【中国訪問記】
1996年5月に仕事で中国に訪問したときの旅行記です。(全Part 6)
【Part1】(プロローグ)
5月6日、13:55分成田発で出発し、上海国際空港に到着しました。
国内便への乗換時間が1時間20分位でした。日本の空港でしたら乗換に
十分に余裕があるのですが、国内線は鍋の底とひっくり返したような混雑
で喧騒な状態でした。そして日本で予約したはずの便が何故か予約されて
いません。それからが戦争状態でした。窓口4カ所を回わされ、エコノ
ミークラスが満席でしたのでファーストクラスに予約し直しました。
辛うじて搭乗手続き終了数分前に搭乗券を入手できました。
ファーストクラスは初めてなので優雅な気分で青島空港までの1時間のフラ
イトを楽しみました。空港には客先の車が出迎えに来ており、260kmの
距離を約5時間要してホテルに着いたのが日本時間の夜中12時頃を少し過
ぎていました。この5時間の行程にも色々書きたいことがあるのですが
Part2で掲載致します。
【Part2】(青島から宿まで)
青島(チンタオ)は、上海と北京の中間の海岸に位置しその名前の通り緑が豊富で
観光地として人々が訪れるようです。高速道路の検問所には人民解放軍の人が
切符を切っています。40分位高速を走って一般道路に入ると途端に道路は真
っ暗闇で勿論、街路灯など有りません。その代わり道路脇には木が1M間隔に
植えられており木の幹には白いペンキが下から1M位迄、塗られています。
それがライトに反射してドライバーの運転の目印になるようです。
又、道路には自転車(もともとライトがない)やトラクターなどがライトを付
けずに走っておりよく事故が起こらないか思っていました。
この国では警察の車は誰でもが恐れられてようです。迎えに来てくれた人は私
たちの車によく覆面パトカーが付ける赤いパトライトを屋根の上に載せ、前に
車があるとそれを光らせどんどん抜いて行きました。やっと目的地に近づいた時、
車が何台か繋がっていてどうも事故が有ったようです。
本物のパトカーが来ていましたのであわててパトライトを外しました。
事故はトラクターとトラックの事故でしたが幸いにも人には怪我はなかったよう
です。夜11時頃なのに、真っ暗闇の中からどこからともなく野次馬と思われる
人達が自転車で続々集まってきます。中国の人は真っ暗闇でも道は分かるのには
びっくりしました。事故の車は道を片側だけ塞いでいるだけで通れるのですが前
の車が先に進みません。20分ぐらいしてパトカーが去ったがそれでも前の車は
動きません。仕方がなく我々の車は前の車を追い抜いてその場を通り抜けやっと
のこと宿に着くことが出来ました。
平成12年 8月13日 記
【Part3】(地方都市)
私が訪問した都市は、あの三国志で有名な「孔明」生誕の土地と言われており、中国では
中都市位ではないかと思います。(弘明生誕地については、中国でも色々な説があるようです)
「町の様相」
町の様相は日本の戦後の間もない頃の状況ではないでしょうか。
自転車が庶民の交通手段の主な乗り物は言うまでもありません。
町には、豚や羊が道路に列をなしていたり、馬車が走っていたり、三輪自動車
(通称バタバタ)やトラクタが走り回っていました。
なんか子供の頃にタイムスリップしたような感じです。
そうかと言えば韓国製の自動車が時たま走っています。
日本製の自動車などは殆どなく、客先に1台ある日産車は、VIP送迎用として
運転されています。朝の活動は日本より1時間早いような気がします。
7時頃には、道路際に物売りが並び人々が激しく往来しています。
まあー兎に角、喧騒な状態です。
「ホテル」
私たちが泊まったホテルなどその町では最高級のホテルですが、日本語が通じな
いのは勿論ですが英語が通じないのは参りました。
ある時、風呂のお湯が出なかったのでフロントに話したが中国語で言葉が帰って
きます。身振り手振りでやっても通じません。
一番、通じた方法は漢字による筆談でした。
漢字の意味からようやく20時〜22時30分しかお湯が出ないことが分かりま
した。
「トイレ事情」
ホテルのトイレは一応水洗(あまり水が出ない)ですので何とか我慢できますが、
しかし、客先のトイレには参りました。
