君の頭をほうきでたたいて 猫のしっぽを踏んでも バケツはなにも言わないから 畑を耕して汗をかくより 踊って歌って 「なんだそりゃ」 とうとう声に出してしまう。少し前を歩く彼女はご機嫌だったが、俺の声で歌うのをやめた。 「バスクータの昼寝、ですよ」 言って、また歌い出す。さっきの続きらしいが、俺はもう何も言えなかった。 はっきり言って歌のことはわからない。し、興味もないが、歌詞が相当おかしい。おかしいと、思う。 <バスクータは、マザルトゥ地方最南端の街の名前ですよ、知らないんですか、トボシ> 「んなこたぁどうでもいいんだ」 俺の背負っている荷物の上に軽々しく乗って、灰猫がしっぽを揺らしている。猫の割にはおしゃべりで、物知り顔でお上品にしゃべる。時に俺のことを見下したように話すのが気に入らないが、小難しいバックミュージックと思えば、寝るときにはちょうどいい。 そんなトリル、トリルはこの猫の名前だが、トリルの言うには、俺は救いようのない音痴ということだから、歌姫の歌にけちをつけるなど言語道断、というところだろう。だが、ものを聞く耳はある、言葉を聞き分けられる程度には。 君のほっぺにつま先立ちでキスして 猫に笑っても ケチャップはびっくりしないから 鍋を洗って汗をかくより 笑って笑って やっぱり、おかしいと思うんだが。 口にしようとしてやめた。自分の言葉を聞き入れて入れてくれるヤツがいない。猫は聞く耳もたないし、歌っている本人に言いようがない。 バスクータという街を思い出して、鼻の頭にしわを寄せる。あの街は特殊なのだ。変わり者の集団だ。宗教、とも違う、不思議なしきたりが死ぬほどある。分刻みでこなさないと飯も食えないほど。たとえば、まず街に入るために、足形をとる。犯罪者を追うときに必要だからという理由らしいが、素足の形をとって、どうして靴を履いた犯罪者を追えるんだ? それから、朝の挨拶は自分の夢を一番に告げなければならないとか。夢を見ない人間はいないのかと、不思議になる。一事が万事、その調子。げんなりだ。それにあの街は…… 「ねえトボシ?」 気づけば歌はやんでいて、タルヒがこちらを見上げていた。彼女の瞳は真っ黒で、髪も真っ黒でさらさらで、この辺では見ない人種だ。 「なんだよ」 自分の表情を見られていたかも知れないと思うと、自然と言葉がつっけんどんになる。タルヒはちっとも気にした様子はなかったから、たぶん見られていないんだろうが。 「楽しいわ」 俺を見上げる瞳はまっすぐで、俺が思わずのけぞって「お、おう」などと返すと、歌姫はけらけらと笑い出した。 「ねえ、いつかバスクータに連れて行ってくれますか?」 隣にちょこんと並んでタルヒが言う。彼女はずいぶんと小さくて、俺の肩よりもかなり小さかった。 <いつかといわず、これからはどうですタルヒ。ここから結構近いですよ> その街だけは勘弁してくれ、と言うまもなくトリルが言う。長いしっぽはぱたぱたと、さっきから俺の頭をたたいている、何度も。 「本当? わあ、私一度行ってみたかったんです」 うっとうしいしっぽを手で押さえつけようとしていたら、訴えるようなタルヒの視線。余計なことを、と思っている間に、トリルの前足が俺の肩に乗った、爪を立てて。 「いてっ」 <嘘は言いませんよ私は。ここからなら、あなたの足でも一週間足らずで着くでしょう。どうですトボシ?> 前門の虎後門の狼。ふとそんな考えが頭をよぎる。トリルの爪が食い込んで痛いが、タルヒの輝くような訴えかける視線も痛かった。 「わかったよ。行けばいいんだろ」 ったく。 タルヒは胸の前で手を合わせると、小さく歓声を上げる。トリルは肩から飛び降りて、タルヒの足にすり寄った。抱き上げられて、二人してやったやったと小躍りしている。 「後悔しても知らねえからな」 俺はそっぽを向いて言った。だから二人とも気がつかなかった。 |
――13.南にある街 |
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