熊野の青空 <その2: 墓場をさまよう> |
和歌山県新宮市という地名を、私が初めて記憶に残したのは 確か大学1年生の時、 <日本文学概論>という教養課程の講座の中でだった。 その講座の第一回目に<日本書紀>だか<古事記>だかが取りあげられ 講師の先生が、盛んに 「和歌山県の新宮市付近が、この書物に登場します」 と強調しておられたのだ。 今にして思っても、えらくリキの入った物言いだった気がする。 「新宮というのは、そういう神話の時代から、そこにあったんですよ〜!」 我が大学が、大阪の南部にあり、紀伊半島に近かったから 先生の講義にも熱が入ったのかもしれない。 ともあれ、 その時、私の脳には<新宮>という地名が なにやら神秘的な霊力のある土地のようなイメージで、インプットされたのだった。 その後、再び<新宮>という地名に出会うのは、中上健次の小説の中。 大学時代から20代前半にかけて読んだ彼の作品に、新宮は現れた。 ご存じの方も多いでしょうが 中上健次は新宮市出身。 新宮市を舞台に、地縁・血縁うずまく<熊野サーガ>とも呼ばれる 濃い〜〜〜(としか、私には表現できない)小説を、数多く書き 1992年、46歳で亡くなった作家。 その彼の作品の中に出てくる新宮は、えらく閉鎖的で、息がつまりそうな場所だった。 一体どんな所なんだろう??新宮って??? 大学の講義のイメージと、中上文学のイメージがドッキングして 私の頭の中で新宮は、妙におどろおどろしい町になっていった。 少なくとも、 明るい日差しが降りそそぐ、カリフォルニア〜な町ではなかった。 4年前、初めて訪れた新宮は、人口4万人の普通の地方都市だった。(当たり前だ。) ただ、 ムッチャクチャに遠かった。 あらゆる場所から遠かった。 紀伊半島の南東部にあるその町まで 新大阪からJRで、紀伊半島を海沿いに走って、4時間強。 反対の名古屋方面からでも、伊勢市から来るなら5時間。 奈良から、車で紀伊半島の山中をブチ抜いて走っても4時間以上。 熊野地方の中心地である新宮市だけれど この、あらゆる場所からの遠さが 熊野の独特な文化を作っているのだ、と言われれば、「はぁそうでしょうね」としか言いようがない。 同時に、中上健次の描いた とてもとても閉鎖的な新宮の空間も、なんだかわかる気がしたのだった。 その中上健次である。 新宮出身の作家と言えば、佐藤春夫の方が有名かもしれないけれど なにせ私は、この人の小説も詩も読んでいない。(すいません。) ゆえに、私にとって、新宮と言えば中上健次なのである。 なのである、と言っても、全作品、完全読破しているマニアや大ファンじゃないですから あまり突っ込まないでくださいね。お願い。 ともあれ、その中上健次。 初めて新宮を訪れた時から、 ガイドブックの地図上に、<彼の生家跡>というのが記されているのには、気づいていた。 気づいていたから、地図を頼りに行ってみた。 行ってみたけれど、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わからなかった。 いや、正確に言うと 「・・・・・・・ここかな???」 と思う場所は、あったのだ。 あったのだが、 そこは、住宅地の中に、畳1畳分くらいの緑地があり、木が1本植わっているだけ。 普通、地図に載っているなら <生家跡>の看板とか碑とか建ってるはずだと思うんだけれど そういう物は、なにも無い。 「・・・・・・・ゴミ収集所かしら・・・?」 とも思った。 その後、2度新宮に行った時も、地図を頼りに捜してみたけれど ゴミ収集所とおぼしき場所以外には、何も見つからなかったのだった。 が、しかし、そこはやはりゴミ置き場ではなく、中上健次の生家跡だった! 今年、しつこく訪ねたその場所には、ついに、このような看板が! あああ、長い道のりだった。 でも、 ・・・看板があっても、遠目にはなんとなく、ゴミ収集所に見えてしまう気が・・・・・。 (オレンジの線で囲った部分です。) ・・・何でだろう? 住宅地に、突然ポコッとあるからかしら????? 高松市の菊池寛のように、いっそ銅像でも建ててくれたほうが・・・・・。 (中上健次は怒るだろうけれど。) それはともかく、生家跡がはっきりした以上、次はお墓である。 彼のお墓が、新宮市の<南谷墓地>という場所にあるのは、知っていた。 ガイドブックにそう書いてある。 そして、その南谷墓地がどこにあるかも、よくわかっていた。 新宮市のジャスコの駐車場の、すぐ裏にあるのである。 丸見えである。 もともとは、墓地の付近は、町のはずれだったんだろうに ジャスコが、ドーーーーーーンと、やって来てしまったのだろう。 とにかく、丸見えなので 新宮へ行き、食べ物を買いにジャスコへ寄るたびに ああ、ここ墓地のどこかに中上健次のお墓があるんだなぁ・・・と思っていた私だったのだ。 でも、わざわざお墓を見に行く気にはなれなかった。 なんとなく・・・ なにせ、怖がりだから。 