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 ひとつ。身を守るべき駒を用意すること。

 部屋は暗くすること。明かりは内に25、外に41。魔法陣は60クラットの円。4クラットの文字を内側に、外側に6クラットの文字。2クラットの間をあけてもう一段。
「1クラットが、2.16インチだから」
 部屋には屋敷の地下室を選んだ。照明にはろうそくが手軽だと思ったが、途中で消えたらどうなるのかわからなかったので、ランプを用意。66個のランプを一つの店で用意すると不審がられるだろうと、気を遣って街中走り回って12カ所でそろえた。メジャーを用意して、円を描く。結構な大きさだ。まあ人一人召還するようなものだから当然なのかも知れなかった。
 マルゴルの実適量。ヤドリギ1。聖杯1。基礎となる生け贄1。マルゴルの実をつぶし、インクに混ぜ、生け贄に魔法陣を刻む。聖杯を己の血で満たし次の位置に配置する。
 マルゴルの実は血の色によく似たこぶし大の木の実で、太古の昔から儀式の時、必要な己の血を水増しするときに使用したという。味は濃厚で甘い。インクに混ぜると赤黒く色を帯びて、どす黒く固まりかけた血を思わせた。
 生け贄には猫を用意した。暗闇に紛れる漆黒の猫。魔法陣を描くために左腕の毛を刈ってしまったのはかわいそうだったが、毛の上からではうまく描けなかったのだからしようがない。猫はまだ生きていた。眠っているだけ。死んでいるものを使ってもよいが、その場合はアンデッドとなる。一番最初に作る使い魔がアンデッドというのは、なんというか、気味が悪かった。
 己の血に浸したヤドリギの上に、生け贄を置く。グレンテの左手は傷だらけだった。聖杯を満たすだけの血を採るのに、一カ所の傷だけでは足りなかったからだ。かといって太い血管を傷つけるのはためらわれ、かえって傷が大きくなった。治療をするのは後回しだ。血が固まるといけない。聖杯を、生け贄の前に置く。
 だから、人間の魔王が必要なのか。グレンテは手放した聖杯と、触れていた手を見比べた。聖杯は悪魔にはさわることができないと言われる。たとえ悪魔の王でも、だ。聖杯には魔を退ける力はないため、悪魔に脅威、というわけではないのだが、聖杯を利用できなければ、この方法で使い魔は作れない、神官の力をもつ使い魔は。
「目覚めよ、我が子」
 呪文は短い。口にした瞬間、聖杯が光を帯び、血がけむりを上げて立ち上った。魔法陣の文字が順に発光していく。青白い、ぼんやりとした光が部屋の色調を変える。ランプの光が白くなる。そして、黒へ。
 ふと照明がおちた、そんな感覚。
 部屋がゆっくりと明るさを取り戻していく。元の、やや黄色みを帯びた光に満たされる。
 魔法陣は残っていたが、聖杯の中身はからになっていた。そして。
 魔法陣の中へと足を進めると、中央にいる者へと近づく。
 黒猫はひざまずいていた。人の姿を持って。左腕には魔法陣が、あざのように刻まれていた。黒髪の、少年。元の姿に反して、肌はずいぶんと白い。
「ディベルス」
 名を、呼ぶ。この名で彼を呼ぶのは初めてだ。
「ディベルス」
「……はい」
 名を呼び、自分が主であることを確認させること。使い魔召還の最後の行を思い出し、繰り返し、呼ぶ。黒猫はまだ人間の形になれていないのか、返事することに苦労しているようだった。それでも何とか、こちらにあわせて人間の言葉で返事をする。従順な使い魔だ、とグレンテは安堵の息を漏らす。手なずける苦はなさそうだった。
「力を、貸してもらいますよ」
「ご存分に」
 上着を脱ぐと、白い肌を覆ってやる。いつまでも裸でいさせるわけにはいかないだろう。
 黒猫は顔を上げた。
 すこしびっくりしたような、ともすれば迷惑そうな、顔。金色の瞳が揺れる。元が猫なのだから服を着る習性はないだろう。それとも主の服を着せられて、使い魔としてとまどったのか。どちらにしても、黒猫もまだ表情をうまくコントロールできないようだった。
「だめですよ、人間の世界にでるんですから」
 くすりと笑うと、立つように促す。うまくバランスのとれない黒猫に手を貸して立たせると、立てたことをまずほめてやる。
「次は歩きますよ。それから服を着て、言葉を覚えて、食事の仕方とか。ああそうそう礼拝の仕方とか、ね。覚えることがいっぱいありますよ。覚悟はいいですか?」
 一度にたくさんのことを言われ、黒猫は理解できる分だけ理解して、うなだれるように頭を垂れた。黒猫の姿だったなら耳を伏せていたかもしれない。その頭を撫でてやる。
「大丈夫ですよ。私が力を借りる分、私もあなたに力を貸しましょう」
 ディベルスが顔を上げる。本当に?と訪ねるような視線だった。深くうなずいてやると、少し物思うような間があってから、ディベルスもうなずいた。
 さあ、次は階段ですよ。と、つい四つ足で行きそうになる手を引いてやる。黒猫は難しい顔をしながらも足を踏み出す。
 一歩、一歩、自分の使命を果たすために。
「ああ、そうだ。私のことは、先生、と呼んでくださいね」
 人前で魔王呼ばわりされては困る。
 階段を上りながらディベルスは頷こうとして、気がそれたのだろう、つまずいた。順調だったせいでゆるんでいた手から滑り落ちる。
「ディベルス! 大丈夫ですか」
 あわてて階段を下りる。ディベルスは下まで転がり落ちたが怪我はないようだった。まだ魔法陣の残る床をころんと転がって、そのまま尻餅をつく。
「大丈夫です、先生」
 最初に猫を選んでおいてよかった、などと思っていると、黒猫は言って、どうにか立ち上がった。二足で。
 なかなか物覚えのいい子のようだ。グレンテは感心する。この後、この使い魔の頑固さに手を焼くことを知らずに。

――14.聖杯 




13.南にある街 目次 15.主従


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