(1) おせっかいな小鳥たち

昔々或るところに一人の吟遊詩人が居りました。
輝く絹糸のような白金の髪とずうっと南の海のように透きとおる碧の瞳と、聴く者にこの世の憂さの全てを忘れ去らせる素晴らしい歌声を持った吟遊詩人は歌を鬻ぎながら街を流れ、やがて険しい山のふもとの小さな村で一人の青年と恋に落ちました。

「君の歌声は春のようだね」
青年がそう言って、二人は恋に落ちました。
貴方に告げる名前を持たないと嘆く詩人に彼は名前を上げました。
「ハル。春のことだよ」

「ハル。春のことだよ」
雪が融けつぼみが膨らみ小鳥たちが歌いだす季節、とうとう春がやって来ました。
青年が亡くなってから、一度目の春が。
喜ばしいはずの春の訪れさえも今のハルには煩わしいものにしか思えませんでした。
春が来て気温が上がると言うことは、それだけ別れが近づくということでしたから。
それだからカーテンを締め切り陽射しを避け、家の外の何もかもから目をそむけて愛しい人の側で眠り続けていたのです。
けれどある日。
窓の外から聞こえる小鳥たちの囀りに、ぼんやりと亡骸の上にうつ伏せていたハルは顔を上げました。
今まで聞いたこともない、高い声。
子供のような、でも子供とも違う、高い声。
そう。
それは、確かに、小鳥の囀り。

『聞いたかい』
『聞いたかい』
『森のはずれの魔法使い 』
『出来ないことはないと言う』
『本当に?』
『本当に?』
『ああ本当だとも』
『彼の手に掛かればどんな望みも思いのまま』
『金貨と銀貨を鍋一杯に!』
『ルビーとダイヤを部屋一杯に!』
『そんなの造作も無いことさ。彼には出来ぬことなど無い』
『月を砕いて?陽を氷らせ?』
『海を乾かし、空を畳める?』
『ああ、簡単だ。彼には出来ぬことなど無い』

出来ないことのないと言う、魔法使い。
山のふもとには深い森が広がっています。森のずっと奥に住むという魔法使いの話はハルも聞いたことがありました。
その人ならば、彼を生き返らせてくれるかもしれません。
亡骸にそっと接吻けて、ハルは森の奥へと足を踏み入れました。

昼だと言うのに森の中は薄暗く、陰になった場所にはまだ雪が残っています。
肌寒い森の中、魔法使いが住む場所を探しハルは当てもなく歩き続けました。
そして歩き疲れた頃漸く目に飛び込んできたのは、想像していたみすぼらしい小屋や寒々しい洞窟などとは全く違う大きなお屋敷でした。
屋敷の観音開きの扉は青白い石で出来ていて、裸の女性二人の姿が背中と腰と膝下をドアに埋め込んだような形で左右の扉から浮き出ていました。
ハルは扉を隅から隅まで見渡しました。
ノブもノッカーも鍵穴さえもありません。
とりあえず女性の像には触れないようにしながらノックしようとすると、
「ふふふふふ」
「え?」
すぐ近くで女の人の笑い声が聞こえます。
思わず扉の女像を見上げましたが、当たり前のことながらそれはただの石像です。
「ふふふ。それはただの人形よ。こっち」
ハルがノックしようとしていたのとは逆の扉の石像が、ウィンクしていました。
「こんにちは。今日は一体何の御用かしら?」
「あ…あのっここに住んでいるという魔法使い、さん…にお会いしたいんですが!」
「ふうん」
石像はガラス玉のように透明な瞳でハルを眺めます。
「そう、残念だけれど、主から誰も通さないように言われているの」
「そんな!どうしてですか?私、どうしてもその人に会いたいんです!」
「でもねえ、主人は忙しい人だから」
「待ちます!いくらでも!時間が出来るまで待ちますから、だから」
「無理よ。ここは寒いわ、もうお帰りなさい」
そう言うと、石像は瞼を下ろしてしまいました。
「お願いします!扉を開けて、通してください。どうか取り次いでっ」
大声を張り上げても、石像はぴくりともしません。
ハルは唇を噛みしめて、それから背負っていたリュートを下ろしました。
妖艶な石像の姿を見つめながら、まず奏でるのは情熱的な恋の歌。
前奏が終わりハルが歌いだした瞬間に、石像の睫毛が目に見えないほど微かに震えました。

「へええ」


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