二人分の紅茶を入れたポットと、カップと、お茶請けはみんなと同じパウンドケーキを、かごの中に詰め込む。皿と、フォークと、おしぼりと。必要になりそうなものを思い浮かべて取捨選択し、持ち物を整理する。 今日は珍しく霧もない。太陽を見るのは久しぶりだった。いつもと変わらない作業をこなすのも、何となく浮かれ気分だ。ついつい鼻歌交じりになってしまうのも、そのせいだろう。 昼ご飯の準備があるのでそれほどのんびりはしていられない。まあ朝が遅かったしお茶もしたから、遅れたところで文句は言わないだろう、アリエッタは一瞬の思案の後に、気持ちよく決定した。あの二人は、ウォーカーとヴァンゼは、食べたばかりなのだから。アリエッタはかごをとると、屋敷を出た。 グレンテとディベルスにお茶を持って行こうと思いついたのは先ほどのお茶の時だ。ディベルスはともかく、意外と食い意地の張ったグレンテは、パウンドケーキを食べられなかったことを悲しむに違いない。歩きながらアリエッタは一人で、くすりと笑う。あわてて周りを確認して、誰にも気づかれなかったことに安堵の息を吐いて。 「あ、でも」 もしかするとお茶などできないところにいるかもしれないと、今更思いついた。だいたい二人がどこにいるかもわからないのよね、と一度手元のかごを見下ろして、アリエッタは唇をとがらせる。 まあいいか。時間まで自分も散歩のつもりで歩いてみよう。見つからなければケーキは自分で食べてしまえばいい。アリエッタは即座に結論づけて、歩き出した。 グレンテの立ち寄りそうなところを順にたどってみる。食品を売っている通りを抜けて、教会へ。公園、図書館、本屋と、順に覗いてみるが二人はいなかった。 「それとも」 散歩と称して何か別のことをしているとも考えられる。危険を隠しての任務か。ディベルスをつれて。ならば街のどこを探しても見つからないかも知れない。アリエッタは息を吐く。任務を隠す必要などないのに、自分たちは魔王に仕える身なのだから。 「頼りにされてないってことかな」 確かに魔術にも武術にも長けていないけれど。アリエッタは不満げにほおをふくらませる。確かに作戦中は頼りないだろうけれども、いまさら家事だけしていればよいと言われても、困る。 何か武術でも、せめて護身術でも習おうか、そんなことを考えながら、大股になっていた足を、はたと止める。 「あれ?」 見慣れぬ緑の景色。考え事をしている間に街並みをはずれたらしい。まばらに立ち並ぶ木々は林と言うほどでもない。伸び放題の芝生は靴を履いていても弾力が伝わってきて気持ちがいい。ちょっとした広場のようだ。 ぐるりと周りを見回すアリエッタの目に、人影がうつる。 「先生」 一つ木陰を陣取って、探していた人物が本を読んでいた。 「アリエッタ? よくここがわかりましたね」 声が聞こえたのだろう、グレンテが顔を上げると周りを見回す。すぐにアリエッタを見つけて笑顔になった。 「えと、わかったって言うか」 芝生を踏みしめ近寄ると、どういうべきか悩む。まあ、この広い霧の街でたった一人の人間を捜し当てたことはすごいことだが。 言いよどんでいると、若き魔王はくすりと笑って本を閉じた。座りませんか、と自分の目の前を示してくる。言われたとおり草原に腰を下ろして、ようやく気がついた。 「ディベルス?」 黒服の少年は、いた。いつも無口な少年だが、今無口なのは理由が違った。 「寝て、る?」 顔をのぞき込むように上体を丸めて、アリエッタはそのまま主に視線を向ける。グレンテは小さくうなずいた。 「毎日夜更かししているからでしょう、あんまり根を詰めるとよくないと言っても」 「聞かないですからね、ディベルスのヤツ」 アリエッタはほおをふくらませる。自分が言ったことを何度無視されたことか。憤慨していると魔王は笑った。 「もうちょっと、寝かせておいてあげてください。昨日も魔導書をひっくり返していたみたいですし」 グレンテは閉じた本の表紙をなでる。アリエッタには何語かもわからない、かなり分厚い黒い表紙の本。でも、と口答えしそうになって唇をかむ。お願いします、と主に言われてしまえば仕える身分ではそれ以上はどうしようもない。 「でも」 と、やはり言ってしまう。それ以上何も言わないけれど。 ディベルスはあぐらをかいた状態で、グレンテに寄りかかって眠っていた。表情は長い前髪で隠れてわからないけれど、柔らかい日差しの中で、さぞ気持ちいいに違いない。 自然と唇が上向くのが自分でもわかる。よっぽど不満そうな顔をしていたのだろう、くすくすと、グレンテの笑い声。 「それで、私になにか用があったのでは?」 やんわりと微笑んだまま、グレンテが問う。ああ、とアリエッタは傍らに置きっぱなしにしていたかごを、自分の膝の上にのせた。 「あの、お茶、持ってきたんです。パウンドケーキも。先生にもどうかなって」 ふたを開けると、若き魔王の顔がほころんだ。 「ああそうだ、アリエッタ。そこ、そっちに座ってもらえます?」 そうグレンテが示したのは、寝ているディベルスを挟んだ反対側。 「こっちですか?」 「そう、もうちょっと、ああその辺で」 かごは元の場所においたまま、言われるままに場所を移動する。 「よい、しょ」 グレンテがもたれかかっているディベルスの体を押し倒した、アリエッタの方へ。 「え?」 「ほら、両手があいていないと食べにくいですし」 ようやく自由になった両手を小さくあげて示してみせる。膝に乗せてあったパウンドケーキの皿と、フォークを取り上げると、ケーキを切り分け口に入れる。 「うん、おいしいですよ。また腕を上げたんじゃないですか?」 「あ、ありがとうございます、じゃなくってっ」 思わず机をひっくり返す仕草。膝の上にはディベルスの頭。あれだけ体勢が変わってもぴくりともしない。しーっ と、人差し指を口元に当てて、グレンテが注意してくる。 「静かにしてないと起きちゃいますよ」 「これだけして起きないんだから起きませんよっ」 声は抑えて、しかし語気は強めてアリエッタ。顔を真っ赤にして抗議しても、主には効果がないようだ。 膝の上のディベルスが身じろぎする。びくりとしてアリエッタが凍り付いた。 「いや、大丈夫みたいですね。意外と」 その様子に若き魔王はくすりと笑って、フォークを持ったままの指で、ディベルスの頬をつつく。ディベルスの方はさすがにいやがったのか、指をさけるようにアリエッタの膝に額をくっつける、頬を隠すように。ものに顔をくっつけてもちっとも苦しそうではない。そんなディベルスの様子をのぞき込んで、アリエッタは小さく吹き出した。 「猫みたい」 体を丸めて寝ている様はまさに大きな猫のようだ。その黒い髪を、猫にするときのように撫でてやる。元は猫だ、無意識の時は、そういう習性がでるのかも知れない。 「起きたときが、ちょっと恐いですけど」 お茶を堪能している主に視線を向けつつ、それでも頭を撫でるのはやめられない。黒髪は猫のそれに似た感触で、細くて柔らかかった。 「寝たふりでも、しておきますか」 伺うような視線を受けて、グレンテは思案顔してそう言った。 二人は笑った。 |
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