第2項 四捨六入法
麻雀が日本に本格的に伝来したのは大正中期である。中国麻雀も数十年の間に変化していった。また符底は10符から20符が主流となっていた(一部では40符底も採用されていた)。さらに嵌張・辺張・単騎和も純粋型でなくても2符取得となっていた。その逆に初期には2符取得であった双ポン和は0符となっていた。ただし得点の計算は精算法のままであった。
日本麻雀も伝来当初は中国流そのままで行われていたが、大正末期に徐々に変化を初め、昭和にはいると激変した。昭和初期におけるルールの変化の中で計算に関する部分は、精算法から四捨六入法への変化。また摸和・栄和いずれも3人払いが、摸和3人払い・栄和1人払いとなった事である。
四捨六入法とは算出された得点の一桁部分が4以下であれば切り捨て、6以上であれば切り上げるという計算法である。たとえば例1の場合。
例1
ツモ
連底(小符合計点)は符底20符、 明刻の4符、嵌張2符、ツモ2符の計32符である。すると得点は32×2=64点となる。そして一桁部分は4点なので切り捨てられ、子供1人当たりの支払いは60点となる。そこでこのプレーヤーが子であれば、60×4で240点の取得となり、親であれば360点の得点となる。
昭和4年、東京の各地に乱立していた麻雀団体が団結し、日本麻雀連盟が結成された。そしてルールの統一が協議され、この四捨六入法が正式に採用された(現在でも日雀連はこの四捨六入法を採用している)。※近年、シングル切り上げ式に改訂された。
この時代はサイドも四捨六入法で計算されたが、栄和が1人払いになったことによりサイド計算にも変化が生じた。「麻雀の競技法と其秘訣(日本競技倶楽部・昭11年岡村書店刊)によれば、それは次のようであったという。
(1)摸和のときはサイド精算を行わない。
(2)栄和のときでも不聴牌者(ノー聴者)はサイドに関係しない。
(3)放銃者はサイド料取得権なし。支払い義務のみあり(”片サイド”と呼ぶ)。また自分の手牌との差額計算はできない。
ただし満貫発生のとき、サイド計算はしない。サイドの上限を満貫点とする、などは古式と同じであった。しかしこのサイド、それ自体がかなり面倒な計算法であったため、昭和5、5、6年頃には自然消滅し、現在に至っている。
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