>TOPにもどる  




 上が上なら下も下、というわけか。
 その場所に足を踏み入れて、最初の感想がそれだった。

 モデストは壁際に備え付けられた簡易ベッドに腰を下ろしていた。石を敷き詰められて作られた床は、どこからかしみ出した水で浸されている。歩くたびひたひたと、時にはぴちゃぴちゃと音を立てる水たまりの存在に、さすがに床に直接座る気にはなれない。
 この場所を考えれば、ベッドが置いてあるのは寛大な処置、というところか。毛布は十分にしけっているが、床に横になることを考えればいくらもマシと言える。
 モデストは壁に背を預けて片方の膝を抱える。この場所、牢獄の中。
 どうしてこんな事になってしまったのか、とは考えなかった。
 ここで終わるならばそれもまた運命。その思いはあきらめよりも、解放に近い。どうしてなどと考え始めたら、どこまでも時間をさかのぼって、それはもう、とりとめもない。自分の生まれた町を見捨ててきたのだ。たくさんの人々を置き去りにしてきた。今はもう存在しない町、たった一人、生き残りの自分。
 強盗殺人罪、といわれても、殺人の方は否定できないか。
 その罪自体は全く身に覚えがない、けれど、たくさんの人たちを見殺しにしてきた。両親を、兄弟を、町の人を。その事実は否定しようがない。誰がなんといっても、みんなを連れて避難するべきだったのだ。どこの街にでも流れてゆけばよかった。雨を避けて流浪の民になるのでもいい。生きてさえいれば、生きてゆけさえすれば、いいのだ。
 モデストは生まれ故郷を、半ば追い出されたように出立した日を思い出す。あなたは勇者なのだからね、生きていかなくてはだめよ。母親はそういった。あれは自分を生かせるための方便だ。自分一人を生き残らせるための。

「なんだよォ もう。痛い、痛いってば、放せっての」
 きゃんきゃんとうるさい声が、地下牢に響き渡って、モデストはゆっくりと目を開けた。騒ぎがだんだんと近づいてきて、自分の牢の前で止まる。10歳を数えたほどか、暗がりの中でもはっきりとわかる、水色の瞳が一瞬、モデストをとらえた。
 乱暴に牢の入り口が閉められて、囚人が二人に増える。
 新入りが、鉄格子に向かって舌を出している。捕まれていた手首をさすりながら、まったく、乱暴なんだから、などと文句を言って。
「うわ、相部屋なんて初めてだなァ」
 くるりと振り返ってそんなことをいった。

