徳之島(もしかしたら思いっきり変な島かも?)

2006年2月25日〜2月27日



その2 : 慰霊 

徳之島は、日本地図を見ればわかるとおり、沖縄本島とは目と鼻の先。
だから、ここの風景が<沖縄ソックリ>なのは、当然と言えば当然なのだけれども
私達夫婦は、今回は

夫の両親を、ちゃんとエスコートしなきゃ!
ちゃんと慰霊をしなくっちゃ!

ってなことで頭が一杯で、
ここに来るまで、徳之島がどういう島か、ほとんど考えないままにやって来てしまったのだった。
なので
この<沖縄ソックリ>には感動したなぁ。嬉しかったなぁ。

島の基幹産業は、
やはり沖縄の各島と同じ、サトウキビの栽培で、
島中に広がるサトウキビ畑は、折りしも今が収穫の真っ最中。(1月〜3月くらい)
刈り取ったサトウキビを満載したトラックが、製糖工場に向かってブンブン走り回る中
私達は、じいちゃんの慰霊に向かったのだった。



富山丸の慰霊碑は、島の、海岸沿いの、小高い場所に建てられている。
沈没を生き延びられた方が、戦後、
慰霊のために
と、尽力して建てられたという。
周囲を公園として整備し、島の方に委託して、草刈などの管理をお願いしているとか。





↑ここで慰霊をし



↑船が沈んだという、沖合いを見やる。
この沖合い、わずか2キロの場所で、船は魚雷を受けて沈んだそうだ。

たった2キロ。

漂流物につかまれば、充分、島に泳げ着けそうな距離なのに
なぜ、3700人以上もの方が亡くなられたかと言えば
船には、沖縄の戦線へ運ぶガソリンが、ドラム缶1500本分も積み込まれていたから。
魚雷を受けて、船は燃え
その火が、海上に浮かんだ1500本のドラム缶に引火して爆発。
一面が、まさしく火の海となって
多くの方々が、亡くなられたと言うのだ。
ガソリンさえ積んでいなかったら、たったの2キロの距離。
島にたどり着けた人や、漁船に助けられた人達も、もっともっと多かったのではなかろうか。

その、たった2キロ先の海上を思うと
ホンマに戦争はいかん。
絶対に、やったらいかん。
どんなセコい、格好悪い、不細工な外交手段を使ってもいいから
戦争だけは回避しないと。
と思う。
不細工で、見苦しくて、惨めでもいいのだ。戦争だけは、したらいかん。

・・・さらにやり切れなかったのは
この沈没を生き延びられた方々が
沈没のわずか3〜4日後には、命令で、再度、沖縄へ向かわされたということだ。

ホンマに、戦争は、いかん。



この後、海岸まで降りて、
義父母が持って来た香川県のお酒(カップ酒)の中身と、実家の庭の押し花を、海に流した。

じいちゃん、じいちゃんの戦友の皆さん、どうかやすらかにねむってください。





ところで、この島にはもうひとつ、有名な慰霊の場所があるのだけれども、ご存知だろうか?

折りしも、<男たちの大和>なる映画が公開され、話題になっている、あの戦艦大和。
その大和も、徳之島沖で攻撃を受け、沈んでしまったそうで
その慰霊塔も、島にはあるのだった。



↑画面左の、背の高い建造物がそうなのだけれども
このコンクリートの塔、
海っぷちで、長年、強烈な潮風にさらされてきたせいか、大変もろくなっており
非常に危険な状態になっているとか。
よって、私達が行った時には、周囲にロープが張られ<立入り禁止>に。
管理してきた町としても、
取り壊すしかない・・・
と、頭の痛い状況になっているらしい。
せっかく慰霊のための施設を作っても、後々のメンテナンスが・・・・・。

同じ問題は、富山丸の慰霊碑の方にも持ち上がっていて
義母が言うには
この先、いつまで島の人たちに管理をお願いできるのかが問題
なのだとか。
そうなのだ、
この亜熱帯気候の島、一年中、草はドンドン伸びて、しょっちゅう草刈りをしなくてはならない。
大和の慰霊塔の周りだって
富山丸の慰霊碑の周りだって
また、それらの駐車場の周りだって
草刈りをして、綺麗にしてくれているからこそ、安心して遺族が慰霊に行けるというもの。
これは、
山仕事や畑仕事で、夏場、草刈りばっかりやっている身としては、実によくわかることだ。
で、
そのための委託金を、町に、お支払いしているわけだけれども
今は、
遺族と言っても、亡くなられた方の奥さんや子供達の代だからまだしも、
これが、
孫・ひ孫の代になって、なお、そのためのお金を出し続けられるのか。
また
その代になっても、慰霊に来る人達はいるのか。

・・・もう、お墓の問題と同じだと思う。

広島や沖縄の平和祈念公園みたいに、国が予算を出してくれる施設じゃない以上
これから先、どうしていけばいいのか・・・。

終戦末期、
奄美諸島周辺では、多くの輸送船や学童疎開船が攻撃を受け、沈没させられているそうで
この徳之島にも
富山丸の慰霊碑のすぐ近くに
ある学童疎開船の慰霊碑が、建てられていた。
あの慰霊碑も
そして、全国各地にある、多くのこういう慰霊碑も、同じ問題を抱えているのかもしれない。
難しい・・・
と思います。
ホンマに、どうしたら一番ええのか・・・。


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