自分の街だ、この街すべてが自分のテリトリーと言ってもよい。地の利はこちらにある。逃げ切れないはずがない、この霧の街で。 「おい、グレンテ。しっかりしろ」 主に肩を貸して、ウォーカーは走る。正直相手の傷を気遣って走る余裕はない。自分自身も傷を負っている。腕は片方ちぎれて飛んでいったし、背中の傷は止まる気配なく血が流れている。グレンテは足をやられた。傷口を縛った布はとっくに真っ赤になっている。自分をかばって負った傷だ、ウォーカーは舌打ちする。 「逃げなさい、私のことはいいから」 グレンテは額に脂汗を浮かべながら、それでも懸命に足を動かしている。この状態で足を止めたら、二人ともが見つかってしまう。その危険性をよく知っていた。 「うるせえ。意識がはっきりしてるならあとは黙ってろ」 主はふつうの人間だ、魔王であっても、肉体はもろい人間のものだ。自分たちのように魔術で単純に復元することはできない。ウォーカーは隣の様子を盗み見る。足以外の傷はたいしたことはなさそうだったが、足をやられたのは致命的だった、機動力を奪われる。自分は腹をやられなくてよかった、ウォーカーは前方をにらみつけて走る。ウォーカーの、契約の証は腹にある。その証を傷つけられたらうまく姿をとどめておけなかったかもしれない。 建物の角を曲がって脇道へ。さらに建物と建物の間の細い道へと入り込む。 とりあえず、時間は稼げるだろう。ウォーカーは一度グレンテの体を離すと、自分の左腕を見る。左腕はない、切り口を縛っている布を口と右手を使って締め直す。 「ウォーカー」 グレンテは、壁に背を預けて、やはり傷口を縛った布を縛り直していた。肩で息をしている。短く吐く息が、空気に冷やされ白く濁って立ち上る。 「逃げなさい、あなた一人なら逃げ切れるでしょう」 顔を上げたグレンテと、目が合う。時折眉がしかめられるのは痛みのせいだろう、しかし主はしっかりとうなずいた、うっすらと口元に笑みすら浮かべて。 「人型を解いて行きなさい。ディベルスと合流して傷を治してもらって」 「いやだ」 「わがまま言わないでききなさい。あなたのその腕では戦えない。私は無理でも、あなたの傷ならディベルスが治せる。そうしたら」 「おれは、ディベルスやヴァンゼみたいに聞き分けよくないからな」 「ここに二人でいてもじきに見つかる。このままじゃ共倒れです」 「だからおれにおとりをやれと?」 「ウォーカー!」 グレンテが語気を強める。言い争っている時間はない。主の気迫にウォーカーは思わずたじろぐと、背中がぶつかった、壁だ。 ウォーカーも、わかっている。もしグレンテが本気でそんなことを考えているのなら、自分に人型を解いていけとは言わないだろう。本気で逃げろと言っている、使い魔の自分に。 ウォーカーも、できるならば自ら言ったとおり、おとりをやりたかった。主を守るために。けれどこの体で、あの男とは戦えない。足止めにもならない。あの、銀髪の男には。 あの男はきっと、自分がおとりであることを見抜いて、主を殺す。 ぞくり、と体が震える。 「嫌だ」 グレンテを見下ろして、つぶやく。あんたは、おとりをやる気なんだろう、自分なんかのために。ウォーカーの唇は震えるだけで、それは言葉にならなかった。引きつる息を整えるために、一度深く息を吐く。 「おれが死んだら」 あんたがしんだら。 「あんたはおれの代わりにまた使い魔を作る」 おれはあんたの代わりを探せない。 「おれのいた場所に別の誰かがいて」 おれはあんたを失ったまま、結局コウモリに逆戻りだ。 「そんなのは悔しい」 主を失うことなど、考えたくもない。ウォーカーはきつく目を閉じる。不吉な考えを追い出すように。 「おれが、守ってやりたいんだ。あんたのことを。他じゃない、このおれが。あんたが残るなら、おれも残る」 まっすぐに見据えるとき、若き魔王の視線も厳しかった。が、ふと、引き結んでいた口元をわずかにほころばせた。苦笑だ。 「なんでこんなに頑固な子を作っちゃったんでしょうね」 困ったような、声。 「わ、わるい」 反射的に謝る。グレンテが吹き出した。違いますよ、そうじゃないんです、となにやら手を振っているがウォーカーには意味がわからなかった。 「私のこと、信じてもらえますか」 笑みを納めて。ウォーカーはうなずく、是非もなく。 「ああ」 「なら、必勝の作戦を授けましょう」 |
――6.切れない絆 |
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