一応男女に分かれていますが、簡単な仕切が有るだけで用を足しているところは
丸見えです。また臭いのと蠅がぶんぶん回っています。
やむを得ず小用で利用するときは息を殺してやるしか有りません。
このトイレだけは不衛生でどうにも我慢できません。
「治安」
中国は一般的に治安はよいと言われていますが、何故かホテルや会社の前には頑
丈な門と守衛がガッチリ警備しています。
財布とバックなどガッチリ握ってなさいと客先の人の忠告を聞くと、見えない所
では治安が良くないのではないかと疑います。
やはり、夜の1人歩きはやめた方が良いと思えてなりません
平成12年 8月20日 記
【Part4】(地方の中国料理)
今度、滞在した地方の料理は食材として牛肉を使ったものは一度も出ず、
豚肉を使った料理がとても多く味は少し、しょっぱい感じでした。
現地の方との会食の時の料理は、ボリューム満点で品数が豊富で皆さん、よく食べます。
しかし、はっきり言って横浜の中華街で食べた方が格段と美味しい(日本人に合う)感じが
します。
ホテルの中国料理は飽きが来ますので街角の食堂で食べた方が安くて美味
しい物が多いです。ただ日本人が入るにはちょっと勇気が入ります。
店全体は薄暗く、まずメニューがありません。店の中に入ったら客が厨房にまず
いき、そこで料理の内容を打ち合わせて注文します。何故か食器にペーパが
一緒についてきます。同行した現地の方の仕草を見ていたら、食器にお湯をかけて
そのペーパで拭いていました。見た目は綺麗な食器でも多分お店の衛生管理を
信用していないのでしょう。
その地方の県知事さんに招待されたときは、さすが料理の質もよく概して
美味しい物が多かったです。
ただ「さそり」みたいな空揚げを出されたときは一瞬引きました。
体に良いからとさかんに進めるので社交辞令上、やむを得ず平気顔で2匹程食べました。
でもこういう得体の知れない物は2度と食べたくないですね。
その席で高級料理の代表である北京ダックも食べましたが、
まあまあの味でした。
日本に帰っていち早く食べに行ったのがさっぱり味の栃木・佐野ラーメンでした。
平成12年 8月27日 記
【Part5】(北京)
「天安門広場」
行程の最後の方に北京に1泊しました。次の日の夕方には上海に戻らなければ
ならないので仕事の合間を利用して半日ほど、北京市内を見学することができました。
通常の観光ツアー参加は時間的に余裕がないのでホテルの朝食を食べずに天安門
広場に行きました。
天安門広場は、地方から出てくる人(お上りさん)が行く場所で通常、北京の人
はあまり行かないそうです。タクシーで天安門広場に行くと大勢の中国人観光客がおり、
又、新婚さんらしきペアがあちら此方で写真を撮ってる微笑ましい情景が見られました。
広場には人民大会堂、人民英雄記念碑、毛主席記念堂、中国革命歴史博物館があ
ります。人民英雄記念碑の前では小学生位の制服をきた男女が左右に3名ずつ五
星紅旗を持って直立不動で整列し、ある時間が経つと別のグループと衛兵の交代式
のように行っていました。
「罰金]
天安門そばの中山公園(有料)で綺麗な花や緑を鑑賞して、故宮博物館の前に来ま
した。朝食代わりに、売店で缶ビールと堅い揚げパンを買ってそのお店の前で立ち食いして
いたら、公安服を着た中年のおばさんが何やら私の前に来て中国語で怒鳴り立てま
す。そして何やら切符を取り出して罰金5元(65円)を支払えとものすごい剣
幕で話します。よく見るとビールのプルタブをうっかりして下に落としてしまったことに
対しての罰金です。
私が側にある看板の注意書きなど読めない外国人であることすら分からないようで、
がなり立てます。普通、小さな売店には外国人が買い食いをしないのが一般的であり、又、
私自身も比較的現地の人と同じようなラフな服装でしたので外国人とは思えなかったようです。
最後まで中国人の振りして罰金を支払いました。公安員の人が去った後、売店の
おばさんと顔を見合わせて、お互いににが笑いしながら飲み終わった空き缶を手渡しました。
罰金の切符
「故宮博物館」
故宮博物館前の売店で5元の罰金を取られた後、入館切符を買おうとしたら、
売ってくれず、あっちへ行けっていうような感じでした。こんどは、すぐに外国人
