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 グレンテは通路を飛び出した。無謀に見えるこの行為が、なるべく作為的に見えればよい、そう願った。魔王である自分が一人で逃げているなどあり得ない、何かの作戦行動なのだ、と。左足は自らの血で染まっているが、傷はふさがっている。走ることにも支障はない。グレンテの左足の傷は、ウォーカーが引き受けてくれた。自らの命を削って生んだ使い魔だからこそできる、ダメージの移植。
 よく耐えてくれた。
 傷口を縛っていた布は、今は首に巻かれている。軽い重み。人の姿を解いたウォーカーが、包まれている。こんなに小さなコウモリがどうしてあれだけの大男になるのか、ふと思って男は笑う、大通りを疾走しながら。時間もあって、大通りに人の気配はない。月も薄い。霧の街は、闇に近い。
 ディベルスとヴァンゼの位置はわかる。ほぼ、街の反対側だ。これも自分の命を分けたせいだろう。自分の体の一部を探るようなものだ。二人は一緒にいる。それならば心配はない。あれだけ息のあったコンビはない。
 とっさに、身を投げ出す。
 ひゅ、と何かが頭上をかすめていく。
 地面を転がって、跳ね起きる。背後の気配に素早く振り返ると、反射的に、抜刀。
「ふん、いい反射神経だ」
 男は吐き捨てるように言ってくる。赤い髪の、男。
「だが、魔王が一人で逃亡、ってことはねえだろう。さっきのヤツはどうした? あの格闘野郎は。それこそ腰を抜かして逃げ出したか」
 トボシ、とかいったか、槍使いだ。グレンテは油断なく剣を構える。自分がいたとはいえ、ウォーカーの左腕をとばした男だ。銀髪の男でなかったことは幸いだが、といって、この男も侮るべきではない。
「それともくたばったか。まあいい。おまえをやれば、すべて片が付く」
 薄い光を跳ね返して、槍の穂先が円を描く。ぴたりと向けられるのは、自分ののど元。まだ距離はあるのに、すぐのど元に穂先を突きつけられたような威圧感には、正直わき上がってくる恐怖感を否定できない。
 けれど。
 自分ののどを守るのはただの布きれではない。小さなウォーカーの体だ。そして自分も、ウォーカーを守ってやらなければならない。彼の望みを叶えてやるために。
 男の体が瞬時に大きくなった。目の錯覚ではない、踏み込んできたのだ。槍の基本は突き。
「くっ」
 横によける。突き込まれた槍は、そのままグレンテの体を追うように、薙ぎへ。横へ飛ぶのと同時に、剣を振り上げている。自分の体を守るように沿わせた刃が、槍を受け止め高く鳴った。この反応は、ウォーカーの記憶。
 浮いていた体が、さらに横へととばされる。
 歯を食いしばる。同時に地に触れた足を踏ん張ると、前に出る。剣先をまっすぐに突き出す。
 一撃目は空を切る。しかしかまわずに前に出る。二撃目も、突き。赤い髪が数本舞う。
「ちィ」
 後ろへと飛び退くトボシの体を追うように。槍は柄が長い分、懐に入れば有利になる。しかしこの男は。
 何かが風を切った。反射的に横に飛ぶ。先ほどまで自分のいた位置に、槍の石突。詰まった距離に対応するべく、槍を回頭させての突きだ。見えたわけではない、けれどかわした。ウォーカーの記憶に体をゆだねる。大きく飛んでは反撃できない。グレンテはわずかに体をずらしたにすぎない。片足を踏ん張って、蹴りを放つ。
 相手の脇腹へ。槍を持ってがら空きのそこに命中する。
 鈍い、手応え。さらに踏み込む。
 互いの息がふれあうほどの距離。再度繰り出された石突をかわしたグレンテは沈み込んだ体勢から剣を鋭く突き出す。互いの動きが止まった。
「降参しますか」
 すらりとのびた剣は、男ののど元で青白く光る。蹴りは、相手のあばら骨を数本砕いただろう、その手応えはあった。トボシは表情一つ変えなかったが。
「しない、と言ったら?」
 吐く息は熱を帯びて、霧の街に白く跡を残す。
「もう一度考えてもらえますか」
 突きつけた剣は動かさない。刃はのどに触れている。引けば切り裂くだろう。男の手はまだ槍を握っている、が、彼が何かするよりグレンテが剣を引く方が早い。
「さっきの野郎はどうした。本当に死んだのか?」
「気になりますか?」
 どうやら、気がついたか。傷の移植と同時にウォーカーの記憶を回収している。相手は自分と初手合わせになるが、自分の方はそうではないのだ。グレンテは薄く笑ったが答えはしなかった。こちらをじっと見下ろしていたトボシが槍を地面に落とす。こん、と堅い音が響いた。
「オーケー。降参する」
 そのままゆっくりと手を挙げる様を見ても、グレンテは緊張を解かなかったが。トボシは本当に降参するようだった。何かたくらんでいるというならば、殺すしかない。
「銀髪の男はどこにいますか」
「おいおい、俺は尋問される立場なのかよ」
「降参したでしょう。言えませんか」
「ああ言えねえな」
 トボシははっきりと言い切った、手を挙げたまま。グレンテが剣を動かせば命がないことを知っていて、言葉で抵抗する。命を捨てる覚悟をしたか、それとも降参した相手は殺せないだろうと高をくくったか。この魔王相手に?
 グレンテは剣をおろした。トボシが大仰に息を吐く。白い息が舞った。
「おまえ、本当に魔王なのかよ。とんだ甘チャンだな」
「私は急いでいるんです。時間があるのなら、あなたの体に直接聞く、ということもできますが」
 もちろん首だけにして、口にしゃべらせる、ということですが。しれっとして付け加えると、うあ、とうめいてトボシはたじろいだ。
「まあ、助かったんだからよしとするか」
 言って、槍を拾おうとする。グレンテは落ちていた槍の柄を踏んだ。同時に槍を拾おうと屈んだ男の眼前に剣を突き出した。
「おいおい何のまねだ?」
「それはこちらのせりふです。あなたの仲間の誰かが来るまで手を挙げたままいなさい。それとも槍がつかめないように腕を落としましょうか」
 トボシの顔が引きつる。グレンテが剣を向けたのは自分ののど元ではなく、左腕だと気がついたのだろう。彼がウォーカーにしたのと同じこと。左腕をとばす、と。
 トボシはゆっくりと姿勢を起こすと、頭の後ろで手を組む。
「魔物じゃねえんだ、勘弁しろ」
「痛みは一緒です」
 グレンテは剣を納めた。この男はもはや驚異ではない。し、驚異とはならないだろう。一言言い捨てると、グレンテは走り出した。

――25.剣 




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