「ここも枯れているな」 オアシス、と呼ばれていただろう場所。少し高くなった場所から水面を見下ろす。 「ここもダメなのォ?」 あーあ、とありったけの諦めを込めた声を上げて砂の上にひっくり返るヒビキ。しかしやはり諦めきれないのだろう、すぐに跳ね起きると水面を覗きこむ。 「飲むなよ」 「飲まないよォ」 オボロに釘を刺されて、水面に近づけていた顔をこちらに向けた。少し涙ぐんでいるようにさえ見えて、モデストは空を仰ぐ。 フードに遮られた空は、ずいぶんとくすんだ色をしていて、雲もないくせにやたらと沈んだ雲を思わせた。 元はオアシス。しかし今は命をはぐくむ場所ではない。草木はまだ残っている。しかし残っているだけだ。やがて死ぬ。漂う静寂は、生きているものがいないことを、容易に想像させた。水が汚染されているのだ。砂漠で唯一の水場がこれでは、生き物は生きてはいけないだろう。 「あまり空ばかり見るな」 すぐそばにいたオボロがぽつりと漏らす。彼は深くフードをかぶっていて、その顔はほとんど見えない。モデストもフードをかぶり直す。 どうしてこの国ばかり。モデストは水面へと視線を移した。水はきれいだ。透明で色もない。一見無害なオアシスの水。しかし、大量の雨によって死んでいる。殺された、毒を含んだ雨に。やがてこの国も雨に殺されるのだろう。 「偏西風のせいだ、ここに雨が集められた」 オボロの声に顔を上げる。彼はまっすぐ水面を見下ろしていたが、視線だけをモデストへと向けたようだった、無風の中、少しフードが動いて男の表情が覗く。 「なぜ」 「唇をかむな。傷口を洗う水はない」 どうしてわかったのか、と勘違いしたのだろう。オボロは視線を戻した。なぜ自分が考えていることがわかったのか、と。モデストもオアシスの中心を見下ろす。ヒビキが水面をつつこうとしていた。少し触れる程度なら問題ないだろう。制止せずにおく。 なぜ、と口をついたのは。なぜ偏西風がこの国に雨を運ぶのか、ということだった。雨がふる理屈も、風が吹く理屈も、少しはわかる。オボロが教えてくれた。けれど聞きたいのは理屈ではない。理屈では納得できない。風が雨を集めてこなければ、あの町は殺されずにすんだのに。 口の中に錆びた鉄の味が広がる。唇をかみ切ったらしい。眉をしかめる。自分の舌でそれをなめて、唇を強く引き結んだ。 「この世界を元に戻すのは、並大抵のことではないな」 「時間は逆さには流れない」 オボロのつぶやきは壮大な計画の前に足踏みしているような声音で、モデストは逃げ場のないことを突きつけるような言葉を吐いた。オボロはただうなずいた。 「そうだ。過ちを当時に立ち帰って正すことはできない。壊したときの数十倍の時間と労力をかけて、償っていくしかない。我々は、生きている間に結果を見ることはできないかも知れないな」 「無意味じゃないのか?」 結果がないのなら、自分のすることに意味はあるのだろうか。オボロは一瞬あきれたような顔をして、モデストを見下ろした。まるで理解力のない子供を見るように。しかし同時に緩く笑む。それはきっと父から子への優しさの証のようなものだったろう。モデストの父親は、彼がしゃべれるようになる前に死んでしまったが。 「真に無意味だと思っていれば、おまえはここにはいないだろう」 「希望を持っている?」 「それは知らん、し、わからん」 オボロは腕を組んだ。 「しかし過去を悔いて、改めようとする時間は何事にも平等に与えられる、とそう思う」 何かの宗教のようだ。グレンテはかぶりを振った。しかし真理とは、そんなものなのかもしれない。どちらにしても、死にゆく町とともに死ぬことはできなかった、自分には。 「行こう。風を避ければ飲み水も手にはいるだろう」 モデストはうなずいた。水が手に入らないのならば、ここでゆっくりしている暇はない。オボロはヒビキを呼び戻している。不満を漏らすヒビキと説き伏せているオボロを見ながら、モデストは空を見上げた。 灰色の空は雲一つない。 |
――12.砂漠の水 |
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