Treatis 論考 

    (37)麻雀勝敗論(後編)


(3)連勝式
 これはプラスマイナスの大小に関係なく、とにかく1ゲームごとにプラス者は1勝、マイナス者は1敗と評価する方式。したがって順位に関係なく、プラスなら勝ち、マイナスなら負けと評価される。

 通算成績は 勝ち数/全ゲーム数=勝率(プラス率) で評価される。得点が異なるにもかかわらず1ゲームで複数の勝者が生じ、それぞれ同レベルの勝者とみなされるので連勝式と呼ぶ。これは日本でもっとも古く結成された麻雀団体、日本麻雀連盟で初めて採用され、以後、各麻雀団体でも日常のゲームの評価法として採用されている方式である。

 ゲームの論理では、勝敗は1ゲームごとに評価されるのが当然である。その点で連勝式は、通算のプラマイの合計を成績の基準とするプラマイ式に勝っている。しかしたとえ1ゲーム単位であろうと、プラスマイナスの大小に関係なく、プラス者は1勝、マイナス者は1敗という評価法には疑問がある。

 世の中には2人 または3人プレーヤーという変則麻雀もあるが、基本的に4人のプレーヤーが対等の立場から勝敗を競う。しかしとにかくプラスであれば1勝、マイナスは1敗となれば、自分のプラマイだけが問題であって相手の成績=プラスマイナスは自分に関係ない事になる。

 麻雀とよく比較対象される碁、将棋は、2人対戦ゲームである。とうぜん勝敗は非常にわかりやすい。相手が勝てば、自動的に自分は負けである。それにくらべ麻雀は、4人のプレーヤーが対戦するという点が異なる。しかしどのようなゲームであろうと、対戦相手の成績が自分に関係ないなどという事があるだろうか。

 2位であろうと3位であろうと自分がプラスさえしていれば良いというのであれば、対戦相手ではなく自分の点棒と格闘している事になる。これはパチンコで、“持ち玉が増えていれば勝ち、減っていれば負け”という感覚に等しい。

 さらに連勝式と名付けた通り、この方式ではプラス者はすべて勝者であるが、勝者同士に得点差があっても同評価の勝者となる。これもパチンコで、「オレも勝ったが、隣の台の奴も勝った」と云うに等しい。そこに個々のプレーヤーの持ち玉を増減させるシステム、点棒を増減させるシステムは存在しても、勝敗を競う相手としての人間は存在しない。

 すなわち連勝式は、せっかくの1ゲーム単位の評価ではあっても、「プラスなら勝ち」と評価する点で、プラマイ式と同工異曲の評価法と言える。

(4)複勝式

 1位は、他の3人に勝っているので3勝。2位は二人に勝ち、一人に負けているので2勝1敗。3位は1勝2敗、4位は3敗とする評価法。通算成績は、
勝ち数/(ゲーム数の和×3)=勝率 という計算で評価する。

 この複勝式も、1ゲーム単位で勝敗を評価するという点で、プラマイ式や順位点式に勝っている。この複勝式という勝敗評価の発想は、日本麻雀連盟、故・手塚晴夫理事長の「新順位論(昭29年7月、日雀連機関紙「麻雀タイムス」)、あるいは作家、五味康祐氏の「五味麻雀教室(昭41年、光文社刊)にその萌芽が示されている。

 この方式でも、勝敗を1ゲームで評価するという点については問題はない。また確かに1位は他の3人に勝ったとことは間違いないし、2位は1位には負けたが、他の二人に勝ったと云えないことはない。

 しかし1回のゲームで1人のプレーヤーが3勝したり2勝したりすると云うのは、論理的に無理がある。勝つにしても負けるにしても、1回のゲームでは1勝、または1敗というのが常識である。複勝式の論法でいけば、10人で徒競走すれば、優勝者は9人に勝ったのだから9勝ということになる。

 前出の古川凱章氏も、「同時に対戦した相手が5人おり、その5人に勝ったから5勝というのであれば、その1勝、1勝は1ゲームの中で部分的に彼我の差を見た『俺はお前に勝った』であって、全体としてのゲーム(の勝敗)はどこかにいってしまっている(「月刊近代麻雀」昭60年9月号)」と述べているが、まさにその通りである。

 現在、一部でスリーポイントシステム(3Pシステム)と称してこの変形が採用されている。3Pシステムは、1ゲームで3勝、あるいは2勝という紛らわしさ避けるため、勝ち負けをポイントで表している(当然、1位は3ポイント)。1ゲームで3ポイントという表現は、1ゲームで3勝という表現より違和感はない。しかし問題は違和感の払拭ではなく、勝敗評価の絶対性にある。