「ねェ なにやっちゃったんですかァ?」
 反対側のベッドの上、膝を抱えて毛布にくるまって少年が言ってくる。毛布をしっかり握りしめているのは寒さのせいだろう。モデストは気づいていなかったが、吐く息が白かった。たいした距離でもないのに遠くから声をかけるような仕草は、こちらを伺っているせいだろう。視線だけ向けて、それを確認する。モデストはベッドに仰向けになったまま、天井を見上げる。地下一階の天井は、すなわち一階の地面の裏側だ。悪魔が人界を見るときはこんな感じだろうか、目を細める。なんの感慨もわかない。
「地下の牢屋に入れられるなんて、よっぽど犯罪者ですよォ? 放火? 強盗? 誘拐?それとも強姦か……あ、殺人?」
 少年の高い声はえらく地下牢に響いた。言葉には楽しむ要素が多分に含まれている。緊張や不安から口数が多くなっている訳ではなさそうだった。純粋に話すことが好きなのでなければ、牢屋に入り慣れているということなのだろう。どう見ても、前者にしか見えないが。実際はどうだろうか。あとは寒さを紛らわせるため、もあるかもしれない。
 モデストが返事を返さないと、また完全な静寂。隣も人がいるだろうに、人の気配は全くしない。地下牢で生きているのはこの少年ただ一人、というわけだ。考えて、それに自分が含まれていないことに気が付いて、モデストはあきれて息を吐いた。
「おまえは何をしたんだ?」
「僕? えへへ、無銭飲食ですよォ」
 死んでいない事を証明すべく、口を開く。言葉が返ってきたことが嬉しかったらしく、少年が満面の笑みになって答える。いたずらっぽい笑みに白い歯が覗けば、やはり年相応、ということなのだろう。おなかが減るんですよねェなどと、白い息を吐きながら漏らす。
 けれど無銭飲食は重罪だろうか。モデストは半身をおこすと少年を視界に入れた。相変わらず毛布にくるまっていたけれど、歯の根があわないらしくかちかちと歯を鳴らしながら、毛布を握りしめる手も震えている。
「恐いのか?」
 震える理由をもう一つ思いついて、尋ねる。水色の瞳は一度、きょとりと見開かれて、それからくすりと笑われた。
「こう見えても重犯罪人なんです、僕」
 奥歯を鳴らしながら、それでもきれいに笑う。人なつこい印象を残しながら。
「今回は、無銭飲食だから三日もすれば出られると思うけど。僕のことより、ねェ あなたは何をしたの?」
「強盗殺人」
 自分の膝の上に置かれていただけの毛布を掴むと、少年の方に差し出す。また水色の瞳が見開かれて、それから瞬きを繰り返す。
 さすがに言葉がでないか。危ないのと一緒の牢屋に入れられた、と。おしゃべりな少年が黙り込んでしまって、それで差し出した毛布をひっこめる。苦笑。そう、自分自身苦笑しか漏れない。現場に居合わせただけなのだ。きちんと調べれば無実は証明されるはず。容疑者が掴まって、まあ、きちんと調べる気があれば、だが。
「ねェ それ……」
 なんの冗談か、と言われるのだと思った。実際、モデストは冗談のつもりだった。おしゃべりな少年をからかうための。少年を見ると、たしゃ、と水をはねさせベッドから降りたところだった。
「貸してくれて寒くないんですか?」
「……ああ」
 育った町は極寒地だった。夜も暖房を切らせれば凍死する。いくら夜とはいえ豊かな街の地下なら、毛布なしでも安心して休めるというものだ。
 頷くと、やった、とよっぽど寒いのを我慢していたのだろう、引っ込めた毛布に飛びついた。そのまま断り無くモデストの隣に座る。ぴったりとくっついて「全部借りたら悪いでしょ」とモデストを見上げて人なつこく笑う。毒気を抜かれて追い返す気にもならなかった。
「恐くないのか?」
 肩の力が抜けて、半ばあきれて尋ねる。自分の罪は強盗殺人だと告げたはずだ。実際は冤罪であっても、この少年に真偽がわかるはずがない。
 少年はモデストから借り受けた毛布を広げると、二人を包むように回して前で握りしめる。二人の距離はゼロ。少年の震えが伝わってくる。しめった毛布では体温を保つまでに時間がかかるだろう。ふれあった場所だけが、わずかにぬくい。少年は、モデストの問いに吹き出して笑う。
「全然。まわりにそういう人たくさんいたんで」
 ベッドの上に足を上げて、そのまますっぽりと毛布にくるまれる。抱えた膝にあごをのせた姿勢で。
「それにさ、嘘つきのにおいって、わかるんだよねェ。職業柄」
 今度はモデストのほうが目を見開く番だった。少年が床を見つめたままにやと笑うのが気配でしれた。
「血のにおいがしないもん。殺してたら、洗ったってわかるんですよォ? そういうの」
 それからわざとらしく腕のあたりに鼻をくっつけにおいをかぐまねをして、ほら、嘘つき臭、とつぶやく。
「でもさ、強盗殺人じゃ、死刑だね。牢で犯罪者飼っておく余裕、この街にはないから」
「それならそれでもかまわない」
 独り言じみた声に、モデストもひとりごちる。生にしがみつく気はない。これが運命なのだろう。しかしどのみち途中で倒れるのなら、なぜ故郷ではなかったのだろう。
 眉をひそめると、その視界を少年の顔が覆った。瞬き。
「そうじゃなくてもかまわない?」
 生きても死んでも。
 水色の瞳がおもしろがるように、挑戦的な光を宿している。
 モデストは深く瞳を閉じると、ため息をはき出すように、言った。
「……ああ」
 少年がいたずらな笑みを深くする。
「じゃあ、脱獄なんてどうですか? ご一緒に」

――33.牢の囚人 




32.うれた果実 目次 34.契約


>TOPにもどる