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 この大地は、死につつある。

 枯れた大地。黄色を増した茶色は砂漠のそれを思わせる。けれども大地はそこまで乾いてはいない。踏みしめる大地はまだ堅く、強く、しっかりと立つ足を支えている。雨は降る、その証。
 けれど植物は育たない。降る雨に、毒が含まれているせいだ。生を奪う水。本来命をはぐくむための雨が命を奪う。生き物は長く触れていると命を奪われると言うが、動物には避ける術がある。動けるものには。同じ生き物でも、大地に根付く植物にはそれができない。故に雨によって枯れる。枯れて、大地を守れずに、大地も死んでゆくのだ。
 男は視界をふさぐフードを手で押さえ、遥か先を見た。枯れた大地の先へ。道があるというわけではない。ただ薄汚れた黄色の大地が広がっている。だが、道はあっている。自分にはわかる、自分の道は。
「勇者様、早すぎますよォ」
 外套の裾が翻る。熱をはらんだ風が通りすぎる。巻きあがる砂埃は、大地が枯れてきている証。
「ちょっとは、一緒にいる人のこと、考えてもらえませんかァ」
 風を追うように後ろを振り返る。自分のすぐ後ろ。ようやく追いついてきた少年は、膝に手を添えると、呼吸を整えるために肩で大きく息をついている。この大地の空気をたくさん吸い込むのは体に悪そうだ、と、男は思ったが口には出さなかった。他人の体だ、好きにすればいい。口にしたのは、別のこと。
「おまえが勝手についてきたんだ」
 少年は外套のフードを落とすと男を見上げた。非難で眉毛をへの字にして。
「ひどいなァ ついて行くこと許してくれたじゃないですか」
 少年の髪は水色で、このあたりでは見られない高潔な空の色を思わせた。本来の空の色はもう少し濃い青だったかもしれないが、そんな空などもう数年見ていない。
「勝手にしろといっただけだ」
「勝手にしましたよォ 勝手に解釈しました……わっ」
 悪びれずに少年は笑う。
 男は乱暴にフードをかぶせた。長く日差しを浴びるのも、体に悪い。それ以上少年にかまわず、歩き出す。道はこちらで間違いない。自分の行くべき道だ、間違いなどあるはずがない。
 男は歩き出してすぐに、後ろから笑い声が聞こえるのに気がついて足を止めた。中程視界をフードで覆われながら、また後ろの少年を振り返る。
「優しいですね。勇者様は」
「気持ちの悪いことを考えるのはどの頭だ」
「言ったのは僕の口ですけど、考えたわけじゃないですよォ?」
 感じただけです。と、少年は歯を見せて笑う。フードを押さえるよう頭の後ろで腕を組んで、男を見上げて。男は、へりくつめ、と小さく吐き出したがそれだけだった。
「勇者様」
「モデスト」
 再び前をむきかけて、呼んできた少年の言葉を遮る。正直、勇者様、と呼ばれることには抵抗がある。救世主じみたその職業名で呼ばれることに、抵抗どころか吐き気を催すほどだ。
 この死にかけた大地を、救う?
 冗談じゃない。男はかぶりを振った。できるわけがない。むしろ枯らして殺してしまって、再構成する方がよっぽど楽だろう。
「モデスト、様?」
 少年は呼び名と様子をうかがうようにして、男の顔を覗くように、わずかに首をかしいでいた。呼ばれて、ファーストネームを教えたことをわずかに後悔する。しかし勇者と呼ばれることよりは格段にマシだ。
「ヒビキ」
「はい」
 俺は、勇者になるつもりはない。
 続けようとした言葉を飲み込んで、まっすぐに少年を見下ろす。少年はまだおっかなびっくりといった感じで、伺うような視線を男に向けている。救うつもりはないんだ、世界も、おまえも。自分は勇者などにはなりたくないのだ。と、言ってしまいたいと思えるのは、たった数日でもともにいたせいなのだろうか、男はじっと少年を見下ろしたまま考える。
「行こう」
 言ってどうなるというものでもない。男は肩の力を抜く。どうせこの少年は信じたりしないだろう。勇者が世界を救いたくないなどと。
「はい」
 先に歩き出した男の後を、少年がついて歩く。その様子はまるで子犬がじゃれつくようで、モデストはフードに隠れてこっそりと笑った。

――2.荒れた大地 




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