 また3Pシステムでは、たとえば2位は+2P and -1Pではなく、最初から差引計算を行って、1位+3P 2位(2p-1p)=+1P 3位(1p-2p)=-1P 4位-3Pと評価する。そのため複勝式とは勝率の算出結果が異なってくる。

10 回のゲームで1位4回・2位3回・3位2回であった場合
複勝式 20/30=66.66%
3P式  18/30=54.00%

 すなわち複勝式と3P式は似て非なるというか、まったく異なる評価法である。いわば3P式は、単なる固定順位点の1方式に過ぎない。

(5)101式
 1ゲームごとに、1位1勝、2位・3位無勝負(無勝負)、4位は1敗とする評価法。通算成績は、勝ち数−敗数=昇数 で評価する。
*1位=1勝、2位=0、3位=0、4位=1敗で1001。真ん中の0を一つ省略して101。

 これは古川凱章氏によって提唱され、また101順位戦という競技会で採用されている。これも勝敗を1ゲームで評価するという点、さらに「1位者は他の競技者すべてに勝った=勝ち」という評価も論理的である。

 氏の述べる通り、「勝つとは1位になる事である。1位になればその証明として『1勝』が与えられ、2位以下にそのおこぼれが行くことはない」、「1勝とは相手3人に勝ち、そのゲームの勝者(1位)となる事である(「月刊近代麻雀」昭60年9月号)」ということに尽きる。

 では1ゲームの1位者が1勝という101の考え方に問題がないとして、2位、3位、4位に対する評価はどうであろうか。

 まず4位については「1位(首位)の対称的な結果(存在)は4位(最下位)である。1位が勝者である以上、対称的な存在である4位が敗者である」と述べている。たしかに「1位の対称的な存在は最下位(4位)」であることは間違いはない。また「勝者の対称的な存在は敗者」である事も間違いない。

 しかし「首位(1位)の対称的な存在は最下位(4位)」であっても、4位=敗者と云うのでは、1ゲームの中で部分的に彼我の(順位)の差を見た「俺は1位、お前は最下位』であって、ゲーム全体における勝敗の話ではない。これでは氏が複勝式の批判で述べた論旨と自家撞着している。

 プロ野球のペナントレース。優勝したチームはもちろん勝者。そのとき便宜上、2位3位のチームをAクラス、4位5位6位チームをBクラスと呼ぶことはあっても、6位のチームだけを敗者と呼ぶことはない。優勝したチームからみれば、残りチームはみんな敗者である。

 もし勝敗に基準を置くのであれば、「勝ちの対称的な存在は負け」となるのであって、「勝ちの対称的な存在は最下位」とはならない。すなわち「1位が勝者である以上、対称的な存在である最下位が敗者となる」という論旨は、順位の論理と勝敗の論理が混同している。

 以上で明きらかなように、1位が勝ち、最下位(4位)が負け、という101式勝敗評価は、古川氏自身が否定した1ゲームの中で部分的に彼我の差を見た『俺はお前に勝った』であって、論理的に矛盾している。古川氏もその点に気付かれ、後日 101という評価法の理由は次のように改められた。

 「競技とは技を競いあい、勝者を生み出す事を目的として行われる。敗者はその対象的な結果として見做なされるわけで、競技そのものは敗者を生み出すことを目的としていない。従って勝者は存在しても敗者は必ずしも存在するとは限らない。そこで2・3・4位は単に2・3・4位としておいてもいいが、それではゲームが単調になりすぎる。そこでペナルティ(罰)として『敗』を設け、4位をそれに当てる」(同「近代麻雀」)

 すなわちこれまで無条件に「敗者は最下位」としていたものを、「勝者さえ決めればよく、敗者は決めなくてもよい。ただゲームの単調さを避けるために、4位だけをペナルティ(罰)として『敗』とする」としたわけである。たしかに「競技は勝者を生み出す事を目的としており、敗者を生み出すことを目的としていない」という論旨は正しい。しかし後半の論旨には疑問を呈せざるを得ない。

 ゲームにおける「敗=負け」というものは、敗者ではないがペナルティ(罰)として敗者とするようなものではなく、勝者が生じた結果、必然的に生じるものである。敗者が勝者の対象的な存在として必然的に生じる以上、勝者は存在しても、敗者は必ずしも存在するとは限らないなどという事はありえない。

