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「ねーえー オボロォ」
 暗闇の中、ヒビキの声はひそめられてはいたが、遠慮の色は全くなかった。就寝してからとうに一刻たつというのに、起きていることを疑っていない口調。
「今日は夜が長いねェ」
 寝返りを打つ気配。それとも独り言、だろうか。オボロは考える。これだけ大きな声の独り言など……いや、ヒビキならあり得るか。それなら返事をすれば驚くだろうか。いや、喜ぶだけだろう。オボロは目を開ける。カーテンを閉め切っているので月明かりもない、暗闇。けれど人間の目は便利なもので、闇に慣れればうっすらと部屋の輪郭が見えてくる。人形では、こうはいかないだろうな。声は出さず、苦笑する。
「何笑ってるのさ。何かおかしなこと言ったァ?」
「言っただろう、夜はいつでも同じ長さだ」
 笑ったのが見えたのか、ヒビキの声に笑みを収めて、言う。隣のベッドから「えー」不満そうな声が上がった。
「夜が明けるまであと6時間はあるよォ?」
「いいことだ。十分睡眠を取ることができる」
 ヒビキは頬をふくらませた。見えたわけではないが、気配で知れる。
 静寂は、一瞬だった。毛布を跳ね上げる音がする。
「ねェ オボロ」
 ヒビキのトーンを落とした声音。ささやくというほど小さくないが、あたりに気を遣っていることが知れる。隣の部屋にいる人間を気にしているのだろうと、オボロは思った。
「ねえってば」
 黙っていると、わずかに焦りを含んだ声。仕方なしにオボロは顔をそちらへと向けた。口を開く。
「……聞こえている」
 ヒビキは跳ねのけた毛布と絡まって、ベッドの上に座り込んでいる。目が合うと、じゃあ何ですぐ返事をしないのさなんとか、と口の中だけでぶつぶつ文句を言ったが、しばらく見ているとそのままおとなしくなった。一度視線を横へと逃がし、改めて視線を合わせてくる。
「あのさ。あの、魔王って、なに?」
 馬鹿にしているのか、と思ったがそうではないようだ。ヒビキはまっすぐにオボロを見ている。ヒビキは純粋に足りない知識を埋めたいだけなのだ、オボロはさとる。
「何故そんなことを聞く?」
「えェ!? えェと……」
 わずか前のめりだったヒビキが大仰にのけぞった。しどろもどろに言葉を探しているヒビキに横になったままため息を漏らした。隠すほどの事なのか。いや、ヒビキだからこそ気が付いたのかもしれない。少年の眠れない原因。
「素っ頓狂な声を出すな。隣に聞こえる」
 はっと、両手で口を押さえるヒビキ。視線が見えない隣の部屋の人間へと向けられる。耳を澄ましても物音はしなかった。時間が時間だ、眠っているだろう。もし起きていても先ほどの声量程度では聞こえないだろう。もう一度息を吐いてから、説明してやる。
「私見ではあるが。魔王とは」
 少年は本当のことが聞きたいのだろう、お為ごかしなどで彼をごまかすことはできそうになかった。あたふたと再び前のめりで聞く体勢に入ったヒビキを横目で確認して言葉を続ける。
「魔界へとつながる門を守るもののことだ」
「……門番?」
「そう。あるいは、門そのもの、と言った方がいいかもしれない。魔王とは、魔界の王のことではない。魔族でもない。魔界と人界をつなげるだけのエネルギーを持ち、魔界と契約をした人間のこと、だ」
 魔王は魔界の王に魅入られた人間のなれの果てだ。自分の欲望のために魔族を人界へと呼び込み使役する、けれどその行為は魔界を人界に呼び入れる行為に他ならない。度が過ぎれば自分が支配する人界を魔界に取られることになる。危ない互助関係。
 ヒビキがかくんと首を傾ぐ。
「人間だったら誰でも魔王になれるの? 僕も?」
「理論的にはそうなる。人とは多かれ少なかれそういうエネルギーを持っているものだ。実際に魔族が通れるほどの門を開けられるものは限られているだろうが。魔界と人界をつなげる素質があるものをすべて魔王と呼ぶのなら、魔王は掃いて捨てるほどいるだろう。けれど実際、人界で魔王として機能しているものは少ない。たいていのものは自分の持つポテンシャルに気が付くことはなく、気が付いても魔界と契約するところまでいく人間は、そうはいない」
