高野山開山伝説 その2
玉泉寺 本堂 欄間の 「弘法大師一代記」レリーフ
「飛行三鈷」

真言密教を会得した空海(弘法大師)が、唐から「真言密教を広めるのに最適の地に落ちよ」と願って、
日本へ三鈷杵(サンコショ)を投げる場面

「高野山開創」

唐から投げた三鈷杵を探して高野山に到って、狩場明神の二匹の犬の案内で、松の木にかかった三鈷杵を発見して高野山開山を決める場面。

ちょっと見にくいが、後ろの雲に、丹生都比売神と狩場明神がっそれぞれ乗っている。
また、犬は、宝登山がお犬さま(オオカミ)信仰の場であることから、和犬というより、山犬、オオカミ風に表現されている。

秩父市長瀞の宝登山神社は明治元年の神仏分離令前の別当寺である「玉泉寺」をベースとしている。
「玉泉寺」は永久元年(1112)、開山法印空圓の開基と伝えられるが、江戸時代になると日本武尊伝説などに因んだ御眷属「お犬様」信仰の場として知られ、それがそのまま宝登山神社に受け継がれている。
 
現在では、「玉泉寺」の本堂は宝登山神社の客殿とされているが、本堂の欄間に弘法大師の一代記が12面の「浮き彫り」にされている。
この本堂は文政12年(1829)の再建なのでこの欄間彫刻もその当時のものと思われる。