19世紀中葉、馬弔に代表される中国カードと、天九牌系の骨牌ゲームが融合して、今日の麻雀が成立した。成立の過程は明らかではないが、当時はまだ字牌・花牌の類は数えるほどで、数牌中心のゲームであった。それを裏付けるものとして、「郭雲亭に会ふの記」(原正風・著:林茂光麻雀研究所「麻雀」S6/4月号所収)という貴重な資料が存在する。そこには、郭雲亭(かくうんてい)という中国老人との次のようなやりとりが記されている。
「ソコでやっているやうな方法は最近の仕方であって、昔の方法とは違って居る。今から四十年ほど前(1880年頃)には、索子・筒子・萬子だけでやって居ったものだ」
「風牌や三元牌は使用しなかったのか」
「今ソコでやっているのも花牌を抜いて居るではないか。風牌、三元牌、花牌は使っても使わぬでもよい。元来、そんな牌は後から加へたものだからどうでもよい」
当時の技法は詳らかでないが、初期にはアガリに際して雀頭も不要であり、のように異なったスート同士の連子(レンツ)という組み合わせが認められていた。すなわちの3個の一連で一萬貫を意味し、の一連は五萬貫を意味する(この同数牌對々和の形は雀頭を入れずに和了した時代の配列)。
この連子は、現在の同スートの刻子より正統な組み合わせであった。しかし19世紀後半、太平天国の乱を経たのち、数牌中心であった組み合わせに字牌や花牌が加わり、今日の数牌108枚、字牌28枚、花牌8枚の計144枚というセットが成立してきた。それとともに連子は脇役的な存在となり、今日では東北地方などにローカルルールとして残存するだけとなるに至っている。
この時代、数牌に字牌や花牌が加わったといっても、最初から144枚という形で成立したわけではない。万子・筒子・索子の3スート(3種類)は9連数に4デュプリケーション(同一牌4枚)の計108枚で安定していたが、字牌と花牌は牌種、枚数とも流動的であった。その過渡期を示す貴重な資料牌として昇官牌(しょうかんパイ)、龍鳳牌(りゅうほうハイ)が存在する。
昇官牌は官位の昇級をモチーフにしたゲームで、今日の麻雀と同時期に昇官双六が骨牌ゲームと融合し、麻雀と枝分かれ的に誕生したゲームと推測される。数牌の枚数、またそれが3スートであることは麻雀と同じであるが、牌種は功・品・級の3種類からなる。このうち“品”のスートは、のちの福健牌の“品”スートを連想させて興味深い。
昇官牌の字牌には風牌・三元牌が存在しない。その代わり春宮・夏宮・秋宮・冬宮、太師(皇太子の師の意)・太傳(現皇帝の師の意)・太保(前皇帝の師の意)の各4枚で計28枚。その他に仁義礼智信、公侯伯子男、福禄喜寿、元享利貞の各1枚、白板が12枚で合計60枚、花牌は4聯8座(32枚)で総枚数は200枚に達する。
龍鳳牌は三元牌が龍鳳白(龍は皇帝、鳳は皇后、白は配(配偶)を表すという)となっているものの、数牌は万・筒・索であり、麻雀牌の原型といえる牌である。この龍鳳白という三元牌は紅中・緑發・白板という牌種が成立したのちも平行して用いられており、三元牌のもっとも古いパターンではないかと推測される。そして花牌が漁樵耕読・梅蘭竹菊、連中三元・指月高升の2聯16枚であり、総数は152枚となっている。
この龍鳳牌にも風牌は存在しないが、公侯相将という字牌が存在する。昇官牌と龍鳳牌の関連は判然としないが、両者に公侯伯子男/公侯相将、また漁樵耕読という花牌が存在することは、両者の関連を強く示唆している。さらに日本麻雀草創期の重鎮、中村徳三郎の表した「麻雀競技法(大正13年10月20日、千山閣書房)」には、花牌32種を擁するセットが掲載されており、このセットにも公侯相将という花牌が存在する。
このような諸資料、諸文献から、麻雀成立当初は花牌が多く用いられ、総数が150枚以上に達するものが多々存在したことが類推される。このような牌、あるいは技法は今日、花牌麻雀=花麻雀と通称されている。
しかし麻雀に彩りを加えたこの花牌も、あまりの大量さの故か、早くも19世紀末期には一種の廓清化が現在の浙江省寧波近辺を中心に生じた。この廓清化は、基本的には花牌の使用を規制するものであったが、同時に字牌の淘汰・整理を促した。
1910年頃(明治43年頃)、清朝末期に政商として有名であった盛宣懐一家をモデルに、中国の富裕階級の内幕を描いた社会小説、「九尾亀」が上海で刊行されている。この書に出てくる麻雀シーンには、すでに風牌・三元牌(白發中)が登場している。このことからも、20世紀に入る頃には数牌3スートに風牌4種を加えた字牌7種、花牌1聯(8枚)の現行144枚セットが完成していたと推測される。
この花牌を淘汰した麻雀は清麻雀(チンマージャン)と呼称されるが、これが「花牌を使用しない=清々しい」という意味なのか、あるいは「老章(旧ルール)に対する清章(新ルール)」、はたまた別の意味なのかは判然としない。また現在の中国(中共)では、花牌を使用しない麻雀は「素麻将(すマージャン)」と呼称される。
この廓清化が完了した当時のルールを今日、麻雀学の祖と称される榛原茂樹(はいばらしげき)が想定寧波ルールとして考証している(日雀連機関紙「麻雀春秋(S27年1/1号)」)。今日から見れば極めてシンプルなルールであるが、この初源的ルールが壁牌の2段積み、副底の増加、役の変遷などを経ながら中国国内はもとより世界各地に伝播し、それぞれの地で独自に成長し今日に至っている。
想定寧波ルール概要
(1)サイコロ、一度振り。
(2)壁牌は平積み(各自が手元に13枚並べ、向う側に21枚づつ並べる。手元の13枚が配牌となり、21枚が壁牌となる)。
(3)配牌=サイコロの目が2・5・6・9・10なら自分の前の十三枚を下家へ、3・7・11なら対門同士、4・8・12なら上家へ送る。こうして自分のセットした13枚が自分のところへ来ないようにする。
(4)符底=10符。
(5)得点計算=幺二式、細算法。
(6)流れ=九種九牌(対子があってはならず、連荘扱い)、荒牌の2種。
(7)場風なし。
(8)加符役
加0符=平和(延べ単も可)、
加2符=搶槓・単張胡(純粋単騎和のみ)・嵌張胡(純粋嵌張和のみ)・辺張胡(純粋辺張のみ)・双ポン胡(純粋双ポン和のみ)。
加4符=対々胡・嶺上開花・海底撈月・金鶏奪食。
一翻=混一色。
三翻=清一色。
半満貫=地和(親ノ第1打牌で栄和)。
満貫=三元和・四喜和(自風の刻子があれば小四喜でも可)・九連灯・十三幺九(配牌で13種が1枚づつあるもの。雀頭不要)・十三不搭(配牌で13種がバラバラなのもの。雀頭不要)。
(9)包=大三元・大四喜・清一色(四副露目が包)。
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