を掻いた。
「取り消し・・・しなかったんですよ。その・・・忘れてて。」
・・・高木君らしい・・・。
「トロピカルシーまで行くのは、遅すぎるけど、ぶらっと出掛けませんか?」
どれくらい、彼を見つめていたのだろう。
「あの・・佐藤さん?」
不思議そうに、声をかけられて、はっと我に返った。
「あ、うん。えっと・・ちょっと中で待っててくれる?着替えてきたいから。」
そう言って、彼を家に招き入れた。
「こたつ入ってるわよ?」
と、声をかけたが、彼は、玄関でいいという。
セーターを着て、ヤッケを羽織っている彼を、あまり待たせないように、私は、急いで、部屋へと戻った。
タンスを開けたって大したものなんて入ってやしない。仕事がしやすいように、動きやすいあっさりした服が入っているだけ。
もう・・・
軽くため息をついて、がさごそと引っかき回していると、淡いピンクベージュのセーターが目に入った。
あまり、袖を通したことがないけれど・・・そんなことを思いながら、はんてんを脱ぎ捨てると、それをひっかぶり、スカートをはいて、ショートコートを羽織った。
鏡に向かい、ルージュを引き、全体を映してみる。
・・・いいかな。
これだと、彼と一緒に歩いていても、おかしくないよね。
四角い姿見の中の、自分が、どこかいつもと違うような気がしながら、薄ら寒い玄関で待っている彼の元へと急いだ。

「お待たせ。」
と言いながら、私は、こたつや部屋の電気を落として、鞄の中の鍵を探しながら玄関へ行った。ようやく見つけて、ふと、なんの答えも返ってこない彼を見ると、じっとこちらを見ている。
「どうしたの?」
「え、いえ。なんでもありません・・・。」
なんでもないって感じじゃ・・・
「どっか、変・・・かな?」
自分の姿を見やってみる。確か、さっき、なんか違和感があったような気が・・・。
「いえっ。変じゃありません。・・・行きましょうか。」
ふいっと微かに目を逸らした彼を、覗き込んでみた。
「どこへ行く?」
すると、彼は、いつもの笑顔を見せてくれた。
「とりあえず、街に出ますか。」

何をするでもなく、あなたと街をぶらつく。
本当は、映画でも?という話も出た。
でも・・・それは、ちょっとやばい。今の私なら、絶対眠りこけてしまう。
彼も、同じように、映画案を避けたので、こうして、ウィンドウショッピング。
何気ないこと。取り立てて、特別なことのない空間。それが、穏やかな幸せを感じさせてくれる。
不意に、肩を抱き寄せられた。
「危なっかしいなぁ。」
ふらふらと脇をすり抜けた自転車を目で追いながら、彼が呟く。
その途端に、胸に広がる得も言えぬ想い。
暖かい?優しい?そんな言葉だけで言い表せない何か。
私は、どんな顔をしてたんだろう?
不思議そうに私を見つめる彼の顔に、思わず、顔を背けてしまった。
「疲れました?」
・・・どこから、そういう言葉が出てくるんだろう?
「お茶でも飲みますか。」
「・・・そうね。」
ようやっと、それだけの答えを返した。

でも、結局、みんな考えることは同じだったようで、どこもかしこも一杯だった。行列ができているところさえある。
暫く、ぼーっと空を見ていた彼が、口を開いた。
「佐藤さん、もうちょっと歩きますけど、いいですか?」
「ん?いいわよ。」
そうして、彼は、人の波を抜け始めた。
器用に人の波を抜けていくのは、仕事柄かしら・・・そんなことを考えながら、彼についてゆく。
不意に振り向いた彼が、穏やかな照れ笑いを浮かべながら、手をさしのべた。
一瞬のためらいの後、私は、その手を取る。
触れた瞬間に、胸にぽっと火がついたような気がして。
気の早い太陽がビルの陰に身を潜めつつある、たそがれ時。
大きくて、温かな手に包まれて、私は彼と共に人の波を抜けていった。