が、 今回は、生家跡がはっきりしたのである! こうなったらお墓だ!GOGOGO!! ・・・・・・・・・・・・・・・・と、勢い込んでやって来たのに、無い。 見つからないではないですか。お墓。 事前に市役所へ行って手に入れた、新宮市の観光MAPにだって、ほれこのとおり <南谷墓地>に墓所がある、と書いてあるし 実際に行ってみれば、中上健次以外の著名人のお墓は、墓地に入ってすぐの場所に <◎◎◎の墓 →>などと、看板が立てられているのだし。 なのに 無い。 見つからない。 やっかいなのは、この南谷の墓地 上の絵でもわかるように、小さな山全体が墓地になっているのである。 しかも、今どきの、バシッと整備された、広々とした霊園とは違い 遙か昔から、 その時々の都合で、こっちにひとつ、あっちにひとつ・・・と言う風にお墓を作っていって出来たのであろう もう迷路のような墓地なのだ。 見通しは、まったくきかない。 なので 何度も何度も、山を登ったり、降りたり、また登ったり 頂上まで続いていると信じていた石段が、どなたかの墓の敷地で、あっさりと行き止まり では横へ移動しようとしたら、横へ行く道が無く、そこにはまた誰かのお墓が並んでいるだけで 進退きわまって 「すいません!すいません!ごめんなさいーーー!!!」 と、あやまりながら 人様の墓の敷地を駆け抜けたり 道が突然途切れて、ヤブに立ちはだかられたり・・・・・・・ というような目にあいながら 9月初めの、あの炎天下の中を、私と夫は捜し歩いた。 会ったこともない人のお墓を・・・。 それでも、すぐに見つかると思っていたのだ。私は。 観光MAPに写真が載っていた、中上健次の墓所は、ものすっごく広そうだった。 こんなに目立つお墓なら、きっとわかるはず。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・なのに、1時間近く、墓場をさまよっても 見つからないのは何故!??何故なの????? 次第に私は、気が気じゃなくなってきた。 人5倍汗かきの夫が、そろそろ我慢の限界点に達しているのではなかろうか?と思って。 なにせ夫は、中上健次を読んだことがない。 新宮へ来て、私が「中上健次、中上健次」と言うのを聞いて、初めてその名を知ったのだ。 そんな夫が、この炎天下の墓捜しに 「やっとれるかーー!」 と、ブチ切れたって、おかしくはない。 はたして 「もうええよ。もう帰ろう。」 と、私が言った瞬間、ついに夫はブチ切れた。 「やっとれるかーーー!!!!!」 と、わめいた夫がとった行動は 携帯電話を取り出し 「もう、この地図作った奴に、直接聞く!!!」 と、市役所に電話することだった。 「すみませんが、商工観光課をお願いします。」 「あの、観光で来ている者なんですが、中上健次さんのお墓って、どちらにあるんでしょうね?」 もちろん、そこは中年の常識人なので、とても丁寧に訪ねた。 ・・・良かった。 「誰じゃあ!こんな、役にたたん地図作った奴はー!!」「ええかげんにせぇよ。うらぁ!!」 などと暴れ回る人じゃなくって・・・・・。 しかし、 電話口に出た商工観光課のおじさんが、懇切丁寧に教えてくれたお墓の真の場所を聞いて 「バカヤローー!!」 「っざけんな!オラァ!!」 と、私達は(電話を切ってから)叫ぶことになってしまったのだった。 お墓の真の場所は、<南谷墓地>ではなかった。 ここから50メートルくらい離れたところにある 新しく作られた <南谷霊園>にあると言うのだ。 ざけんなよ!うらぁ!!!!! 観光客に、そんなことわかるかい!!! かくして、ヘロヘロになってたどり着いた<霊園>に、確かに彼の墓所はあった。 写真の通り、でっかいのですぐわかった。 感動・・・する体力と気力は、もう我々に残ってはいなかったけれど <あきらめずに捜し抜いた!>というまた別の感動(?)には、身を包まれていた・・・・・かもしれない。 しれないけれど、 この日、和歌山市では最高気温が36℃! 潮岬でも同じだけあったというのだ。 新宮だって、36℃あったに違いない!! あああ、もう、あやうく墓場で行き倒れるところであった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 というような経験をした以上、私は、新宮市商工観光課の方に言いたい。 あの地図、書き直さないと いつか墓場で、遭難者が出ますよ!! (あるいは、我々のように、迷路のような墓地で進退きわまった末 観光客が、人様の墓の敷地を走り抜け、花立てを蹴倒したり、灯籠を壊したり・・・。) それにしても、あのお墓の方々、本当に申し訳ありませんでした・・・。 と言うわけで、この先、新宮へ行かれる方。 中上健次のお墓に関しては 市の観光MAPは、大ウソついてます。 そんな新宮の、暑い暑い一日。 場所が場所だけに、写真は撮らなかったので これは、問題の、市の観光MAPに載っている<中上健次の墓所>。 ・・・ホンマに、遭難者が出そうな紹介文ですこと・・・。 ← <その1>へ <その3>へ → トップページへ戻る |