 もちろんゲームによっては敗者のうちでもそれなりの成績の者を「準優勝者」とか「入賞者」とか他の名称で呼ぶ事はある。しかしそれは呼称の問題であって、勝者以外の存在が敗者である事に変わりはない。

 第一、ペナルティとはルール違反などに対して加えられるものであって、ゲームの結果、必然的に生じる状況に対して加えられるものではない。勝ちがあるから負けがあるというのがゲームの論理である以上、敗者は勝者以外のプレーヤーである。したがって1位者が勝者であれば、それ以外の者、すなわち2・3・4位者は必然的に敗者となる。

 しかし101では2・3位者を敗者とは評価しない。古川氏は「1位が勝ちで4位が負けである以上、2・3位は勝ちでもなければ負けでもない。従って引き分け(ゼロ評価)」と云う。

 ゼロ評価とは、勝敗の対象から除外するという意味である。すなわち仮に101式で10ゲーム行い、1位3回、2・3位が6回、4位が1回あれば、2・3位であった7ゲームは勝敗の計算から除外される。したがって評価は3勝1敗で2つ勝ち越し(これを2昇と呼ぶ)という事になる。すなわち101の勝≒昇とは、1位回数−4位回数 という勝ち越し数である。

 しかしABとも5昇であれば、互いに勝ち越し数は同じと言うことになるが、Aのゲーム数は10回、Bのゲーム数は100回かも知れない。同じ5昇であっても、100戦5昇より、50戦5昇 のほうがどう考えても好成績である。

 また単に「5昇」といっただけでは、通算成績が全く不明である。逆に言えば、何戦して何昇であるか不明であれば、「昇」には何の意味もない(この点をカバーした昇率というものが存在している)

 また2・3位を無勝負ではなく「引き分け」と言い換えても、論理の矛盾性が解消する事はない。本来、引き分けとは「ゲーム終了時、成績が同じ」である事を意味する。つまり麻雀で引き分けというなら、ゲーム終了時、4人の成績(持ち点)が同じという状況以外にない。

 すべてのゲームにおいて引き分けという結果が生じた時、同時に勝ち負けが生じることはなく、逆に勝ち負けが生じたとき 同時に引き分けが生じることもない。それが勝敗も生じ、同時に引き分けも生じると云うのでは論理に無理がある。

この1位が勝ち、4位が負け、2,3位は評価無しという101式評価は、むかし古川氏が所属していた日本麻雀連盟の順位戦にそのルーツがあると思われる。順位戦とは、仮に参加者が20人であった場合、プレーヤーはそれ以前の成績によって1番卓から5番卓に座する。
 1ゲーム目の結果、1番卓のラスは2番卓へ、2番卓のトップは1番卓へ移動する。各卓の2,3位はそのまま居座る(以下、各卓同様。ただし1番卓のトップ、5番卓のラスは行き先が無いので居座り)。最終ゲームのとき、1番卓でトップとなったプレーヤーが優勝者というシステム。
これはスリリングで大変面白いゲーム方式である。しかし問題点もある。たとえばプレーヤー20人でゲーム数が5ゲームであれば全員に優勝のチャンスがある。しかしゲーム数が4ゲームであると、スタート5番卓のプレーヤーは最初から優勝のチャンスが無い。また1番卓のプレーヤーは3連続で3位であっても、4ゲームめでトップをとれば優勝となる。

(6)単勝式
 1ゲームごとに、1位1勝、その他のプレーヤーは1敗として評価する。
 通算成績は、勝ち数/全ゲーム=勝率 で評価する。

 前項までの論述で明らかになったように、麻雀に限らず、すべてのゲームにおいて、ゲームの論理による敗者は勝者以外のプレーヤー(チーム)である。したがって勝者が決定すれば、それ以外のプレーヤー(麻雀においてはトップ者が1人であれば234位者)はすべて敗者となる。もちろん純麻雀の成績は、この思想に基づいて評価されている。

1.勝者はそのゲームでの最高位者。
2.勝者以外は敗者


 麻雀がいかに人気のあるゲームとしてもてはやされようと、その勝敗がこの明白なゲームの論理によって評価されないうちは、その競技性はもとより、社会的評価も碁・将棋と比肩されるようなゲームになりえない事も明白である。

※純麻雀では勝ち負けが成績の基準であるが、実力のバロメータとして順位率(平均順位)、プラス率(平均プラス)も評価している。

  −完−

 

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