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 かち、こち、かち、こち。
 背後ではゆっくりと、振り子の振れる低い音。
 オウビリアスは世界時計の前に座り込んでいた。階段途中の踊り場に、時計に背を向けるようにして。紙切れを握りしめて。
 考え事をするときは、いつものここにいるような気がする。オウビリアスは紙をじっと見つめながら思う。きれいな絵柄をあしらった便せん、だったのかも知れないが、今となっては「紙切れよ、くず紙。こんなもの」読めたものではない。雨に濡れたか川に落ちたか。文字は滲んで紙はくしゃくしゃだ。オウビリアスはいらいらとマニキュアを施した爪をかんだ。しかし思い直して深呼吸する。
「イライラは美容の敵だものねえ。これは陰謀だわきっと」
 美しいって罪ねえ、と、ため息。肩を落とした拍子に、自分の青い髪が肩から滑り落ちて視界に入った。
「それとも陰謀を知らせるための手紙かも。かわいいアタシのピンチ? 是非? それなら薄幸の美女を救う王子様は……ええと、まあつまり重要なのは、そう、この手紙が重要なのか、ってことよ」
 青い髪を一房つまむと何となく枝毛を探しながら考える。この世界の均衡を崩すために世界時計をねらう、そんな輩がいてもおかしくない。世界時計を守る自分をねらうということも、あり得ないことではないだろう。オウビリアスは唇をとがらせ手紙をはたく。読めなければせっかくの危機回避のチャンスを生かせないではないか。
 紙くずになりはてた便せんは、スカートのように広がった衣服の膝の上だ。ふんわりと広がる衣服は好きだった。かわいいじゃない、と、つれない黒猫に言ったことがあるが、やっぱり彼は同意してくれなかった。そこがいいんだけれど。オウビリアスは小さく笑いをこぼす。
「そうそう、それから誰がくれたのかもね。重要よねえ、かわいいコからかどうか」
 ここに手紙をよこせるということは、ここへくる方法を知っているということだ。世界時計のある場所は、一般には開かれていない。特殊な役割を持つものが、特殊な方法でやってくる。時間の始まりである、この場所に。
 そうしたら、相手はある程度限られてくる。それこそ彼かも知れない。けれど、黒猫は手紙を書くような面倒はしないだろうし、第一手紙を濡らすような迂闊なコではない。
「残念ねえ」
 また、ため息。両手で頬を押さえる。あのコからの手紙なら何が何でも読んでみせるのに。
 じゃあ誰が、と再び紙くずをにらんだとき、屋敷の扉が開いた。
 世界時計の屋敷の扉は、音はしない。代わりに時間の流れる向きが変わる、屋敷の中の。屋敷にとって時間は風のようなものだ。閉めっぱなしでは、時間は屋敷の中でよどんでしまう。
「オービリィ」
 屋敷に飛び込んできたのは、水色の髪の毛の少年。そのまま階段を駆け上がってくる。
「ヒビキ? あらあ、あなた」
 ひらめいた。便せんに描かれていた絵は、少年が描いたものだ。
「聞いてよォ 僕、とうとう勇者様を見つけたんだよ。オービリィには絶対報告しなくちゃって、急いできたんだよ」
 駆け上がってくると、オウビリアスの目の前にぺたんと座り込む。
「手紙読んでくれた? あ、今読んでるの?」
 一人にぎやかに、オウビリアスの手元を覗き込もうとする。時計の妖精は少年の額を指先で押し返すと、くちゃくちゃの手紙を自分の背後に隠す。
「あなたねえ、ちょっと落ち着きなさいよお」
 くすり、と小さく苦笑する。えー、と不満げな顔をして額を押さえた少年の頭を撫でる。少々乱暴に髪の毛をかき回して。ヒビキがあわてて頭を押さえる様子に吹き出し笑う。おとなしくなってしまった少年など、かわいらしさに欠けるというものだ。
「相変わらずだなァ もう」
 そこここ髪の毛をはねさせたまま、つられたようにヒビキも笑う。
「で? アタシに勇者様の絵を描いてくれるの?」
「いいよ。オービリィは特別。今度つれてきてあげようか?」
「そうねえ、あなたの絵を見てから決めるわ」
 それは責任重大だ、と少年は言うが、言葉とは裏腹に表情は楽しんでいること満面の笑みだ。ペンを貸して、と言われてオウビリアスは腰を上げる。
「クレヨン貸してあげるわ。水性インクはダメよ、滲むもの」

――8.滲んだインク 




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