里山オーナーの話 (8) |
2005年5月31日 <春野菜の収穫・とほほ> 昨秋、種を蒔いた、この春収穫の野菜作りは完全に失敗だった。 理由は、よ〜〜〜〜〜くわかっている。 我々は、 完全無農薬・完全無肥料で野菜作りをしたからだ。 「原始人の農業か!」 と、野菜作りをよく知っている人からは、怒られそうだけれども 言い訳させていただけるなら、そうなってしまった理由はいくつかあって ひとつは、種蒔き時期が、遅れに遅れてしまったこと。 本来 9月から10月半ばまでには蒔かねばならないものを、なんと、やっと蒔いたのは、11月も半ば。 それから芽が出たところで、グッと気温が下がってしまった・・・。 おかげで、すこぶる成長悪し。 加えて、 肥料をやるべき時期、花粉シーズンに突入して、山へ近づけなかったこと。 すまんのう、野菜達よ。 でも、やっぱり、私達がズボラすぎたのだ。 早く種を蒔かねば蒔かねば と、あせるあまり 最初の土作りの時、石灰さえ混ぜなかった。 ご存じない方のために説明しておくと、野菜作りをする場合、まず土に石灰や木灰を入れて 土壌にアルカリ性分を、足しておく必要があるのです。 そして、石灰を入れた土には、すぐには種は蒔けない。 約2週間ほど、種蒔きを待ってやる必要があるのです。 多分、土壌の酸性分と、アルカリ性分が、ほどよく中和するのを待たねばならないのでしょうね。 が、気がせいていた私達には、この2週間が待てなかった。 で、 種蒔き。 この時、肥料も入れなかった。 後で追肥したらええわ などと呑気にかまえて。 種蒔きが遅れてる分、追肥の時期も遅れるっつーに。その頃は、花粉シーズンだっつーに!アホが! そんなこんなで、春野菜は無惨極まりなかった。 超簡単・初心者にもお勧めよ♪ のラディッシュさえ ろくに大きくならないまま、気がつけば、すが入り、背が伸びに伸びて花を咲かせていた。 菜花は、 ちっとも茎が太くならなかった。 そしてヤセっぽっちのまま、これも気がつけば、ヒョロヒョロと背を伸ばし、花を咲かせてしまった。 仕方が無いから、こいつは切って帰って せめてもの、部屋のなぐさみに。とほほ。 ただ、15戦全敗、というわけでもなかったのだ。健闘してくれたものもいた。 ソラマメである。 こいつは、完全無農薬・無肥料という過酷な条件下 4月24日には、見事可憐な(?)花を咲かせ 5月5日には、ついに いや、もうブラボ〜です。ちょっと小さめなのは、無肥料ということもあるけれど もともと、小降りの実の成る品種を選んだから。シロウトには、この方が作りやすいかと思って。 もちろん ↑このようなやからも、図々しく居ついていたけれども、こいつらは、葉しか食べないから許す。 許されんのは、さやにたかるアブラムシ! キョーレツにたかっていたけど、収穫の際、皆、はたき落とした。 もちろん、アブラムシだから、はたいただけでつぶれてしまったのだけれども。 そして、もうひとつ。 ニンニクも、無事、出来上がっていた。随分小降りではあるけれども。なんせ、完全無農薬・・・以下略。 それでも、掘り出した時には、感動した我々だった。 だって、これ、その辺のスーパーに売っていた<5個で100円>の中国産のニンニクを 一粒ずつにバラして 一粒一粒植えていっただけのもの。 それが、ちゃんと一個のニンニクに育つなんて! そりゃ、本にはそう書いてあったけれども、実際に育ったのを見ると、驚くしかないものなのだ。 そんな畑の恵みを得て (↑この、ぶっとい指は私のじゃないですよ!) この日の夕食は、春の定番<ソラマメのパスタ>。 <材料: ソラマメ、ニンニク、生ハム、パルメザンチーズ> いやもう、ただただ「幸せだ」と思った、この日の食卓。 無農薬・無肥料の我々に、この恵みを下さった畑の神サマに感謝すると同時に 農耕が始まったばかりの頃の弥生人って 私らと同じようにして、作物を作っていたんだろうなぁ なんて考えた初夏の夜。 でも、来年は、ちゃんと石灰も肥料も入れますとも。農薬はともかく、肥料くらいは。 現代人なんだし。 そして、一大ニンニク畑を作るのだ! と決意した我々。 なにせ、週末には、たいていパスタを作っているので、ニンニクはなんぼあっても困ることは無い! やりまっせ!!!!! 2005年6月2日 <初夏の種蒔き・初夏の植え付け> 山仕事や畑仕事をしていると、やはり、漫画や小説・随筆のたぐいでも、 そういう世界を描いたものを読みたくなるもの。 で あれこれ読んでみて 「ええなぁ〜」 と思ったり、お猿のジョージように、真似したくてたまらなくなったり。 