第 三 編 平和
第 1 章 清麻雀成立期
平和(ピンフ)は点数計算の結果を累乗する対象、すなわちアガリ役であるから、本来は計算式本体とは関係ない。ところがこの役の成り立ちに面子小符の有無が関係するため、点数計算式と深く関わったアガリ役となっている。そこで第3編では、ピンフと点数計算の関わりについて検証する*。
*参考資料「麻雀タイムス第4号(平和質疑応答)」S24年7月1日・榛原茂樹、日雀連刊。「麻雀精通(副底、満貫及び計算法)」S6年3月25日・榛原茂樹、春陽堂刊。
平和(ピンフ)とは「平らな和(あが)り」、単純に言えば「何もない」という意味である。何が無いのかといえば面子小符が無い。そこで英語ではNo points (小符無し)、あるいはNo score other than game(加符点のない手)と称される。
手役構成もサラリとしており、古今を通じて親しまれている。しかしピンフは麻雀ルールが時代と共に変遷するたびに論争の中心となった。特に平和自摸(ピンフツモ)については現在においてもその是非を巡り、関東を中心とした肯定派と、関西を中心にした否定派に分かれ対立している。肯定派は現実的効用を説き、否定派は根源的性格を説く。そして両論とも一理あるため、互いにひたすら自己の主張を繰り返すのみの平行線という状態となっている。
では現在の麻雀型が成立したと云われる19世紀中葉、ピンフはいかなる形であったのであろうか。当時の麻雀と現代麻雀の相違を2、3あげると下記のようであった。
1.点数計算は精算法(端数の切り上げ無し)
2.符底は10符
3.一翻役ではなく、符底のみの和了の名称に過ぎなかった
4.門前清摸和も一翻役ではなかった。
点数計算は精算法であったから、取得した小符はアガリ点に直結していた。したがって2符といえども簡単には取得することは出来なかった。
(例1)
たとえば上図はとの待ちであるから両門待ちとなり、でのロンアガリはピンフとされていた(当然、嵌張の2符は取得できない。またでロンアガリしても単騎の2符も取得できなかった(でアガった場合、単騎の2符は取得できなくても暗刻の4符は取得した)。つまり嵌張・辺張・単騎として2符が与えられたのは、純粋にその待ちしかないというテンパイに限られていたのである。
逆に言えばピンフと称される事は、符底のみの最低のアガリと称されるに等しかったわけである。さら言えばせっかくツモアガリして自摸の2符がついたものを、間違ってもピンフと称することもあり得なかった。現在の自摸平和否定論の根拠はまさにこの1点にある。また肯定派の自摸八計算も、この2符をゼロにする事を最大の眼目としている。
それはさておき、当時まだ門前清(メンゼンチン)も自摸和(ツモホー)という役も存在しなかったため、門前アガリでも副露アガリでも得点は同一であった。したがって例1におけるのロンアガリによるピンフは下表のような得点となった。
表23 幺二式、散家(子)の場合(以下、同様)
摸和 |
(10+2 )4=48 |
栄和
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(10) 4=40 |
*1850年頃(清麻雀成立期)
見ての通り、自摸符があるため摸和(モホー=ツモアガリ)の方が栄和(ロンホー=ロンアガリ)より高得点となっており、摸高栄低(モこうロンてい)の基本パターンに合致している。
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