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「雨の無い国を探しています」
 外套に身を包んだ細長い男は、荷物を背負いなおして、一度瞬きをした。

 互いに簡単な自己紹介をすませた後、グレンテは、旅の男と場末の小さな定食屋で昼食を一緒にすることになった。大陸を徒歩で旅する吟遊詩人だという。体格は旅をしていると言うには華奢なようにも思えるが、筋肉質の詩人というのもらしくない気がして、男の荷物にも視線をやった。彼の荷物の中には、なにがしかの楽器もあるのだろう。ここからではテーブルと体の影で判別できないが。
 どうにも観察してしまうのは警戒したからではない。旅をしているという人間がどういうものなのか、興味があったのだ。旅をするにはどれくらいの体力があればよいのか、どれくらいの荷物が必要なのか、金は必要なのか、特殊な能力を持っているのか、など。けれど旅人を見慣れないグレンテには、正直外見を見ただけではほとんどわからなかった。
 呪いでは人を見る目は備わらなかったと言うことか。
 思いついて、当たり前のそのことに内心苦笑する。
「そんなに見つめられると恥ずかしいな」
 男はおどけて笑うと、頭をかいた。歳はグレンテより少し、いや10歳は上かもしれない。いい年の男がする仕草にしては、幼い。もし旅するものがすべてそういう、警戒心を無くさせるような無邪気さ、のようなものを持っていなければならないとしたら、自分に旅は無理だ、そう思えた。
「すみません」
 言って、視線をはずさないまま、頭を下げる。どうにも相手を観察してしまう。どちらかというと観察でさえなく、単に見とれているだけのような気もする。目の前の男が持つ雰囲気に飲まれてしまっている。
「いえいえ」
 笑う男につられてグレンテも笑顔を作ってみる。彼のそれは、多少ぎこちなかったが。
「吟遊詩人の方は、みんなそうなんですか?」
 問うてみる。男は少し頭を傾いだが、ああ、とまた人なつこい笑みを浮かべて頷いた。
「私だけでしょう」
 どうとでも解釈のできる、答え。わざとだろうか、とも思ったが、思い返せば自分の質問こそどうとでも解釈のできるものだ。はたして男はどう解釈したのか。さすがにそれを問うことはできそうにない。
「グレンテさんは雨の無い国お探しだそうですが」
 男はウェイトレスになにやら頼んで、失礼しました、と断りを入れてから口を開く。特に姿勢を正すことはせず、テーブルの上で、左右の指先を合わせた。
「雨が無ければ大地は枯れます。毒を含んでいるとはいえ、雨は人にとって必要なもの。あなたは、それをわかっていて雨の無い国を探しているのですか?」
 雨のない、水のない国。男の言うとおり、生物が生きるには水分が必要不可欠だ。逆に考えれば、一滴の雨も降らない、水のない国など、国として存在できるはずがない。つまり雨の降らない国など存在できない。
「はい」
 グレンテ自身も、そんな国があるのか疑っていた。けれど力を得た以上、声には従わなくてはならない。自分を魔王に選び、力を与えた呪いの声。強制されているわけではないが、それが約束だから。
 グレンテは多くを語らず、頷いた。
 なんと説明してよいのか。自分は呪いにかかっていて、幻聴の声に従って雨のない国を探しているのだ、などといったら、馬鹿にしていると思われかねない。説明できないのなら黙っているに限る。
「もし今まで旅した中でそういう国があったなら、教えて欲しいんですが」
 まっすぐ見据えられる、その視線を真っ向から受け止めながら、グレンテは言う。吟遊詩人の黒い瞳は射抜くような強さは持っていなかったが、吸い込まれそうな深さがあった。心を外側から包み込まれるような、今まで味わったことのない感覚。
「ひとつ、教えて頂きたいのですが。あなたは雨の無い国でいったい何をするつもりなのですか?」
 男は思案げに顎を指で叩きながら、言った。
「種を、蒔こうと思っています」
 グレンテは姿勢を正すと、そう、答えた。教会でひらめいた言葉。自分も、この世界を動かすための種を蒔くのだ、と。蒔かれた種が芽を出し、花をつけ、いつか、たった一つでも実を結べば、世界はきっと救われるはずだ。
 グレンテは笑う、柔らかく。
 指を合わせたまま男は、瞑想するように目を閉じた。
「メデロウスという都市はご存じですか」
「メデロウス。ラカンタ地方の、ですか」
「そう。ここからだとざっと東に徒歩で10日というところです。身一つで行くのなら、それほど時間はかからないでしょう。霧深い都市といわれるあの街は、その二つ名の通り一年の大半を霧に覆われた場所ですが、私が知る中で一番雨の少ない場所です」
 男はゆっくりと目を開いた。
「砂漠に種を蒔くよりは、芽吹くと思いますよ。魔王さん」
 あっけにとられる魔王をよそに、吟遊詩人は優雅に微笑んだ。
 ウェイトレスが料理を運んできた。

――41.吟遊詩人 




40.指輪 目次 42.裏切り


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