全身に緊張が走った。それに気がついてディベルスが足を止める。 「先生?」 たまたまだった、この街にきたのは。屋敷を空けるのは心配だったが、出先で祭りがあると知れ渡ってしまい、留守番が誰もいなくなってしまったのだ。唯一残ってもよいと言ったディベルスこそ今回同行してもらいたかったので、こうなったらみんなで行こう、と今に至る。ディベルスは任務で行くのだから、と苦い顔をしたが、ヴァンゼにじゃあ祭りには行かないのね、と言われると、そこはきっぱりと否定していた。 「いや、大丈夫です」 ディベルスは納得していないようだった。敏い子だ、と思いはしたが、決定されていない不安事項を安易に告げるわけにはいかない。緩く笑んだだけで、しかしそれがディベルスに確信させたようだった。歩き出す、神経を張り巡らせるのが気配でわかる。 「とりあえずまだ時間はありますから、闘技会でも見に行きますか。ウォーカーがでると言っていたし」 なるべく、刺激しないように。こちらの緊張が相手に伝わるのもまずい。 あの、銀髪の男に。 「楽勝!」 ウォーカーは拳を握る。闘技場を降りると、下で待っていたヴァンゼと手を合わせる。 「あんたの優勝に全額賭けてるんだから、がんばりなさいよ」 「損はさせないさ」 ヴァンゼがはっぱをかけると、任せろとばかり、ウォーカーは拳を突き出す。ただし、とちらりと視線を向ける先には赤髪の男。以前、自分の左腕をとばした男が、同じ大会に参加していた。 「なによ、怖じ気づいているの?」 「ばかいえ。ふつうにやったらおれの方が強いってことを教えてやる」 あのときは、グレンテがいたから。主を守ることが自分の第一だ。それがなされたならば、十分に勝ちと言える。そう、自分は負けてはいない。 「相手は槍よ?」 ウォーカーは素手だ。しかしこれが自分の動きを一番制限しないのだから、勝手がよい、とも言える。ヴァンゼのから挑発するような視線を受けて、ウォーカーは自信満面に笑う。 「まあみてな」 「勝者、アリエッタ」 ひときわ大きな歓声を浴びながら、アリエッタは階段を下りる。拍手で迎えてくれるのは主のグレンテ。その横に、仏頂面のディベルスは腕組みをしている。 「おめでとうアリエッタ。いい試合でしたよ」 「ありがとうございます、先生」 自分のことのように喜ぶグレンテと、ほめられて、競技で上気した頬をさらに染めて喜ぶアリエッタ。最初アリエッタが闘技会にでると言い出したときはどうなるかと思ったが、なかなかどうして見事な剣捌きだった。グレンテが毎日教えているだけのことはある、とディベルスは二人を見ながら思う。 「えへへ、勝ったよ」 少し自慢げに、アリエッタがディベルスを見上げている。ディベルスは仏頂面を深めると、口を開いた。 「おまえはむやみに剣を振り回しすぎだ」 「えー」 「えー、じゃない。いいか、だいたいおまえは力もないのに」 ディベルスの説教が始まる。グレンテはこっそりと笑う。全く素直ではない。心配ならそうと言えばいいのだ。けれどそれを言っても、アリエッタに全額賭けさせられたからだ、とうそぶくだけだろう。 二人の口論は続いている。 「準決勝まできちゃうなんてね」 ヴァンゼが言っているのはアリエッタのことだ。ウォーカーがここまで勝ち残ることは予想していたが、まさかアリエッタがここまで勝ち進むとは思っていなかった。彼女は、ただの人間で、ただのメイドだったから。先生の教え方がうまいという事かしらね、とヴァンゼは一人で頷く。 ウォーカーは机に脚を投げ出して眉根をよせた不機嫌そうな顔をしていた。 「なによ、くやしいの?」 「心配してるんだよ!」 アリエッタの準決勝の相手は、あの、赤髪の男。自分より先にあの男とあたるなど。まさか闘技会で命を奪われることは無いだろうが、正体もその強さも知っている身になれば、自分の敵を取られてくやしいよりも、やはり心配が先に立つ。 それに。グレンテとディベルスが、先ほどから任務でいない。赤髪の男とその一味が来ているのならば、自分は浮かれて闘技会になど出ている場合ではなかった。魔王も自分たちの身も全力で守らなくてはいけないのに。 「大丈夫よ、大衆の前だしね。派手なことはできないわよ、お互いに」 意外とアリエッタ勝っちゃうかもしれないわよ?と、からかうように言われて、ウォーカーはむっつりと押し黙った。