例 1 ツモ
どう考えても、どーでもいい手。それじゃあつまらんので、ドラは、カンドラがということにしておく。(笑)
そいでいま、カンドラのを引いたところ。なにかを切らなければいけないが、まぁ、の順塔落としはないだろう。となれば、あるいはのどちらかと云うことになる。
これが下のような形であったなら
例2 ツモ
「古いメンツを切る(落とし)」とか、「手に持っている牌を切る(切り)」など、それなりの選択肢がある。しかし例1の は、どちらも配牌からあった。おまけにツモったのはドラだから、手に持っている牌を切るわけにはゆかない。(笑)
いずれにしてもどっちを切っても同じようなもんだから、選択に迷う。こんなときσ(-_-)は迷わずを切ることにしている。どうしてかと云うと、を切ると残りは万子と筒子のメンツばかりとなる。
例3
このような手牌の状態を、麻雀用語では絶一門(チェイーメン)という。この絶一門、中国麻将ではアガリ役ともなっている。現在の中国公式ルールでも、欠一門(チェイーメン)という表記で1ポイント役として採用されている。
※「絶」は絶える=無い、「欠」は欠ける=無い、で意味も発音も同じ。
中国公式ルール
8:欠一門(チェイーメン)万子、索子、筒子のうち一色がないもの。
※字牌が無ければ無字(ウツー=1p)も加算。
もちろん日本麻雀では、絶一門状態にしたからといって何も見返りもない。その代わり罰則もない。(笑)
ただ手牌がそういう状態であることを意味するだけ。しかし例1のように索子・筒子、どっちを切るか迷いが生じるようなとき、手牌を絶一門状態にすることをフォームとしておけば、打牌選択に迷わない。
麻雀プロaともなれば、ツモの流れを予測できたりするらしい。ツモの流れが予測できれば、とうぜん選択も変わってくる。ひょっとしたら落としなんて選択もあるかも知れない。しかしσ(-_-)クラスの凡人には、そんなことは到底不可能。そこで何か選択の基準があると重宝するわけである。
実はこれ、20年くらい前に、青野滋(あおのしげる)という人が「絶一門打法」という名称で提唱した選択のフォーム。読んで「ふんふん、なるほろ」と思い、以来、愛用させて貰っている。ただ「絶一門打法」という名称ではどうも分かりにくい。そこでσ(-_-)は勝手に二色打法と呼んでいる。
といってもこれは打牌選択の迷いをなくそうという、単なる選択の基準。迷いがなくなる基準であればなんでもいい。そこで手牌を三色状態に残すことをフォームとするのもOKだ。そういうフォームであれば、例1のような手のときは無条件で切りを選択することになる。
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