「荒城の月」は、滝廉太郎が音楽学校の懸賞募集に応募して当選した作品です。
23歳10ヵ月という短い一生の中で、『荒城の月』、『花』、『雪やこんこん』
など、数々の名曲を残した滝廉太郎。
彼は「富山で過ごした幼い頃が忘れられない」と語っていたそうですが、
この「荒城の月」のモデルとなったお城については、富山城址の他に
大分県竹田市にある岡城址がそのモデルだと言う説もあるようです。
滝廉太郎は少年の頃この岡城に遊び、そのイメージで世界的名曲「荒城の月」を
作曲したのだとも言われています。
今も竹田市内には廉太郎関係の施設が数多くあるそうです。
伝統的音階をもちいて日本的情緒をあますところなく表現したこの曲は、
日本の心の歌として親しまれてきました。今日歌われる「荒城の月」は大正7年に
山田耕作が編曲したもので、原曲では2小節目のホ音にシャープがつけられています。
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