それは、若き魔王が三人目の使い魔を召還した直後のことだった。 「ちょっとあんた、どういうことよ!」 地下室につながる階段。ヴァンゼは一番上の段に腰掛けて、マゼンタ色の髪をひっきりなしにいじっていた。ディベルスは一階のフロアで、階段の柵に寄りかかって腕を組んでいた。地下室には来ないように、グレンテには言われている。ヴァンゼは不満げだったが、使い魔召還の儀式は通常主一人で行うことを、ディベルスは知っていた。こうして待つことも二回目になる。慣れるにはほど遠かったが、落ち着かない様子で地下室に視線を送り続けているヴァンゼよりは平常心を保っている、と思っていた。使い魔を召還するということは、自分の力を分け与えると言うことだ。特にグレンテのやり方では命そのものを分け与える。強力な使い魔を召還できる反面、危険も大きい。しかし、とディベルスは目をつぶったまま思考を続ける。先生は賢い人だ。人間だとしても、危険を限りなく小さくする方法は心得ているだろう。一人、小さく頷く。 三人目の使い魔の召還。そのためにグレンテが用意した生け贄は小さな蝙蝠。そのほかの用意もグレンテ一人で行っていた。使い魔二人は蚊帳の外で、手持ちぶさたで、やはり不安な気持ちを、紛らわすことはできなかった。 「どういうこと、っていわれてもな」 あらかじめ用意されていたのだろう、外套で身を包み、階段を上って姿を現したのは灰色の髪を持つ大男だった。元の蝙蝠と同じ灰色の髪。使い魔に共通の、金色の瞳を持っているところをみても、この大男が三人目の使い魔で間違いなさそうだ。 「先生になにしたの! 事と次第によってはただじゃすまさないわよ」 問題は、だ。ディベルスもさすがに平常心、というわけにはいかなかった。本来ならば、使い魔召還の儀式が正常に終了していれば、使い魔を従えて階段を上がってくるはずの主が、今はその使い魔に抱きかかえられている。一瞬死を想像したがすぐさま否定した。主が死ねば、使い魔もその体を維持できない。自分がこの体を維持で生きていることが、主の生を証明するのだ。言い合いを制止してこないところみると、意識がないのだろう。 「何もしてねえよ。されたのはこっちの方だ」 使い魔にされた、という意味らしい。蝙蝠は自分が抱きかかえている人物を見下ろして、面倒なことをしてくれた、とこぼす。諦めたような、表情。今にも襲いかからんばかりのヴァンゼを軽く無視して、器用に肩をすくめた。 「途中で倒れたのか?」 「いや。ちゃんと名前を呼ばれたよ」 ウォーカー。それがその男の名前だった。 「呼吸も脈も正常だ。疲労からくる、一時的なものだと思う」 ベッドの上に寝かされた主の様子を診て、ディベルスは告げる。 「思う? 召還の副作用だったらどうするのよ!」 「その可能性も否定できない」 「否定しなさいよきっぱりはっきりと。副作用だなんて、冗談じゃないわ」 「可能性の話だ。俺だってそう思っているわけじゃない」 「思ってないなら言わないで」 「おいおい、言ってることがめちゃくちゃだぞこのねーちゃん」 一番最後に割り込んだのはウォーカー。壁に寄りかかって、ディベルスに向かって同意を求めているようだ。不躾にヴァンゼを指さしている。 「なによあんたのせいじゃない!」 「おれは何もしてないって」 「じゃあどうしてよ! あんたを召還したからこうなったんでしょ」 「ヴァンゼ、うるさい」 「なによディベルスまで」 一人でパニックになりかけたヴァンゼを制止する。ヒステリックな声を聞きながら、逆に冷静さを取り戻してディベルスは小さく首を振る。 「先生の前だ」 あう、と小さく漏らすヴァンゼ。ベッドの主に視線を向けて、黙り込む。ウォーカーはヴァンゼの声に耳をふさいで顔をしかめていたが、ようやくそれをやめた。座り込んでしまったヴァンゼを見下ろす。 使い魔たちがこれだけ騒いでも、グレンテは眠ったままだ。血の気の引いた顔。本当に疲労なのだろうか、自分の見立てが不安になる。ふと呼吸をしていないのではないかと恐怖に駆られ、かすかに上下する胸の動きを確認して安堵する。 しばらく沈黙が漂った。 「ディベルス、どうにかならないの?」 「すべての方法は、先生に禁止されている」 ベッドに半分顔を埋めて、ヴァンゼがつぶやく。神官の役割を持つ使い魔、つまりディベルスならば、主の生死を左右する力を行使できる。しかし、召還の前に、先生から力の行使は禁止された。理由は尋ねなかった、こうなるとは予想しなかったから。 答えて、激怒されるかとディベルスは身構えたが、予想に反してヴァンゼの声は小さかった。 「そう。先生はこうなること、見越していたのかしら。まるで無力ね、私たち」 言って、またベッドに顔を埋める。 ディベルスも目を閉じる。予想していたとすれば、あの命令にはどういう意味があったのだろう。グレンテが倒れたことが、召還の儀式の副作用なのか、単なる疲労なのか、見極めることができないのがもどかしい。 「ほら」 突然肩を押された。尻餅をつく、と体をこわばらせた、が、ショックは小さかった。どうやら椅子に腰掛けたらしい。目を開けると、ウォーカーがいた。外套を脱ぎ、服に着替えている。ほらおまえも、とどこから調達してきたのか毛布をヴァンゼの頭に放り投げた。 「ちょっ なによ」 「暑かったらケツの下にでもしいとけよ」 あわてて毛布から顔を出すヴァンゼにウォーカーはにかりと笑いかけた。その手にはいつの間にか緩く湯気のたつコーヒーカップ。あ、私の、と呆然とつぶやくヴァンゼをとりあえず無視しておいて、蝙蝠は言った。 「長期戦だろ。ムリしてると体がもたないぜ?」 言って、カップに口を付ける。もぞもぞと床に毛布を引きながらも、私のだっていったのに、と文句は忘れないヴァンゼ。 「まあ、おまえさんの見立ては間違ってないだろう。副作用なら、倒れるだけなんてことはないだろ。だけど、ちゃんと面倒は見てやらないとな」 目を覚ますまで。 一度主に視線を向けてから、「だろ?」とウォーカーはディベルスを見る。 不思議な男だ、とディベルスは思う。同じ使い魔でありながら、主さえ保護下に置くような口をきく。本来なら注意しなくてはならない、けれど。 「そうだな」 頼もしく思えるのはなぜだろう。ディベルスはあごを引くようにして頷く。 長い夜の始まりだった。 |
――16.長い夜 |
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