囲碁の世界に「渡る」という打ち筋がある。くわしいことは知らないが、どうやらA地点とB地点をつなぐような石を打つことらしい。で、麻雀にも「渡りを打つ」とか「渡し込む」などと表現される打ち筋がある。これもA役からB役への振り変わりを策す打ち筋。これはひょっとして囲碁から借用した表現かいな。
「渡りを打つ」といっても、別に高等テクニックではない。というよりスポーツではないのだから、後ろ回し蹴りとか、回転レシーブなんていうクニックの話でもない。テーブルゲームの世界にあるのは、「どのような構想/ヴィジョンを持って打ち進めるか」ということだけである。「渡りを打つ」というのは、その構想の中でも基本的な打ち筋/ヴィジョンに属する。
待ちの一上聴。ここへを引く。もちろんを切って 待ちのテンパイ。しかし平和(ピンフ)のみの安い手。もちろん状況によってリーチしてもいいし、黙テンにしてもいい。
しかしある程度大きな手を望むのであれば、黙テンとする。そのあとでも引いたら、を切ってシャンポンに受ける。
このあと期待するのは もちろん引きによる平和三色のテンパイである。
もちろん渡りを打つのは一上聴段階でもいい。
ここへをツモったら、この時点でかを打つ。
打ち筋としてはこんなところで、別に難しいヴィジョンでもなんでもない。じっさい改めて「渡りを...」なんて言葉は使っていなくても、多くの人がこのような打ち筋をこなしていると思われる。
とまぁ、このコラムのタイトル的打法としてはこんなとこ。で、これからが本題。(笑)
下記の手でテンパイした。 待ちの平和(ピンフ)のみ。
ドラ
(リーピンのみではしょうがない。出たらアガればいいし、ドラ()でも引いたら立直しよう)とヤミテンにしていた。そこへを引く。(ふみゅ?)と思って手牌を見なおす。(ふん、を頭にしてかを引けば一通じゃないか)
そこでを打つ。あるいは(いや、を引く保証はない。第一、手が遅くなる)と考え直してをツモ切る。ま、どちらかの選択しかないが、思考の流れとしてはこんなところ。
しかしこの程度の打ち回し、そのつどツモ牌と手牌を見比べて、考え考え打つなら誰でもできる。問題はこの手でを引いてを打つにしても、手牌の見直しや場の再確認をしないでノータイムでを打てるかどうかである。
実はをノータイムで打ち出すには、 テンパイ時点、あるいは一上聴時点で一通や三色への振り変わりを構想していないとできない。たとえノータイムでをツモ切るとしても、事前に(このまま 待ちで押す)と納得していなければ、それは単なる手拍子。
すなわちノータイムで打つということは、単なる早打ち・ツモ切り麻雀ではない。“事前に”というか、常に頭をフル回転させていないとできない。これはとっても頭が疲れる。(-_-)
数年前、東京である人と雑談したとき、「ノータイム」の話が出た。そのとき彼は「ノータイムで打つだけなら誰でもできる。でも考え無しで打ったって仕方がないのでは」と云った。
そんなんに説明しても仕方ないから、「う〜ん....」と生返事をするしかなかった。
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