徳之島(もしかしたら思いっきり変な島かも?)

2006年2月25日〜2月27日


その1 : 徳之島か?別府か?


九州は鹿児島県、奄美諸島の徳之島。この島の沖には、夫の母方のじいちゃんが眠っている。
太平洋戦争末期
鹿児島から沖縄へ、兵隊を送る輸送船に乗っていたじいちゃんは、アメリカの潜水艦の魚雷にやられ
船が沈没。
多くの戦友と共に、海で亡くなったのだ。
その数、3700人強。
大変な惨事である。
船の名前は、富山丸。
戦後しばらくし、生き延びた方々が中心となって遺族会が結成され
今でも毎年、
戦没者の命日である6月29日には、東京や徳之島で慰霊祭が行われている。
じいちゃんの妻であるばあちゃんは、これまでに東京で1度、徳之島で2度、慰霊祭に参加し
娘である義母は、徳之島での慰霊祭に、1度、参加したことがあるそうだ。
なにせ遠いので、そうちょくちょくは出かけられないのだった。

ならば、今一度、義母が元気なうちに連れて行ってあげなあかんなぁ

と思っていた私達夫婦。

今年、
やっと意を決して徳之島へ行くことにした。私達も、一度、きちんと慰霊をしたかったのだ。





と言うわけで2月25日の夕方、
我々夫婦と夫の両親の4人は、高松空港から徳之島へと向かった。
・・・・・と言っても
直行で行けるわけはないので、第一日目は鹿児島空港までである。

が、


高松空港の搭乗手続き所には、いきなり、このような無情の張り紙が。

<鹿児島空港は強風のため、この便は、福岡空港か宮崎空港へ着陸するかもしれませ〜ん>

宮崎。福岡!??
って
九州の土地勘が無い私には、いったいどれくらいの距離があるのか、全くわからないのだけれど
宮崎はともかく
福岡なんて連れて行かれたら、それも夜の8時に連れて行かれたら
その日のうちに、果たして鹿児島までたどり着けるのか???
いや、もし、たどり着けたとしても
夫の両親は、いきなりクタクタに疲労困憊してしまうのでは・・・・・。

折りしも、この週末、発達した低気圧が日本を横断中だったのだ。

私と夫の二人やったら何とでもなるけど、義父母は・・・

と暗くなる私の耳に聞こえてきたのは、しかし、夫のこんな言葉だった。

「ま、ええわーー。
いざとなったら、福岡から別府行って、温泉入って帰ろ♪」


「そうやそうや〜。徳之島は、また今度でええがなー」

と、これは義母。

そんなっ!!?じいちゃんの慰霊は?????

あせり狂う私だったけれども
でも、考えてみれば、
血のつながった義母と夫がこう言っているんだから、もうええのだ。多分。
当然、この件に関して、義父のコメントは無し。



そうこうしているうちに、搭乗時間となり、
我々4人は、40人乗りのちっこい飛行機の機中の人となった・・・・・
のだけれども、この飛行機が、また大変だった。
なにせ、座席の前の背ポケットに、ゲ◎袋が、なんと4枚も差し込まれていたのである。
通常、どの飛行機でも1席に1枚のゲ◎袋がセットされているものだけれども
この飛行機は、4枚。

・・・とってもイヤな感じがした。

ここで私が思い出したのは、
6年ほど前、八重山諸島の波照間(はてるま)島という島へ行った時のことだった。
八重山諸島の各離島へは
石垣島から、40人乗りくらいの高速船で行くのだけれども
この波照間島へ行った時、
私は、高速船の座席の背ポケットに、見慣れない袋がセットされているのを見たのだ。
それまで、色んな離島へ行ったけれども
一度も見たことがなかった品。
ゲ◎袋。

・・・・・・・??