屋久島へ移住して農業をやっていらした詩人、故山尾三省さんのエッセイ集 <ここで暮らす楽しみ>も そんな、 真似したいことがいっぱいの本だった。 例えば、掘り出したばかりのサトイモで、焼き芋をすること。 サツマイモの焼き芋より、はるかにサッパリしていて、 塩を振りかけて食べると、ものすごく美味いんだとか。 また 山尾さんが、棉(わた)の苗を持ち歩いた時の話も、とても印象的だった。 それは、本州のとある場所で講演会があり、 それに出演した後、 主催者からお土産に<棉の苗>をもらった時のこと。 その苗を、ビニール袋に入れて、手に提げて、新幹線だの在来線だのフェリーだの乗り継いで 屋久島まで帰って来たのだけれど その旅の途中、 ビックリするほどたくさんの人から、同じ言葉をかけられたというのだ。 「わぁ、棉じゃないですかー」 「棉やないのー」 「棉じゃなかねー」 土地土地の言葉で、皆、ものすごく懐かしそうに、そして嬉しそうに声をかけてきたという。 どの人も、50代後半〜60代後半あたりの女性だったとか。 ほんの50年前まで、日本でも、棉はごく普通に栽培されていたと聞く。 今はもう、 日本にある棉は、すべて中国産だろうし 実際、私の年齢でも<棉畑>というのは、見たことが無い。少なくとも私の生まれ育った所では。 私の知ってる<棉畑>とは アメリカ映画に出てくる、広大なコットンフィールド。 でも、 50〜60代の人達にとっては、昔、ごく当たり前にあったものなんだろうなぁ。 なんてことを思い、以来、<棉>のことは、ずっと気になっていたのだ。 そんな私が 今年の初め頃、新聞で、こんな広告を見かけた。 <棉を育ててみませんか?種を差し上げます。 財団法人・日本綿業振興会> もちろん、手紙を出して種をもらったのは言うまでもない! 今、私の手元には、数粒の棉の種がある。 どんな風に育つのか、 そりゃ、これが育ったからって、機織りが出来るほど取れるわけじゃあないけれど、 とてもとても楽しみなのだ。 漫画の方では、五十嵐大介さんの<リトル・フォレスト>(講談社刊)を 昨夏買ってから いったい、もう、何度読み返していることだろうか。 東北(多分、山形か岩手あたり)の小さな山村に一人暮らしをする、20代の女性を主人公にした このショート・ストーリー集。 田畑を耕し、米を作り、野菜を作り 山から山菜や木の実を採ってきて、また川からはカワエビを捕ってきて ジャムを作り、味噌を作り、 クルミご飯を作り 納豆を作り という、こまごまとした、食に関する日常を、静かに描いたこの作品。 圧倒的な絵の上手さに放心しつつも いやもう、 こちらも、真似したいことのオンパレード。 とは言え、私の借りている山には、クルミは生えていないし 納豆を作るのも・・・・・ まずは、納豆を包む<わらづと>にする藁を作らねばならない・・・ ということは、 まずは、米を作らねばならないってことだから、かなり遠い遠い夢。 そんな中で 「これは出来る!」 と思ったのが、ショウガの栽培だった。 これは、ものすごく簡単。 6月に、種ショウガをポキポキ3〜4個に割って、土に埋める それだけ。 これで、霜が降りる頃には、ちゃんとショウガが出来上がっているというのだから・・・ もう、やらないわけにはいきません!!! ショウガがどう育つのか、見たこと無いから見てみたいし。 そんなわけで、我が家は、この週末、種蒔き・植え付けをする予定。 棉、ショウガ、バジル、ゴーヤなどが、畑へ行く日を、机の上で待っています。 今度は、上手く育つといいけど・・・。 もちろん 石灰も、腐葉土も、油かすも もう土に入れてありますが。 追記: ・・・・・ところで、今年はタケノコが裏作のよう。 よそのモウソウチクも、出が悪かったらしいが、我が里山のハチクも、まったく姿を見かけない。 竹林の管理の面から言えば、もう、出てくれない方が楽なんだけど・・・ それにしても、一本も見かけないとは??? 柿や栗も、裏作の年と、そうじゃない年の落差が激しいけれど、タケノコもそうだったとは! 2005年6月19日 <その1:草取り草取り> それにしても、植物の生命力というのは、ホントに強烈だ。 気温のグングン上がるこの時期、山といい畑といい、草刈りしても草刈りしても草刈りしても たった2週間で、元どおり。 片づけても片づけても、あっと言う間に散らかり、ホコリが溜まる部屋の掃除にも似て 我々人間は力つきそうになってくる。 畑の雑草も、本当は毎日見に行って、チョコチョコと出てくる草を抜いていれば なんてことは無いはずなのだけれども、 悲しいかな 我々夫婦は、週に一度、畑へ行けるかどうかの身の上。 