Treatis 論考

    (17)麻雀点数論 8



第2項 四捨六入法

 麻雀が日本に本格的に伝来したのは大正中期である。中国麻雀も数十年の間に変化していった。また符底は10符から20符が主流となっていた(一部では40符底も採用されていた)。さらに嵌張・辺張・単騎和も純粋型でなくても符取得となっていた。その逆に初期には符取得であった双ポン和は符となっていた。ただし得点の計算は精算法のままであった。

 日本麻雀も伝来当初は中国流そのままで行われていたが、大正末期に徐々に変化を初め、昭和にはいると激変した。昭和初期におけるルールの変化の中で計算に関する部分は、精算法から四捨六入法への変化。また摸和・栄和いずれも3人払いが、摸和3人払い・栄和1人払いとなった事である。

 四捨六入法とは算出された得点の一桁部分が以下であれば切り捨て、以上であれば切り上げるという計算法である。たとえば例1の場合。
例1
一索一索三萬四萬五萬七筒八筒九筒五索七索   中中中 ツモ六索

 連底(小符合計点)は符底20符、中 明刻の符、嵌張符、ツモ符の計32符である。すると得点は32×2=64点となる。そして一桁部分は点なので切り捨てられ、子供1人当たりの支払いは60点となる。そこでこのプレーヤーが子であれば、60×4240点の取得となり、親であれば360点の得点となる。

 昭和4年、東京の各地に乱立していた麻雀団体が団結し、日本麻雀連盟が結成された。そしてルールの統一が協議され、この四捨六入法が正式に採用された(現在でも日雀連はこの四捨六入法を採用している)※近年、シングル切り上げ式に改訂された。

 この時代はサイド四捨六入法で計算されたが、栄和が1人払いになったことによりサイド計算にも変化が生じた。「麻雀の競技法と其秘訣(日本競技倶楽部・昭11年岡村書店刊)によれば、それは次のようであったという。
(1)摸和のときはサイド精算を行わない。
(2)栄和のときでも不聴牌者(ノー聴者)はサイドに関係しない。
(3)放銃者はサイド料取得権なし。支払い義務のみあり(”片サイド”と呼ぶ)。また自分の手牌との差額計算はできない。

 ただし満貫発生のとき、サイド計算はしない。サイドの上限を満貫点とする、などは古式と同じであった。しかしこのサイド、それ自体がかなり面倒な計算法であったため、昭和5、5、6年頃には自然消滅し、現在に至っている。

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