であると見破ったようです。
どうも外国人の切符売り場は違うようで入館料もかなり差があります。
ようやく外国人用の入館切符を買って入場しようと歩いていると、日本語で
親しげに話しかけてくる人がいます。観光地で日本語で話しかけて来る人には
注意をしなさいと聞いていたのでそれを無視して故宮博物館に入りました。
この博物館は映画「ラストエンペラ」で有名なあの清朝皇帝の宮殿で規模の
壮大さに圧倒されました。行けども行けども建物が続いていて短い時間での
観光では物足りません。それでも約2時間位かけて観てホテルに戻ってきました。
「北京動物園」
ホテルで地図を見ていたら、近くに北京動物園が有ることが分かりました。
北京動物園といえばあのパンダがいるので有名です。
小休憩した後、道すがら警察官らしき人に地図を示して聞きながら何とか動物園
の入り口まで辿り着きました。切符売り場と思って1枚買おうとしたら、売店の
おばさんがケース内のフィルムを指さします。どうも此処は売店で切符売り場で
はなかったのです。照れ隠しにそのフィルムを買って切符売り場で3元(40円)
を支払って入園しました。
日曜だったので園内は日本と同じように家族連れが多く大変混雑していました。
園内を歩いていると何処からともなく、いい匂いがします。それはステンレス串に
差した羊肉(シシカバブー?)を焼いたのが売っていました。2本で5元だったの
でそれを買って食べましたが、素朴な味でかなり美味しかったです。
尚、ステンレス串を売店に戻すと1本当たり0.5元のお金が戻ってきます。
園内は、かなり広いのでなかなかパンダの場所が見つかりません。
歩き疲れて元の場所の出入口近くに戻ってくるとなんとその側にパンダの厩舎が
あるではないですか。パンダ厩舎に入るにはまた別に切符を買わなければならな
いようです。しかし、厩舎入口には鎖が張って有り、どうも今の時期は公開して
いないみたいです。
残念ながらパンダとご対面できずに、その日の午後に再び上海に戻りました。
平成12年 9月2日 記
【Part6】(最終版)
「上海のホテル」
上海に戻ってきて、さすが日本人の訪問客は多いのかホテルでは日本語の
案内があり、日本のホテル並に寝間着もあるし、スリッパも立派でした。
又、日本の衛星放送が入りますので日本のホテルに泊まったような雰囲気にな
りました。
只、WOWOWの日本語吹き替え映画に中国語の字幕が出ます。
これって日本と同時放送でなくWOWOWの中国バージョンなのかなと思い、
不思議な感じがしました。
中国のホテルは、普通はチップは入らないのですが、北京の場合の一流ホテルは
チップが必要でした。
上海はのホテルは一応、一流に近いのですがチップは不要でした。
日本人にとってホテルのチップって、あまり慣れていないのでちょっと気を使います。
その点、日本のホテルは気楽で良いと思います。
次の日、予定より1日遅れて上海より帰国しました。
「美人中国人通訳」
実は、今までの訪問記にはあえて書かなかったんですが、日本に6年在住の中国
某科学技術大学出身の美人中国人通訳(26歳位?)が同行しておりました。
ホテルも隣の部屋で若い人ならば、ムラムラと来るほどの美形です。
年輩の私と歩いていると現地の方が何かじろっと見たり、時たまその女性に胡散
臭い言葉?をかけてきます。
でもその女性は気丈な方で激しく中国語でやり返していました。
私にとっては仕事上、大事な通訳です。
中国の会社は、よく理解せずに技術仕様書に書いていないことの性能を要求してき
ます。それをはねつけるのにこの通訳の方が唯一の頼りなのですが、技術知識が乏
しいのです。こちらの真意が伝わらない場合がありましたので、この美人通訳
とよく口論をしました。観光旅行の通訳ならばいざしらず、仕事上の通訳は女性でも
その分野に詳しくないとちょと辛いです。次回に中国を訪問の時は、同じく美人通訳でした。
しかし、今度は比較にならない程、技術知識が豊富で仕事もスムーズでした。
「あとがき」
何だか取り留めのない文でしたが、今回で今度の中国訪問記を締めくらせて戴き
ます。もし、中国に訪問される時に少しでも参考になれば幸いかと思います。
長い間、ご精読有り難うございます。(完)