今治三原国道フェリーとは強力なライバル関係だった中四国フェリー。そのライバルの国道フェリーが1999年のしまなみ海道全通と共に廃止されたのに対し現在もなお運航を続けている。
 今治と三原を結んでいた国道フェリーより西の広島県竹原市と現在は合併で今治市となったが、旧越智郡波方を結ぶ航路が中四国フェリーなのだが、そのしまなみ海道から少し西の航路である利点を活かし、橋と戦う決意をしたフェリーたちは今日もその航路の灯を絶やすことなく走り続けているんだ。
 ちなみに正直に言うと、中四国フェリーは今治に出入りしていた国道フェリーと違ってイマイチ馴染みが薄い。でも、今となっては数少ない純正芸予航路。強く応援しているんだぜ!
 しかし、頑張ってきたここもついに減船、減便が始まる。何とか生き延びてくれ!

「三島」
その名は言うまでもなく竹原から波方に向かう途中に浮かぶ芸予諸島最大の島、大三島から由来している。以前は何便かはその大三島の宮浦港に寄港する便が存在したが現在は廃止されている。この写真を撮影した頃はまだ寄港してた頃なので船側に竹原-大三島-波方という文字が書かれている。

「安芸」
現在では後継の新しい安芸にその名を譲り引退している。この写真では上の三島では大三島の文字が入っていた船側の同じ部分に60分という所要時間を表記している。

「伊予」
本船も現在は後継の新しい「伊予」に名前を譲り引退している。何かここにきてあからさまに写真が悪いが、一応これは今は出入りしていない大三島宮浦港で撮影されたものである。時期は1979年だ。

「芸予」
これもまた写真が悪いが撮影は上の「伊予」と同じ日である。たしか1979年の4月2日だったと思うのだが。本船も後継船にその名を譲り引退している。

「安芸(新)」
そしてここでまたぐっと写真がキレイになるのは御愛嬌と言ったところ。現在就航しているリプレースされた安芸である。撮影は波方港、1999年5月5日で、まさにしまなみ海道全通開業の三日後である。

「伊予(新)」
世代交代した新しい伊予で、現就航船の一つである。写真は竹原港で撮影されたもの。

「芸予(新)」
本船も先代から名前を引き継いだリプレース船。写真は1991年竹原において撮影されたものだ。ご覧の通り、本船も含め一連のリプレース船は船体の開口部を旧船よりも格段に多くしてトン数を下げ維持費の軽減を図っているのがよくわかる。「芸予」はどうやら本船で三代目みたいだ。

中四国フェリー