 魔王となりうる人間がすべて魔王として機能すれば、人界はあっという間に魔界に取り込まれるだろう。ところがそうはならない。人間にそれだけの力があると、知らないからだ。知ろうとしない、人間がその無関心からくる無知ゆえに、その身を守っている、とも言える。
「勇者が魔王を倒すことは当然の成り行きといえる。人界を守る方法に気が付いた人間の、当然の行為だ」
 ヒビキは眉根をよせて難しい顔をして、うなった。
「それじゃあさ、天界と人界はつながる?」
「つながるな。神聖な力場を持つ聖域と呼ばれる場所は、天界とつながることがある。が、天族が人界に現れることはほぼない。魔族と違い力のない天族は人界でその形を保てないからだ。これは天界と人界を支配する力場の差からくるわけだが、天界より人界の方が、生命に影響を及ぼす力場からの作用が複雑である、と言われている。実際に天族を人界で見ないことからも、定説に近い何らかの理由があるのは間違いないだろう」
 ふゥん。と、気のない返事が返ってくる。枕を抱いてヒビキは数刻押し黙った。
「オボロの言っていること難しくてよくわかんないけど。てことはつまり、勇者が魔王を倒しても、世界は平和にならないんだね、たぶん」
 一人の魔王を倒しても、魔界の王がいる限り、また魔王が現れる。
「おまえは十分理解している」
 オボロは視線を天井へと向けた。輪郭の見えるだけの天井ははっきりとはしないが、間違いなくそこにあった。魔界の王の存在に似ている。オボロは目を細める。
 隣のベッドで少年の多少落ち込んだ声。
「モデストには言えないね」
「……ああ」
 勇者が魔王を倒しても、世界に訪れる平和は一時的なものだ。雨もその毒を薄めるだろうが、モデストが求めるものとは、違うだろう。毒の雨を無くし、世界を真の平和へと向かわせるには、魔王を倒すという方法では駄目なのだ。
「本当に平和にするには、さ」
 枕を抱いたままヒビキがこちらを見ている。大きな枕に頬を預けて。理解する力を示すその少年は、目を細めた。
「魔界の王をやっつけないとダメなんだね」
「……ああ、そうだな」
 肯定すると、ヒビキは目を閉じた。闇の中でも光を失わない水色が隠れる。
 人界を魔王から守るには、つながる魔界を破壊しないといけない。魔王を殺さず、門を通って魔界へと行き、魔界の王を倒す。それで初めて、真に魔王を倒したといえる。
 けれど。
「ねェ オボロ」
 ヒビキの声音は何も変わらなかった。
「魔界ってどんなところかな」
 けれど気が付いていることは明白だった。
 仮に魔界に行って魔界の王を倒せたとしよう。同時に人界に存在するすべての魔王を倒すことができる。人界は平和を取り戻すだろう、勇者の望み通りに。けれどその時点で魔界と人界をつなぐ門の役割を果たす魔王はいなくなる。勇者は、魔界に取り残されて人界の平和を見ることはできないだろう。
「私も行ったことはない」
 そして真に魔王を倒す方法を知ったなら、モデストはためらわず魔界へと行くだろう。ヒビキはそこまで理解している。
 自分たちは魔界の王を殺したものとして、いくらいるか知れない魔族と永遠に戦い続けなければならない。
 オボロはかぶりを振った。少年が「オボロでも知らない事ってあるんだねェ」いたずらな笑みを浮かた。水色の瞳が暗闇で輝きを増す。
「そっかァ 楽しみだな」
 ベッドにきしむ音をたてさせて、ころんとヒビキが枕を抱いたまま横になる。
「寝られそうか?」
「うん、大丈夫そう」
「そうか」
 確認するまでもなく、ヒビキは眠ったようだった。
 オボロは音の無いように大きく息を吐いて、ベッドを降りた。はだけたままの毛布をヒビキにかけ直して、ベッドに戻る。
 横になって目を閉じても、眠気など来なかった。ヒビキに吸い取られたようだ。オボロは小さく苦笑する。隣の少年は指摘して来なかった。元々こんなに長時間の睡眠を必要としない体なのだ。思考する時間はたっぷりとある。
 夜明けはまだ遠い。

――38.勇者と魔王 




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