Treatis 論考

    (27)麻雀点数論 18
(平和2)


第 2 章 20世紀


 20世紀に入ると全体的にアガリ役の昇格機運が生じ、単なる名称に過ぎなかったピンフが一翻に昇格した。それとともに今まで無点であった聴牌(テンパイ)によるアガリが普通の嵌張や単騎マチと同様、加2符となった。

 加2符であるから、におけるのアガリは自動的にピンフではなくなった。また単に自摸符が取得できただけの摸和(モホー)は、「門前・副露に関係なく一翻」ということになった(ツモの2符も取得できた)。そこでにおけるのアガリは下記の様な計算になった。

表24 20世紀初頭(幺二式による散家(子)、のアガリ)
摸和 (10+2+2 )2×4=112
栄和 (10+2)     4 = 48

 そして今まで例1と同得点であった純然たるピンフのアガリ(両門マチ)は、下記のようになった。

表25  20世紀初頭(ピンフのアガリ)
摸和 (10+2)2×4=96
栄和 (10)   2×4=80

 1910年頃(明治末期)になると、符底は20符で行われる事が多くなった。さらに華北(北京地方)の特別加符役であった門前清(摸和は加100符、栄和は加50符)が、中支方面(上海地方)まで普及してきた。そこでピンフのアガリは下表のようになった。

表26  1910年頃
門摸和 <(20+2 )2+100>4=576
門栄和 <(20)   2+50> 4 =360
副摸和 (20+2 )2 ×4    =132
副栄和 (20) 2 ×4      =120

 ピンフ摸和が一翻に昇格したり、門前清という役が登場したりと大変動はあったが、まだ摸高栄低(摸和点>栄和点)の基本形は崩れていない。

 しかし上海租界を通じて英米人に麻雀が普及し始め、アメリカで大ブームを引き起こした1920年頃(大正10年代)になると、摸和門前清が取捨融合し、門前清は「摸和・栄和に関係なく一翻(加符は消滅)」という形となった。その結果、下表のごとく、摸和(ツモアガリ)栄和(ロンアガリ)の得点が逆転してしまった。
表27 1920年頃(大正10年代)
門摸和 (20+2 )  2×4=176
門栄和 (20)   2×2×4=320
副摸和 (20+2 )    ×4= 88
副栄和 (20) 2    ×4=160
 この頃、すでに中国で麻雀にかなり親しんでいた先人の中には、「これはおかしい」というので、「門栄和は一翻、門摸和は両翻」というルールを提唱した人もいた。こうすれば、たしかに門前アガリに限り摸栄逆転は是正される。
表28 1925年頃(大正末期)
門摸和 (20+2 ) 2×2×4=352
門栄和 (20)   2×2×4=320
副摸和 (20+2)    ×4 = 88
副栄和 (20)     2×4 =160
 しかしこのルールも一部で試案的に採用されただけで、多くは表26あるいは表27の方式で行われていたようである。

※表にある「**年頃」とか「**年代」という表記は、あくまで参考程度の非常にアバウトなものである。

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