犬〜イヌ(1) 弘法大師(空海)の和犬−1 |
弘法大師(空海)は、和犬に先導されて、高野山の開山を決めた。この和犬は神使ともされる。 大師と密接な関係にある丹生明神、波切不動、成田不動、目黒不動には対になった和犬像がある。 |
空海(弘法大師)は 804年、最澄らと共に唐に渡り、唐の都長安の青龍寺で恵果和尚から真言密教を学んだ。
帰国の時、空海は唐から日本に向かって「密教を広めるのに最適の地に落ちよ」と唱えて、 三鈷杵(サンコショ/写真)を投げた。
帰国後、その三鈷杵を探して高野山に到った空海は、山中で白黒二匹の犬を連れた狩人に出会い、その犬の先導で、松の木に懸かった三鈷杵を見つけ、「真言密教の地」として高野山開山を決めたとされる。 この時の犬を連れた狩人は、丹生都比売(ニュウツヒメ)神の子である狩場(高野)明神だったという(今昔物語など)。<高野山開山伝説><高野山開山伝説〜その2> 空海は「金剛峯寺」建立時に、丹生都比売神・狩場明神を地主神として高野山へ勘請した。 このような故事から、丹生・狩場明神は、空海並びに密教の「護法(守護神)」ともされて、空海や高野山の関連する寺社などにも、その神使の和犬が置かれるようになったと推察される。 |
ここで紹介する四社には、共通して、首輪をした和犬像がある。
いずれの社も弘法大師と「密接な関係」にあり、これらの和犬は、 「弘法大師・密教の和犬」像ともいえる。 |
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丹生明神の神使は和犬なので、その神使である和犬像が参道に置かれている。
首輪をした和犬である。 嘉永3年(1850)建立。 |
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徳川時代、黒田直純が久留里城の城主となった際に、丹生明神が遷宮され、 現在では城山神明社に合祀されている。 千葉県君津郡久留里久留里城址内
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