エピソード2  大嵐!!


さて、肝心の天候だけれど
那覇に着いた時点では強風ではあるものの、まだ雨は降っていなかったのだ。
我々は島の神サマと、これからお参りに行く予定の、じいちゃんの弟に心から感謝した。
そう、雨さえ降らなければ、なんとか行動できるはずだと。
午後から我々はレンタカーで、南部の平和祈念公園の<平和の礎>へ
沖縄戦で亡くなった親族のお参りに行くのだった。
  
  ・・・ところで<お参り>と便宜上書いているが、正確にはこれは<お参り>ではない。
  じいちゃんの弟のお墓も位牌も、ちゃんと香川県の親戚の家にあるからである。
  それに、じいちゃんの弟は、<平和の礎>のある場所で亡くなったわけでもないのだ。
  だからこの行為を、正確にはなんと言えばいいのか・・・・・・・・???
  やはり<慰霊>だろうか?
  なので、ここから先は慰霊と書くことにします。


さて、ご存じの方も多いでしょうけれど、<平和の礎>というのは
沖縄戦で亡くなったすべての方、23万人余の名前を刻んだ黒い大理石の石碑のことである。
これが屏風のようにズラリと、平和祈念公園の中心部分にならんでいるのでである。
2000年の沖縄サミットの時、当時のクリントン大統領がこの礎の前で演説したし、
毎年6月23日の沖縄戦の終戦記念日には、ここでの慰霊祭がTVニュースで流されるので
ここの映像を見たことがある方も多いと思う。
ここは断崖絶壁の東シナ海に向かって、黒い石碑が放射状にズラリッと並ぶ場所。
そう、海に直面している。
そしてそれが、今回の我々の慰霊を、これほどまでに難儀にするとは・・・・・・・・・・・・・・・・。


話は空港に戻るが、我々が着いた当時、那覇空港はすでに大騒動になっていた。
前日から欠航になっていた飛行機あり、今日欠航になった飛行機あり、で、
チケットの変更を求めて人が、と言うか群衆が空港中を右往左往していたのだった。
我々は翌日、八重山は石垣島へ飛行機で移動することになっていたのだけれど、
この時点でこの予定は無理だと私は判断した。明日も多分那覇は暴風雨のまっただ中だろう。
沖縄あたりでは、台風の速度は時速15キロくらい。ものすごく遅いのである。
よって我々は、翌々日のフライトのチケットを手に入れることにしたのである。
ただし、空港のカウンター以外で。
理由は、空港の予約カウンターに、人の列がとぐろを巻いていて、
ここに並んでいては、夕方まで時間がつぶれてしまいかねなかったからだった。
どこか街の旅行代理店を捜そう!
と、空港で昼食を簡単にすませ、レンタカーを手に入れ、「さて、どこか旅行代理店は?」
と周囲を眺めたらば、レンタカー屋のすぐ前が巨大なジャスコであった。
ここなら旅行代理店もあるだろう。

果たして、旅行代理店はそこにあり、我々は無事、あさっての石垣島行きのチケットをゲットしたのだった。
ちょっと予定は狂ったけれど、まあ良かったさ!めでたし、めでたし!
と、思っていたのだ。ここまでは。
が、この頃すでに世界は・・・というか那覇周辺は
強風に加えて横殴りの雨が降り、完全な台風モードに突入していたのである。
そんな中を、我々は果敢にも、いや無謀にも平和祈念公園へ向かった。


車を走らせれば走らせるほど、状況はひどくなっていく。
それでも何とか我々は平和祈念公園へたどり着いた。たどり着いた瞬間、もう帰ろうかと思ったほど
嵐はひどいことになっていた。
海からの強風と波しぶきが、ものすごい勢いで吹き付けているのだ。
なんとか踏みとどまったのは、駐車場に他の車がいたからである。
公園の一角には、サミットに合わせて建てられた
大変に立派な<平和資料館>という建物があるのだけれど、
ここの駐車場にレンタカー数台と大型観光バスが止まっていたのである。
もちろんみんな資料館の中にいて、外へ出ようなんてこれっぽっちも思っちゃいないのはわかっていたけれど
ともかく他にも人がいる!ということに勇気づけられて、私達は慰霊を続行することにしたのだ。

駐車場に車を止め、我々はレインウェアを着た。
そう、台風という事態に、傘などというものはスッパリあきらめ
山登り用のゴアテックスのレインウエアを持参したのだ。ただし、スーツの上だけ・・・・・・・・。
だって、まさかレインスーツの上下をバッチリ着こんでまで慰霊に行くか・・・??
とためらってしまったのだ。荷物を作る時に。
結論から言えば当然下も持ってくるべきであった!とほほほほほ。
ともあれ、レインウェア(上だけ)を着こみ、私達は車から出た。
2秒後。下半身は、バケツの水を浴びせられたようにずぶ濡れになっていた。
それでも、行くのだ!大丈夫!こういう事態を想定して、スラックスは山用のナイロン製のを履いてきたのだ。
すぐに乾く。
そして靴も、こういう事態を想定して、すぐに乾くアクアシューズだ!
・・・ああ、なのに、なんでレインスーツの下を持ってこなかったのか。くそぉぉ。
ともあれ、私達は<平和の礎>へ向かって走り出した。



上の写真は、平和資料館の展望室から撮った、当日の平和祈念公園の様子である。
写真の向かって左手が荒れ狂う東シナ海。
そこから断崖絶壁を乗り越えて波しぶきが公園に襲いかかる。
ちょっと見づらいと思うけれど、向かって右の真ん中あたりに、
半円を描くように放射状に並んでいるのが<平和の礎>。
当たり前だけれど誰もいない。
しかし手前の公園部分を突っ切って、我々はヤケクソで礎へ向かったのだ。
もう行くしかないでしょう。平和資料館にいた職員の人達、頼むから止めてくれよ私達を!!!

いや、ものすごい風と雨である。横殴りである。身をかがめて走る!走る!
公園の木々が何本も風になぎ倒されている。あわわわわわわ。



<平和の礎>の端っこにたどり着いた我々は、ものすごく失礼だとは思いつつ
礎を風よけにしつつさらに進んだ。ごめんなさい!風よけにした礎の皆様!!!
(でも、後でTVニュースで見たら、この日この時刻
那覇の最大瞬間風速は40メートルあったって言うんです!
絶対あの時、私達は40メートルの風を受けてました。
そういうわけで、どうか許して!)

ともかくじいちゃんの弟である。
あせっているので、何度も来ているのに場所がすぐにはわからない。
どこだ!どこだ!じいちゃんの弟!!
やっと名前の場所が見つかる。が、今回は私達は手ぶらであった。
そう、公園の花束売りのオバァも、線香売りのオバァも
とっくに撤収してしまっていたのである。当たり前だが。
手ぶらで、しかもものすごい格好の慰霊になってしまった。
申し訳ないことこの上ないけれど、私だって沖縄に住んでいたなら今日は絶対に来ないだろう。
これは台風のまっただ中に、お盆のお墓参りをしているようなもんである。
あまりと言えばあまりな・・・。



ともあれ慰霊は終わった。
再び礎を風よけに駐車場へ戻りつつ、
できるだけ早いうちに、もう一回ちゃんとした慰霊に来なくては・・・・・・・・・・と思った私。
・・・・・・一体何をしに来たんだか私達は!!



     <エピソード1へ戻る   エピソード3へ進む>       

     <ヘロヘロ旅行記>目次へ戻る

     トップページへ戻る