「おれ、パス」 そう答えたウォーカーが、一番正しかった。 確かその人は魔王だったはず、と分かり切ったことを再度疑問に思う。本当に魔王なのだろうか、この人は。アリエッタはグレンテの横顔を見ながらそんなことを考えた。 「あの、先生?」 「なんですか?」 ヴァンゼが不安そうな声を出す。おそるおそる、といった体で訪ねるが、グレンテはまるきし心当たりがないという様子で、まっすぐに使い魔を見返した。 「何に行くって、いいました?」 ヴァンゼが微妙な丁寧語になっているところからも、動揺しているのがわかる。赤い毛先を指先でいじっているのも、不安がある時のヴァンゼの癖だ。ソファに座っているウォーカーは聞きたくないというように、両手で耳を塞いでいた。目までつぶって顔を背けている。 そんな様子に全く気が付いていないのか、グレンテはあっけらかんとその言葉を口にした。 「巡礼ですよ」 「……あまり、気乗りしないんですけど」 小さな声でぽつりというヴァンゼ。本当は嫌だといいたいのだろう。けれどヴァンゼもグレンテを愛する使い魔だから、きっぱりと否定はできないらしい。視線を落とし、まるで床に向かっていっているようだった。 なんで、巡礼なんて言い出したんだろ。 アリエッタはお盆を抱えながら、思う。巡礼に他の意味がないのなら、この魔王は聖地巡りがしたいと言っていることになる。魔王が巡礼。魔界にも聖地と呼ばれるところがあるのだろうか。これからみんなと魔界見物。それはそれで楽しそう。けれど使い魔たちの様子からしてそれはなさそうだった。 「ディベルスはどうですか?」 ヴァンゼの返事で不思議そうな顔をした魔王は、ひょいと話の矛先をもう一人の使い魔にふる。ディベルスの肩がびくりと震えたのを、アリエッタは見逃さなかった。 「先生が行くというのなら……」 語尾が濁る。けれどディベルスは同行を拒否しなかった。さすが、とアリエッタは感心して目を見張る。それとも神官という立場なら、使い魔でも聖域に耐性があるのだろうか。と思いはしたが、そうでもなさそうだった。耳を伏せる黒猫が人型に重なる。珍しくディベルスがおびえている。 「じゃ、じゃあ私も行くわっ」 あわてて同行を主張するヴァンゼ。胸の前で握りしめた手がここからでも震えているのが見える。 グレンテは微笑んで頷いただけだった、満足そうに。 「アリエッタはどうします?」 「私はもちろんご一緒します」 「おれは行かないからな」 アリエッタが返事をすると、耳を塞いでいたウォーカーがグレンテに先んじて主張する。耳を塞いでいても聞こえるらしい。さすがは蝙蝠、耳がよい。 「残念ですね」 そういう魔王は、本当に残念そうな表情だった。 「で?」 と、言葉を発したウォーカーの表情は、どこか哀れみを含んで、しかしそれよりも馬鹿にする色を多量に含んで、帰ってきたメンツを出迎えた。当たり前だ、と言いたいのだろう。みんなわかっていた、グレンテ以外は。 「二人とも、急に気分が悪いって言い出して」 グレンテはヴァンゼを背負って、困ったような声を出す。かけらも心当たりがない、といった口ぶりだ。背負われている使い魔はとっくに意識がない。まずは、と訪れた、この霧の街の教会で、賛美歌を聴きながら気を失った。 「大丈夫?」 アリエッタは自分の肩に掴まっている青年を見上げる。ディベルスはかすれた声で大丈夫だと言ったが、自尊心の強いこの使い魔がメイドの肩を借りるなど、やはり相当参っているのだとアリエッタは思う。もともと白い顔が、今では蒼白になっている。 やっぱり、神聖な場所って悪魔を払う力があるのね。 寄りかかる使い魔の表情を見ながら、妙に感心してしまう。 「これじゃあ巡礼は中止しないといけませんね」 至極残念そうに言う魔王に、誰も歓声を上げたりはしなかったが。 隣で長く安堵の息を吐くディベルスに、アリエッタはちゃんと気が付いていた。 |
――30.巡礼者たち |
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