■題名
「この刀はな、もとは儂のものなのじゃ」
 地面に座り込んだ沓杷が口を開くころには、夜のとばりは下りきっていた。先ほどまでの争いを忘れ始めた虫たちがちらほらと鳴き始めている。呼び出した鬼火はなぜだか沓杷を恐れて、春枇の後ろに隠れるように漂っていた。
「とは言うても、儂も譲り受けたものゆえ、本来の持ち主はもうのうなってしもうたが」
 沓杷は膝の上に乗せた刀をいとおしそうに撫でている。つぶやくような声音でもはっきりと春枇の耳に届く。今は手を伸ばせば相手に触れられる距離だが、遠く離れてもそれは変わらないのだろうと、松の幹に背を預けたまま、春枇はぼんやりと考えた。押さえた脇腹がじっとりと熱を持って痛む。
「その刀を、なんで梅に」
「話をする前にひとつ、頼みがあるんじゃが」
「なんだ」
「終いまで、話を聞いてくれ」
 白鞘が目の前に突き出される。
「どういう意味だ」
「このとおり、刀は返すので」
「はぐらかすな!」
 怒鳴る。大げさな身振りで耳を押さえる沓杷だが、なにせ片腕だ。耳を押さえ損ねて顔を顰めた。非難がましく唇をとがらせて言ってくる。
「耳元で大きな声をだすな」
「ちゃんと話せ。俺の顔を見て」
 肩をつかんでこちらを向かせる。細い肩だ、片腕で白虎を斬ったとは思えないほど。それを強く掴んで、視線を落としたままの沓杷が、自分を見るまで黙って待つ。
「沓杷は梅治さまに使役されていたことがあるのです」
 答えたのは、別のものだった。春枇の後ろ、松の木陰から柚が姿を現した。怪我もない様子で、遅くなりました、と春枇に向かって頭を下げる。
「梅が、こいつを?」
「そうなのでしょう、沓杷」
 黒猫が問えば、初めて無敵とも思えた物の怪の瞳が揺れた。
 聞いたことがない。肩を掴んだまま、春枇はまじまじと沓杷を見下ろす。確かに梅治は使役する物の怪を見せびらかしたりする方ではなかったが、あんなに一緒にいても、聞いたこともなかった。
「梅治を殺したのは、儂も同然じゃ」
 沓杷の口からこぼれる言葉は相変わらず唐突で間延びしていて、変な気負いがなくてかえって真実みがあった。
「ちょっとした行きがかりで儂と、昔なじみとの間で賭をすることになってな。巻き込まれぬように梅治に事の次第を話して起請陣を返してもらったのじゃ」
「賭?」
「初めはもう忘れたわ。決定的だったのはやはり、白虎だったのだと思う。あやつめ、儂が眷属をおもしろ半分に殺しおった」
「そんなの、茶飯事だろう」
「喰うのはな。まあ、なんにせよ、儂が存在する限り儂が眷属には手を出さぬ約束じゃ。儂はおらねばならぬ」
 生きていなければならない、それが仲間を守る方法だから。白虎は、沓杷の昔なじみの眷属だったのだろう。沓杷が強くて目障りならば、それを使役する狩人に目をつけるのは時間の問題だったはずだ。
「でも」
 梅治ほどの狩人ならば。まして沓杷という物の怪が一緒ならば、たとえ白虎であっても脅威とはならないだろう。それにどんな物の怪が相手だろうと、梅治なら、自分の使役獣を守ったはずだ。
 沓杷にどんな事情があれば、梅治に守ることを諦めさせられるのだろう。春枇は答えを探す面持ちで沓杷の顔を見続けた。
「おぬしには、わからぬかもな」
 沓杷はやんわりと笑っただけだった。肩を掴んでいた手から力が抜ける。
「梅は、なんて言ってた」
「気をつけなさい、と。儂が刀を渡したのはそのときじゃ。ちゃんと、身を守るようにと。あれほど言ったのに」
 抜かなかったのだなあ、と。白鞘をこつりと額に当てて。
 白虎は知らなかったのかもしれない、起請陣を返したことを。いや話を聞く分では知っていたとしても、梅治を狙ったかもしれない。
「じゃあ、玄武は」
「玄武は仇がとりたかったのじゃ。半身を喰われた梅治と最期をともにすることを選ばず、起請陣を返してもらって、身一つに戻った。まあ、春枇も仇討ちと知って嬉しかったんじゃろ、調子にのりおって。そのまま放っておけばおぬしに退治されそうだったし、横取りした形になって、悪かった」
「そうか」
 玄武に起請陣がなかったのは。
 梅治がこいつを頼むと言ったのは。
「そうか」
 すべて、納得した。
「そうか、だけか?」
 きょとりとして、沓杷が聞いてくる。
「なにがだ」
「じゃって、儂が梅治を巻き込んで、死なせたのだし。おぬしだって大けがして、下手すれば玄武に殺されるところだったぞ。儂のこと、仇だと息巻いておったではないか」
 刀を返そうとしたのは、そういうことか。生きていなければならないと言いながら、同時に覚悟もしていたのだろう。それだけ、沓杷の中の梅治は大きな存在なのだ。なんだかさっきから納得しっぱなしで体が軽くなるばかりだ。
「あなたも、梅治さまの仇をとりたかったのでしょう?」
 沓杷の隣にちんまりと座って柚が言う。金色の瞳で見上げられて、沓杷は黒猫の小さな頭をぺちりと叩いて、そんなことあるか、などと言っているが。自分のせいで昔の主が死んだとなれば、誰より仇を討ちたかったのは沓杷自身だったかもしれない。
「梅治は」
 沓杷の前に、あぐらをかいて座り直す。視線をあわせると物の怪は、実に人間くさい仕草でわずかに顎を引いて、ぱちくりと瞬きをしてみせた。
「梅治は、最期におまえを頼むって言ったんだ。俺に、おまえのこと頼むって言いたかったんだ」
 仇を討てとは言わなかったのだ。
 刀の持ち主を、面倒見てやれ、と。そういう意味だったのだと、今ならわかる。起請陣を返してしまって行方知れずになった沓杷の事を、最期まで気にかけていたのだろう、それが、一番梅治らしい。
 あふれる感情が口をついて声になった。声を出して笑うと、脇腹の傷に、やけに響く。
 地面にばったりと寝転がる。高い松の木々の向こうに、満点の星空が見える。
 見上げる星空は、いつもと変わらない夜の景色。
 雲もなく、風もない、ただ、晴れた夜空。
 星空は深くて遠くて、星々の区別が付かないほどたくさんの瞬きに占められている。
「もう、着いたかな」
 いくら天国まで遠くても。
 さあどうでしょう、と柚が苦笑する。
 沓杷だけが、夜空を見上げて不思議そうな顔をしてみせた。

 <了>
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