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「実に下らぬ、よ」
 本当は嘲笑したかったのだろうと、男は思った。目の前の女は笑いたかったのだ。あざけるように、軽んずるように。ただ、こちらの言葉にあきれかえったせいで、その行為は笑うと言うよりは怒りを紛らわすために息を吐いた、そのように見えた。女が緩く首を傾ぐと、黒い髪が細い肩から滑り落ちる。
「天使だの悪魔だとくくりをもうけることがそもそも愚かなことなのだ。こうして同じテーブルについてゲームに興じるおまえとわしの、いったいどこがどれほど違うというのか」
 女は裏返しでテーブルに置かれたカードの表面を指先でつつきながら、問いかけとも説教ともつかない言葉を向けている。マゼンダ色に塗られた唇。小さな口の動き、静かな声、しかし言葉ははっきりと、男の耳へと届く。じわり、と身につけた鎧の隙間から、直接体にしみこむような声音に、錯覚だとわかっていても、ぞくりと肌が泡立つのは止めようがない。
 怖じ気づく心をなんとか戒め、強く拳を握ると向かいの女を見直した。多少古めかしい言葉遣い。しかしその姿は二十代半ばほどの人間の娘と大差ないように見えた。人間の娘の誰よりも妖艶ではあったけれども。
「たとえばわしが魔界の王でおまえが愚かな人間だったとしても、実際剣を交えぬゲームの前では種族の差などどれほどのものか?」
 未だに席に着かない男に向かって、女は視線を向けると、今度こそ笑った。きれいに弧を描く赤色に男がぎくりと身じろぎする。身につけた鎧がきしむ金属音を聞けば、女がまた笑みを深くした。
「さあ愚かな人間よ、席に着け。まさかここまできて怖じけて帰るとは言うまいな? 敵に背を向けるなど騎士のすることではあるまいよ。わかっておる。おまえはそんな男ではないことくらい」
 くすくすと、のどを鳴らして笑う。
 ゲームから逃れる方法は、ない。男は絶望とともに確信した。きつく握りしめていた手を開くと、椅子を引く。
「そう、それでよいのだ、騎士よ」
 向かいの席に腰掛けた男に満足げに、女は目を細めた。
「約束通り、ゲームに参加すればおまえの命は取らぬ。背を向けなかったおまえに敬意を表して」
 着席して、男は顔をゆがめた。
 国のために戦って傷つくことなど怖くなかった。
 騎士となったときに、使命に命を尽くす覚悟も決まった。
 だけれども。
「約束を、違えるなよ。私が勝ったなら、おまえの命をもらうからな」
「ああ、約束だ。違えはせぬよ。わしを、最後の皇帝としてみせよ」
 男の、体の底から絞り出した声音にも、女は嫣然と笑うのみで、手持ちのカードを一度切り分けた。魔導器の上にのせる。
「では、始めよう。人間どものすむ世界をフィールドに、世界の運命をかけて」

 負ければ、自分だけが生き残る。

 男は一度きつく目を閉じると、深く息を吐き出した。覚悟が決まったとは言い難かったが、怖じ気づいたままゲームをするわけにはいかない。少なくとも、負けの決まったような顔をして戦うまいと、それだけを心に思って。
 意を決して目を開くと、最初の一枚目のカードを引き寄せた。

――3.最後の皇帝 




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