なので、毎回、雑草と格闘しに里山へ行っているようなものなのだった。 「とにかく、行ける日に行って草を刈るぞ!でないと草に負けてしまう」 と夫。 1週間前に完成した、この夏野菜の畑も もちろん、今年も一大ゴーヤ畑を作るつもりで、一所懸命支柱を立てたのだけれども これとて、たった一週間のうちに このとおり。 この初夏の四国は、とにかく雨が降らず、農家も「水が足りない、足りない」と困っているのだけれど 雨も降らないのに、何故あんたらだけは、ここまで威勢良く伸びることが出来るのか、雑草よ。 おのれーー!!! それでも、雑草とともに、無事、綿(わた)の種が芽吹いたのは嬉しかった。 初めて見た綿の双葉は、意外にでかく、そして妙に丸っこくて可愛らしかったです。 さて、山の方でもやはり、植物の生命力に驚かされることがあった。 というのは、昨年台風で倒れた、例の大クヌギ。↓ 解体されて↓こうなったのだけれども 根っこは、重くて、もう撤去出来ず、そのまま斜面に残しておいたのだ。その根っこからなんと <ひこばえ>が出ているではありませんか!・・・生きていたんだなぁ・・・このクヌギ。 本当は、根っこも片づけて、綺麗にさら地にしたかった斜面だけれども もうこうなったら、 このクヌギが、どういう風に成長していくか、見守っていくしかないかも・・・と思う今日この頃。 ところで、山の手入れで嬉しかったのは、 杉林の斜面に、↑のように、綺麗に下草が生えたということだろうか。 ここは、以前は↓のように、20年分の落ち葉に、厚く厚く覆われていた場所だったのだ。 それを、必死で落ち葉かきしたら、地面に光が当たって、下草がフサフサと生えた。 これで、健康な山へと、一歩前進! いや、畑だと、先に書いたように 「キィ〜〜〜ッ!雑草が!!」 と怒髪天を衝くところなのだけれども、場所が変われば雑草も嬉しいものです・・・ って、人間って、ホント勝手なものです。 関係ないけど、夫は無事に(?)クバ笠デビューを果たしました。 2005年6月19日 <その2:シイタケの本伏せ> さて、台風でぶっ倒れた大クヌギを解体して、それにシイタケを食菌したのは <里山オーナーの話(7) 2005年2月24日>にも書いた通り。 ここで、シイタケ作りというのを説明しておくと ほだ木(シイタケを食菌する丸太のこと)にシイタケ菌を植え付けた後 まずは、地面にほだ木を寝かせて2〜3ヶ月置いておく<仮伏せ>というのをやる。 何故やるのかは知らないけれど とにかく 春先に食菌をし、梅雨入り直前くらいまで、日の当たらない場所に、ほだ木を寝かせておかねばならない と本には書いてあるし 先輩方も、そうおっしゃる。 で、それから次は<本伏せ>。 これは、柵を作って、ほだ木をそれに立てかける作業で 私は絶対に<本立て>と呼びたいのだけれども どういうわけか<本伏せ>と言われている工程なのだ。 先日、それをやった。 我々の借りている区画の一角にさら地を作り・・・ と書けば超簡単だけれども 間伐した杉の丸太を、何本も積み上げて置いた場所、そこを本伏せ場に決めたため、 まずは、 その丸太を、二人で黙々と移動させ(口をきく気にもなれないくらい辛い作業だったのだ) 空いた場所を掃除し そこに、杭を立て↓ 鉄条網を張り↓ そこへ、ほだ木を立てかけていった。↓ あ〜〜〜〜〜あ〜〜〜〜〜しんどっ!!!!! 上の写真の左端の方にチョロッと見えているのが、 口もきかずに移動させた、杉の丸太の一部です。 最初の、この丸太の移動の作業がなかったら、本伏せ、もうちょっとは楽だったはずなのに。とほほ。 ともあれ、これで上手くいけば2年後の春、もしくは秋には 食べきれないほどのシイタケが手に入る・・・・・かもしれない。 いや、食べきれるくらいは、せめて、無事育って欲しいものです。 ところで、この本伏せの、杭を立てる時 打ち込むには地面が硬過ぎるので、ショベルで穴を掘って、埋め込んでいったのだけれども 畑と違って、 山を掘るのは、本当に難儀なことだった。 掘ると、たちまちのうちに、竹の根にぶつかる。 木の根にあたる。 石にショベルを跳ね返される。 というわけで 穴を掘った夫。 直径5センチ強の杭を埋めるための、たった3個の穴を掘っただけで、疲労困憊してしまい 叫んだ。 「ようサスペンスドラマで、 死体を山の中に埋めたとか言うけどのー あんなん、絶対にウソじゃ!」 私も、ホント、そう思います。 |
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