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 雨が降ると体が痛む。
 グレンテは道の端に腰を下ろしていた。フード付きの外套のおかげで濡れることはないが、体が冷えるのは止められなかった。外套の中で互いの二の腕を掴む。
 雨を、雨の中の毒を受けて体が悲鳴を上げている。
 一つは魔界に魅入られた部分が故郷を呼び寄せるために。
 一つは人界に生きる人間として純粋に生命が危険を感じてあげるために。
 お互いがせめぎ合って、肉体が悲鳴を上げる。二の腕を掴んだ手に力がこもる。しっかり掴んでおかないと、せめぎ合いのエネルギーに肉体がはじけてしまいそうだ。
 雨が降ると億劫でいけない。
 痛みに顔をゆがめながら、グレンテは苦笑する。歩くことさえ億劫で道ばたに座り込んでいるのが、世界を脅かす魔王だと知ったら、宿敵たる勇者は嗤うだろうか。

 雨は降り続ける。だんだん強くなっていくようだった。これからが本降りか、思うとさすがに動かなければ、そういう気持ちが強くなる。雨にあたらなくても痛みは起こるが、それなら家に戻って暖を取っている方がいい。
 せっかく霧の街に拠点を置いたのに。
 座り込んだままグレンテは考える。霧の街を拠点にしたのにはちゃんと理由があった。霧が覆うこの街は湿度高く、年中肌寒く、使い魔たちには評判がよくないが、なにしろ雨が少ないからだ。そして世界中のどの場所よりも雨に含まれる毒も少ない。
 人界で正常に長生きしようと思えば、この街以上の場所は無いだろう。
 世界が枯れていく速度は倍加している。魔王の力を得てからは、それをはっきりと実感できるようになった。目には見えない時間の流れが、確実に世界をむしばんでいる。
 平和な街で暮らす人間は、言葉を聞きこそすれ、実感はないだろう。特にこの霧の街に住んでいれば、毒を含む雨など遠い異国の話で、洗濯物が乾きにくいこの霧の気候の方が大問題だ。
 使い魔たちの普段の様子を思い出して、グレンテは顔をゆがめたまま、小さく笑った。

「先生?」
 雨の気配が遠のく。
 顔を上げると紙袋を抱えた少女が傘を差し掛けていた。
「どうされたんですかこんなところで。具合、悪いんですか?」
「ああ、アリエッタ」
 自分が濡れるのもかまわず傘を差し掛けてくれている少女は、心配に瞳を曇らせていた。グレンテは小さく息を吐いて立ち上がる。なるべく軽快に見えるように気を使ったが、大儀そうに見えたのだろう、アリエッタの表情が曇った。
「大丈夫ですよ、少し立ちくらみが。昨日の徹夜がたたりました」
 自分はちゃんと笑えているのだろうか、さすがにそうは聞けなくて、グレンテは差し掛けられていた傘の柄を掴んで少女が濡れないように直してやる。
「もう、あんまり無理すると体壊しちゃいますよ?」
 アリエッタは心配の表情を残しながらも、表情を崩した。どうやら笑うことには成功したらしい。帰りましょう?と促され、拒む理由もなく一緒に歩く。
「アリエッタ。あなた、世界はこのまま枯れていくと思いますか?」
 傘が雨粒をはじき返す雨の音を聞きながら、隣を歩く少女に尋ねる。傘を少し後ろにずらして、視界を広げてこちらを見上げるアリエッタは、やんわりと笑んだまま小首をかしげた。
「どうでしょう。この街に住んでいると、あんまり実感湧かないですけど」
 出てくる前は、確かに枯れてましたね。と、視線を一度下に落とすと、うーんとうなって一度思案する様子。
 それから唐突に足を止めた。
「あれ? 先生、魔王でしたよね?」
「そうですよ?」
「え、と。雨って、魔王のせいじゃないんですか?」
 唐突な、疑問。グレンテは苦笑すると、濡れた手を気にしながらも、少女の頭を撫でた。柔らかな感触に笑みから苦いものが抜けていく。
「もし魔王が世界を手に入れたかったら、毒の雨で枯らしたりすると思いますか?」
「いいえ。え、あ、でも」
 少女の混乱ぶりが手に取るようだった。つい痛みを忘れて笑ってしまう、声を上げて。疑問符ばかりを上げている少女が、いつの間にか笑うグレンテを不思議そうに見上げていた。痛みと笑いをこらえて、行きましょう、と少女を促して家へと向かう。
 世界は枯れていく、進行形で。
 それを実感しているものは、この街にはほとんどいないだろう。

――37.世界 




36.しるし 目次 38.勇者と魔王


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