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「つまり、そういうことだよ」
 彼は、自らの胸に手を当てて笑った。何もない、空洞の胸に手を当てて。
 決して、その笑みは空虚さを感じさせない。意志をみなぎらせた、柔らかな笑み。意志のある仕草。一度深く目を閉じると、手を下ろす。再びこちらを見つめる瞳は白茶色、曇ったブラウンの瞳は人のそれでは無い、確かな証拠。
 先生。
 心の中で、呼ぶ。茶色の瞳は自分の主を思い出させる。主の瞳は、彼のように曇ってはいなかったけれど。
 先生、おれ、死ぬかも。
 冗談でなければ困るような言葉を、心の中で主に送る。口に出すなら冗談の時以外無い。でも今は、現実になりそうな気配を感じて汗が噴き出す。
「ボクは、生きていない。はなからね。だからこそ、命を落とすことを恐れず、攻撃を仕掛けることができる、さっきみたいに。ボクは意志を持ってはいるけれど、つまりは道具と同じだよ。使い手が……ああ、この場合はボクの作り手だけれども、彼が、壊れることを恐れなければ、ボクも壊れることを恐れない。全力の攻撃を、防御を、することができるんだ」
 人形師の作った、意志ある人形。まるで人間と同じ仕草で、立ち、しゃべる。
 ふつう、無いモンだってきいたけどな。
 魂を持つ人形。それを作りうる人形師。
 左のあばらに手を添える。先ほどの攻防で何本か完全に折れている。痛みは神経を覚醒させるが、代わりに痛みも鋭くなっていく。
「生きている人間は不便だよね。意志がある、そのために最後の一瞬をとまどうんだ。命を感じるから強くなれるなんていうけど、常に100パーセントで戦えない人間は、戦では戦力外なんだよ。その上君みたいに混沌と奔放に身を任せて戦うのは、はっきり言って価値がない」
 じり、と利き足を後ろにずらす。スピードも技の切れも、段違いに人形の方が上だ。そして人形独特の気配のなさが、攻撃のタイミングをつかませてくれない。
「価値がないならさ、ここに存在する意味は無いと思わない? どうせ主を守ることもできなかった使い魔なんだし。君、いらないよ」
 ふわり、と浮いたように見えた。その感覚とは裏腹に人形は一瞬で距離を詰めてくる。
「イッツ ジョーク!」
 破れかぶれの思いで右足を振り上げる。相手の突きが見えたわけでは無かったが、かろうじてフットブロックに成功する。フットブロックはモーションが大きい分素早い相手には不向きだが。
「おまえの言い分で、この命くれてやるわけにはいかねえよ!」
 振り上げた足で相手を突き飛ばすように踏み込む。同時に掌を相手の一番面積の広い部分に向かって突き出す。体重の軽い相手ならフットブロックの方がその後の攻撃を封じやすい。人形のスピードで攻撃を続けられたら、一つもさけることなく、それこそ死ぬかもしれない。
 逃げるが勝ちっていうけどな。
 吹き飛ばした人形から目を離さず、口元をひん曲げ笑う。
 息が引きつる。折れたあばらがひどく痛む。あんまり動いて折れた骨が内臓に刺さったら、いくら主でも治しようが無いかもしれない。体中が発する命令に従って逃げる、それが一番なことは頭でもわかっている。わかっているが。
「あーあー ひどいな」
 もんどり打って倒れた人形が、ふらりと上体を起こした。左肩がさけて、腕がぶら下がっている。血は、出ていない。張りぼての体。左肩の裂け目から、真っ暗な空洞がのぞいている。
「こんなになったらバランス悪くて」
 ぶらりと揺れた左腕を、自分の右手で引きちぎる。立ち上がると、ぐらりとよろけた。
「あーもう、やる気無くなった。いいよ、殺す価値もないもん、君」
 ちぎった左腕を肩に担いで、頭を掻く。完全に戦闘態勢を解いているのは、こちらが攻撃してこないと、確信しているからだろうが。
「じゃあ、今度はおまえが破壊される番だな」
 じゃり、と土を踏んで攻撃の姿勢を作ると、人形は笑った。
「それこそ冗談。ま、今度遭うとき証明して見せてよ。無理だろうけどね」
 とん、と地面を蹴る音。人形の体は軽々と宙へと飛び上がる。その途中で姿はかき消えた。
 宙へと消えた人形を、しばしにらんでいたが、姿勢を戻す。
「価値価値って、こだわってんのはおまえの方だろうが」
 言って、痛みにうずくまる。無理にしゃべっても痛みが増すだけだが、黙っていることができなかった。負け惜しみか? いや、違う。
 引きつる呼吸を押さえながら立ち上がる。深呼吸したい欲求を抑えて、浅く浅く呼吸する。休むのは、戻ってからだ。
 なるべくなら二度と会いたくない相手だった。互いに命をかけているという感覚がわかない。自分だけが損をしている気がする、やりにくい相手だ。
「だけど、まあ」
 攻略法もあるだろう。やりこめられたままではいられない。
とにかく今は、無事に主の戻れるかの方が、心配だった。

――31.黒い肌 




30.巡礼者たち 目次 32.うれた果実


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