*** 黄昏に ***


「ここ・・・?」
それは、なんの変哲もない公園。
近くの自動販売機で買ってきたコーヒーを片手に、公園を取り巻く堤に植わった木の下の ベンチに腰掛けた。
傾きかけた太陽は、勢いを増しながら沈んでいく。そのひとときに、見えるものが、俺が彼女に見せたいもの。
くすっと彼女が笑って、こちらを見た。
「結構歩いたわね。」
「ええ。ここ、見晴らしいいんですよ。この前、たまたま見つけて、それで。」
「そうね・・・。夕陽がきれいだわ・・・。」
彼女の澄んだ瞳が、沈みゆく太陽の最後の光をとらえる。
「すみません。お茶でもなんて言って、こんなところで、缶コーヒーなんて。」
掌で、ころころとコーヒーを転がしていた彼女が、再びこちらを見て、にっこり微笑んだ。
「あら、私、こういうの好きよ。」


温かいコーヒーを飲んでしまうと、二人とも黙ってしまった。
赤みの少ない夕暮れの空に、一際明るい星が見える。
まるで・・・
「佐藤さん、すいませんでした。」
それは、不意打ちだった。
そっと、彼を見やると、大きな掌でコーヒーの缶を握りしめて、地面を見つめている。
・・・スイマセンデシタ?
謝るのは、私の方じゃないの・・・?
「なんか、佐藤さんの気持ちも考えずに、生意気なこと言ったみたいで。その・・・、松田刑事のこと忘れちゃダメだなんて言ったのは、決して、忘れたいもの を無理して覚えていろと言った訳じゃなくて、何というか、忘れられない大切なものは無理して忘れる必要なんてないんじゃないかなって。だって、どんなこと も、佐藤さんの思い出っていうのは、今の佐藤さんを作ってるって・・・、なんか・・・、あの・・・いまいち、まとまりがないんですけど・・・」
一生懸命、言葉を紡ぎだしていた彼が、そのあとが続けられないような表情をして、おもむろに顔を上げる。
・・・もしかして、高木君、ずっとそのこと考えてくれてたの?
胸にこみ上げるものを感じ、私はそっとベンチを立った。
さりげなく、傍らのゴミ箱に空き缶を落とし込む振りをして・・・。
「ううん。いいの・・・。ああ言ってもらえて、これで結構気が楽になったし・・・。」
努めて、明るく振る舞ってみるけれど、声がうわずっているのが自分でもわかった。
「でも、俺・・・」
彼が、何か言いかけたけれど、それ以上のことを聞くことができなかった。
聞くのが怖かった。
違うの!高木君。あなたに何かして欲しかったんじゃなくて、ただ私が呪縛から解放されたくて・・・。
とっさに振り向いた先の、彼の真っ直ぐな瞳に、思わず言葉がこぼれる。
「あのね、忘れたいから、あなたにあんなこと言ったんじゃなくて、その・・・。」
けれど、そう言ったきり、言葉が継げなくなってしまった。
ほんとうはあなた自身に惹かれている。
その腕の中にしっかり抱きしめて欲しい。あの瞬間のように。
その力強さに包まれたい。優しさに包まれたい。
・・・けれど、ジンクスが私を縛りつける。
ねぇ、あなたを失うくらいなら、その暖かさに触れない方がいい。
「・・・ごめんなさい。」


立ち上がって、彼女に一歩足を踏み出した。
素顔の佐藤さんが目の前にいる。
俺の前に、その脆さをさらけ出している彼女がいる。
壊れそうで、俺は腕を広げて抱きしめたくなる。
そして、その瞳に、心の傷が浮かび上がり、彼女を引き止めているものを知った。
「俺のことを案じてくれるって言うのは、俺も佐藤さんの中では、大切な人の中に入ってるって、ことですよね?」
・・・そう、確かに彼女は、そう言った。
彼女の瞳が悲しげに揺れて、俺はyesという答えをもらった。
「あの時のことは、今思い出しても、ぞっとすることはありますが・・・。
ね、佐藤さん、あなたがいるから、あなたの傍にいたいから、運すら味方してくれるって・・・そんなふうに考えちゃいけませんか? 俺、なんだか、そんなふ うに思えるんですよ。自分勝手な思い込みかも知れないんですけど・・・。佐藤さんがいるから、俺は大丈夫なんだって・・・。」
彼女の目が大きく見開かれ、微かに開いた唇が、何か呟いたような気がしたけれど、俺のところまでは届かなかった。
「だから、佐藤さんへの想いがある限り、俺は絶対あなたの傍からいなくなりません。」
黄昏時の公園で、彼女の瞳がきらりと光った気がした。その表情は、もう、はっきりとは見て取れないくらい、暗くなってきている。そのことが、俺をいつもより大胆にしたのかも知れない。
「ずっと、・・・傍にいたいんです。」

・・・どれくらいそうやって、見つめ合っていたのだろうか。
ふわっと、彼女が俺の腕にもたれかかってきた。
「・・・貸して。」
微かな声だったけれど、確か、そんなふうに聞こえた。
片腕に感じる、彼女の体温。
俺の鼓動は一気に早くなる。
内心どぎまぎと焦りながら佇んでいると、腕に、微かな振動を感じた。
・・・彼女が、静かに泣いていた。
微かに震える肩が妙に小さく感じ、俺は、もう片方の腕で、そっと彼女の肩を抱く。
その不自然な体勢は、すぐに、彼女を俺の胸の中へと滑り込ませた。
そう、まるで、水が高みから、低いところへと流れてゆくように。
この胸の中に、彼女がいる。
俺に体を預けて、声もたてずに泣いている。
心の枷がほどけて無くなってしまうまで、泣いてくれればいいと思った。
それを、全て、受けとめたいと・・・。
どんな佐藤さんも、俺はやっぱり好きだから・・・。


冷たい風が吹き抜けた。
肩に軽く回った腕の力が、ほんの少し強くなって、私はその暖かな胸の中に包まれる。
・・・不思議。こうしていると、段々気持ちが落ち着いてくる。
いつの間にか、私は、彼にすっかり体を預けていた。
不意に、頬にぬくもりを感じた。それは、彼の大きな掌。
その手が導くまま、私は顔を上げる。
吸い込まれそうな、澄んだ瞳は、とても優しくて。
「・・・好きです。」
微かに震えるハスキーボイスが、ゆっくりと心の中に降りてくる。
それは、本当に静かに、けれど、熱をもって私の心にしみ渡っていく。
残照に浮かぶ、 少し不安げな彼の顔が、水の底のように揺らめいて、私は、もう一度、静かにまぶたを閉じた。
頬を伝う涙。でも、これが最後の涙になる。
次に、目を開けたときには、きっと違う私がここにいる・・・。



柔らかなぬくもりが触れ合ったのは、ほんの少しの間のこと。
人気のない、暗い公園で、そんな彼らを見ていたのは、ビロードに埋め込まれたダイヤのような輝きを放つ、あの星だけ。
彼の思いを受けて、彼女のために輝いていた、その星は、やがて彼らが肩を寄せ合いながら、歩き始める頃、その身を焦がすため姿を消した。



fin

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 37巻の彼らのその後。気にならないわけがないですよね。
ちょっと、高木君、かっこよすぎるような気もしますが。
決めるときは、決めてもらいましょう!



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