お互いお祭り気分で終われればよい、本当に、そう願う。 「ただいま」 控え室の扉が開いて、アリエッタが顔を出す。さすがにすこしやつれた表情をしていた。本戦を勝ち抜くプレッシャーは相当のものだろう、当人はそれでも楽しい感情の方が強いらしく、終始笑みを浮かべている。 「遅かったじゃない、あんたのファンにでも掴まっていたの?」 「あ、うんと、ファンっていうか」 冷やかしで言ったつもりの言葉に、アリエッタがしどろもどろになって、それでも嬉しそうに話し出す。顔を洗いに行った帰り、少年に呼び止められたこと。試合を見てファンになったのでサインが欲しいと言われたこと。お守り代わりに髪の毛を一本欲しいと言われたこと。それからぜひ優勝してください、応援してます、うんたらかんたら。 「なによ、人気者じゃない。サインしてあげたの?」 「してないですよ、恥ずかしいし。かわりに握手して。あ、その子、すっごいきれいな水色の瞳してて、珍しいですよね、そんな色。この辺じゃそうでもないのかな」 「水色ねえ、霧の街にはいないわね」 「ですよね」 「おい、アリエッタ、呼ばれてるぞ」 机の上に足を投げ出したまま、ウォーカーが闘技場につながる扉を示す。アリエッタは慌てて試合用の短剣を掴んだ。気持ちを落ち着けるために深呼吸する。 「気をつけろよ」 「はい」 ウォーカーの真剣な表情に、アリエッタは深く頷いた。 「勝者――」 「まさかね」 ヴァンゼが言う。言葉とは裏腹に表情は明るく、頬をわずかに紅潮させている。まるで自分のことのように喜んでくれるヴァンゼを見ながら、アリエッタも手で顔に風を送りながら言う。興奮状態が続いていて、体が熱い。 「本当ですね、優勝しちゃうなんて思ってもみなかった」 「夢じゃないわよ、アリエッタ。あんたが勝った。大口ばっかり叩く誰かさんと大違い」 「うるせえな」 「ごめんなさい、私相手だったからやりにくかったですよね」 「いや、正直すごい進歩だった、たいしたもんだ」 「油断したって言いたいわけ? 魔王様の使い魔ともあろう者が」 「そこまでうぬぼれちゃいないさ」 「損はさせないとか大見得きっておいて、私無一文なんだけど?」 「賭だろ、外れりゃそんなもんじゃ……」 「言い訳よ? それ」 「おい、アリエッタ、何とか言ってやってくれよ」 結局、アリエッタは赤髪の男を破り決勝へ進出、順当に勝ち上がったウォーカーを破って優勝。観客の声でヴァンゼが耳にするほとんどが、赤髪の男、ウォーカーともが、女の子だと思ってアリエッタに油断した、という見方だった。だが油断したにせよ、その油断につけいるだけの実力を持つようになったのだ、アリエッタは。ウォーカーの言うとおり、すさまじい進歩だと、ヴァンゼは思う。 「アリエッタ?」 返事をしない少女の顔をヴァンゼが覗き込む。ウォーカーが細い肩に手を置くと、アリエッタの手がウォーカーの手を握った。 「ごめんなさい、立ちくらみ」 反対の手で顔を押さえる。笑う声に力がない。 「大丈夫? 顔色悪いわ」 「たくさん試合したから、疲れが出たんだろう」 「慣れないことは、しないものですね」 「そんなことはない。初めてがなくちゃ、慣れることはないんだ」 ウォーカーがアリエッタを抱き上げる。驚いたアリエッタが短く声を上げてウォーカーの衣服を掴む。 「あ、歩けますから、ウォーカーさん。大丈夫ですってば」 「無理するな、そんな顔見せたら先生心配するぞ」 「あう。でも……ちょっと恥ずかしいんですけど」 尻つぼみに言うアリエッタを、役得とばかり抱いて歩くウォーカー。まったく、とあきれたため息をつくヴァンゼも、落ち着いた雰囲気の料理屋を見つけると足を速めた。 「あそこのお店で休憩しましょ。もちろんウォーカーの支払いでね。先生ももう戻ってくるだろうから、動き回らない方がお得よね」 「わざと高そうな店選んでるだろおまえ」 「あら、わかる?」 アリエッタの優勝した姿を見られなくて残念だ、とがっかりした様子を全面に押し出したグレンテと、賭されられた全額が果たしていくらだったのか、想像つかないほどの大金を手にしたディベルスが三人の前に姿を現したのは二時間以上後のことで。店の支払いにウォーカーが泣いたのは言うまでもないことだった。 |
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