港にいる間は、ただただ不思議だったけれども、港を出て外洋に出、すぐにすべてがわかった。
外洋は大荒れだったのである。
晴天にもかかわらず。

なにせこの船、40人乗りの小さな船だから、大波が来たら、もう、へさきを30度くらい上向けて
グワッ!と波に乗り上げて行く。
波頭まで乗り上げたら、後はへさきを下げて下るのか
と思えば下らない。
乗り上げた勢いのまま、波の向こうへポーーンとすっ飛んで行くのである。
あげく
船底から、ドッシャーーーン!!と水面に落ちる。
波がハードル、船がそれを飛び越える選手
と言ったら、わかってもらえるだろうか。
で、
落ちた時、
柔らか〜〜く水に受け止めてもらえるかと思いきや
まるで、コンクリート面に叩きつけられるようなショック。
この時に、私は、よーーくわかった。
プールに飛び込んだ際、ハラボテになると、何故にあんなにも痛いのか??
そう、水面と言うのは、表面張力のせいで、とっても<固い>のだった。

とにかく、そんな調子で
グワッ!ドッシャーーン!!グワッ!ドッシャーーン!!
を繰り返すこと、約1時間。
地元の人は慣れているのだろうけれども、もう観光客は、顔面蒼白である。
よくみんな、吐かなかったものだと思うけれども、
窓の外に、次々と盛り上がる大波にビックリしすぎて、吐き気も忘れた・・・と言うことか。
で、
私と夫はと言えば
船が満席ではなかったのを幸いに、2人がけの椅子に、一人ずつ突っ伏していた。
横になってさえいれば、かなりの揺れでも酔わない
ということを、経験上知っていたからだけれども
こういう時、身体を起こせば、1秒で酔うのだ。
だから、ひたすら突っ伏していた。
しまいには

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」

とまで唱えていたっけ。心の中で。

そう、あの時、セットされていたのがゲ◎袋だったんだよなぁ・・・。



もちろん、このとってもイヤな予感は的中した。
40人乗りのちっこい飛行機は、発達した低気圧の中を、向かい風で飛行し
もう、そりゃー、揺れた。
前方の座席を見ると
舗装してない林道を走るバスの中のごとく、乗客の頭が右に左に揺れていた。
その頭を見ているだけで気分が悪くなりそうだったので
私は、ひたすら眠ることにした。
もうこういう時は、寝た者勝ちなのである。
しかし、うるさい。この飛行機。目をつぶっても。
ブォンブォンガーガー、漁船に乗ってるみたいにうるさい!

ああ、向かい風の中を行くプロペラ機って・・・

と嘆いているところへ
今度は機体が上下に揺れだした。

「揺れておりますが、飛行には全く問題がございません」

と、落ち着いた声で言うキャビンアテンダントの放送が、ちょっとは心強いやら
ホンマかいな?と、よけいに不安をかき立てるやら。



やがて、そうこうするうちに、なんとか機体は鹿児島空港に着陸した。
本当にやれやれだった。
無事に着陸した時は、思わず拍手し、機長に心から感謝した。
飛行機の旅って、何度やってもやっぱり慣れない。機長さん、頑張って下さって本当にありがとう。
いや、本当に良かった。
別府に行かずにすんだし。

  (ところで、この大揺れの飛行機の中、夫も眠ったが勝ち!を決め込んでいたのだけれども
  ちょこっとだけ薄目を開けて、周囲をうかがったところ
  前の席の母子連れと
  斜め前の席の男子高校生が
  気の毒なことに、ゲ◎袋のお世話になっていたそうである。
   やっぱり、袋の数が多いと言うのは、それだけ必要とされそう・・・と言うことのようで・・・。





そんなこんなの初日だったけれども
翌日、
小雨ながらも、低気圧は東へと去り、私達は、無事、徳之島へとたどり着くことが出来たのだった。

驚いたのは、高松→鹿児島間が40人乗りのプロペラ機だったのに対して
この鹿児島→徳之島間が
なんと!150人も乗れる飛行機だったこと。

地方とは言え、県庁所在地間を飛ぶのがプロペラ機で
離島へ行くのが150人乗り??
そんなに人の行き来が多いのか??鹿児島と徳之島は???

と、徳之島行きの飛行機の中を見回してみれば、何のことはない
高松→鹿児島間と変わらず、乗客は数10人と言ったところなのである。

なのに、何故、こんなに大きな飛行機を???

この謎は、やがて後々解けるのだが
ともあれ、2日目、我々は徳之島へ着いた。
着いてみれば、当然ながら、そこには沖縄ソックリな風景が広がっていたのだった。



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