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「オボロ。それは誰の許可を得ておこなっている」
 部屋は暗い。明かりはあるが、間接的に日の光を取り入れる仕掛けが働いていないところを見ると、日が落ちたか、とオボロはひとり漏らした。ランプの炎は黄色を帯びていて、オボロの嫌いな色であったから、わずかに目を細めた。地下室は薄暗い。
「ギルドマスターの」
 訪れた人物を見もせずに、答える。汚れていた手を拭く。こびりついた液体は布で拭く程度では落ちはしないが、それでもしたたって衣服を汚すよりはましだ。
「ギルドマスターの?」
 オウム返しに疑問符を投げられ、オボロはようやく訪れた人間を視界に納める。
 あまり、親しいとは言い難い人物に、目を細める。
「ならば、ギルドマスターならば、何をしてもいいというのか」
 その人物は、評議員の一人だった。ギルドの公正な運営とギルドマスターの適正を判断するための評議会、そのうちのひとり、名前は、覚える気もなかった。オボロは興味なさげに、手に持っていた布を肩越しに後ろへと放った。
「やりたいことがあるならマスターの許可がいると言った。許可が下りなかったから、ギルドマスターになった」
 以前のマスターはオボロのすることに許可を下ろさなかった。許可がなければギルド内で活動することは無理だった。だから許可を得るために、自分がギルドマスターになっただけだ。理論は間違っていない、どこも。
「しかし、ギルドマスターには評議会がいる、ということだな」
 ギルドに属するものがその庇護を受けるためにマスターに従わなければならないのと同じように、ギルドマスターもその権威を得るために、評議会の定めに従わなければならない。
 分かり切ったことだった。だから時間との勝負だったのだ。オボロは自嘲した。評議会にかぎつけられる前に、しなければならなかった。
「そうだ。オボロ、しかし」
 むせかえるようなにおい。生臭い。男は日が落ちていたことを幸いに思っているかも知れない。仕掛け照明が働いていれば、部屋の様子は一目でわかったに違いないのだから。
 男は一歩も部屋に入ってきていなかった。
「いっそ悪魔にでもなってしまえばな、こんな行為でとがめられることもないだろうが。善良な民衆の一部でいたいがために……ふむ、しかしあながち無駄ともいえないか」
 今の立場ならば、これだけのことをしても無知な市民に追われることはない。評議会に知られたところで、ギルドから追放されるだけのことだ。しかし悪魔となってはそうはいかないだろう。自分の行為の合理性を思って、オボロは一人うなずく。
「私は、追放、でよいのかな?」
 一歩踏み出す。ぐちゃり、と柔らかいものを踏んだ。しめったような音。抵抗はほとんどない。そうか、死んだばかりだから、と思えば、オボロの口元は弧を描く。
 ウォルストンの体が緊張したのは、地下室の黄みを帯びたランプの元でもよくわかった。自分に向けられる畏怖の思念は心地よい。オボロは笑みを深くする。
「それとも出頭して、釈明でもすればよいかな?」
 反対の足を踏み出す。ぴちゃり、と水音。よくこれだけの水分を蓄えておけるものだ。オボロは思う。どうりで水が汚れれば生きていけないはずだ。
「出頭は、しなくていい」
「ふむ。それは、残念だ」
 私がなぜ、こんなことをしたのか、人は知るべきだ、オボロは思う。と同時に、どうせ説明してもわかるまい、とも思う。人々は、理解するという能力を放棄している。
 照明のランプに手が伸びる。オイル式のそれを、床に落とす。
「証拠は、残さないでおこう。その方が君たちにも都合がよいだろうし」
 落下していくランプは、床に当たってたやすく砕けた。わずかなオイルが飛び散って、火が広がる。
「もちろん、自分の都合も否定しない」
 オボロは広がる炎を見つめる。黄色を帯びた光が広がる。床に崩れていた文献に火がつくと、もう炎は止めようもなくなった。部屋があっという間に明るくなる。揺れる炎に部屋中が照らされた。オボロ自身も、その所業も。
 男は押し黙ったまま。言葉を失ったらしい。
 無知な人間はこれだから困る、とオボロは笑った。赤く染まった衣を揺らして。向こうからは、オボロの体が陰になってすべては見えないだろうけれど、それでも絶句させるには十分だったらしい。
 色白の四肢。長い髪。
 机の上に横たわって。自らの体から流れ出た血の海に浸っている。赤い液体は床へとしたたり、一面を真っ赤に汚染していた。中には、なにやら得体の知れない固まりが無数に広がっていた。
 オボロは出口へと向かう。男のいる方へと。証拠は残さないつもりでも、自分は焼け死ぬつもりはなかった。男は動かない。
 脇を通り抜けざま、オボロは言った。

 私は、人の心がどこにあるのか知りたかったのだよ。

 男は立ちつくしたままだ。自分の言葉を理解できなかったのだろう。これだから無知な人間は。オボロは高らかに嘲笑した。そのまま階段を上ってゆく、内臓を残さない人型を地下室に残して。

――7.ギルドマスター 




6.切れない絆 目次 8.滲んだインク


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