Treatis 論考

    (13)麻雀点数論 4


第 5 章 加符

 加符とは、特別な和了のときに取得する符のことで、現在の日本では次の3種が採用されている。

表7 加符表
門前加符 門前清栄和時 10符
清一加符 清一色和了時 10符
平和加符 平和型副栄時 10符

第1項 門前清加符

 現在「門前清」は、単に「手牌を1枚も吃ポンしていない状態」を表すだけの言葉となっている。また門前加符も「その状態で栄和(出アガリ)したとき取得する符」というだけの事になっている門前清。しかし本来、門前清はある意味の和了役であった。

 「門前清」は西暦1900年代初頭(明治30年代前半)、中国の華北地方で誕生した役といわれる。当時は一翻縛りなど無く、吃ポンの巧拙が大きくものを言う麻雀であった。当然、手牌を1枚も吃ポンしないでアガるというのは至難であった。

 そこでそのような状態を「門前が清らか」と称し、その状態で自摸和したものを「大門前清」として加100符、栄和したものを「小門前清」として加50符という扱いになっていた。しかし西暦1920年頃(大正時代中頃)、和了役の昇格機運に伴い、大門前清・小門前清とも一翻役に昇格した*16

16:この昇格機運の主体が北京地方・上海地方いずれにあったのか、あるいは中国人・外国人、いずれが主体であったのか判然としない。しかし全体の流れから推測すると、どうもこの時の変革の元は北京在留の外国人、それも日本人にあったのではないかと推測される。

 得点計算の基本は摸和点>栄和点である17。しかし大門前清・小門前清とも一翻とすると、点数系態に歪みが生じる。それは平和を小門前清(栄和)すると符底20符の両翻で得点は80点となるが、大門前清(自摸和)の場合は自摸符を2符取得する代わりに平和の一翻が消えてしまう為、22符の一翻で得点は44点と、栄和の半分ほどになってしまうのである。

表8
小門前清(栄和) 20×2×2=80
大門前清(摸和) 22×2  =44

 門前清はこのような流動的な状態で日本に伝来した。そして日本ではこの歪みを是正するため、「大門前清は両翻」という提案もなされた。しかしこれでは平和の和了の場合だけには良いのであるが、それ以外の和了の場合、摸和得点が大きくなり過ぎてしまうのである。

 そこで更に「平和と大門前清を両立させたらどうか」という提案もなされた。これは後世の自摸八計算とは違い、自摸の2符も認め、22符の両翻とするものである。これなら「平和・大門前清(摸和)」の得点は88点となり、小門前清(栄和)の80点より大きくなる。しかしこの案も、「平和の原則に反する」として受け入れられなかった。

 1929年4/11、当時の主な麻雀団体の代表が、東京丸の内の大阪ビルにあるグリル「レインボー」に集合し、ルール統一問題が話し合われた。このルール会議で、「大門前清は一翻、小門前清は加10符」と決まった。ここにおいて大門前清は門前清自摸和、小門前清は門前清加符と名称が変わり、今日に至っている。

第2項 清一加符

 清一加符は、清一色を和了したとき加算される10符である。とはいえ一般麻雀ではまったく採用されていない。

 現在、数多くの麻雀団体が活動しているが、その中に「日本麻雀連盟」という団体がある。この団体は昭和4年に結成された日本で一番古い団体であるが、現在も戦前のルールを基本にしたルールを採用している。そしてこの団体のルールだけに清一加符が存在する。

 現在の一般立直麻雀でも四翻で満貫となるが(場ゾロを加算して六翻)、この上に跳ね満、倍満、三倍満、四倍満など幾つか段階が設定されている。しかし中国古典麻雀では四翻満貫で打ち切りであった(もちろん場ゾロは存在しない)。そして大三元でも大四喜でも四翻満貫と同じ得点であった。

 もとより中国古典麻雀にはドラ、立直はもちろん、全帯・三色・一般高も採用されていなかった。ではどのようなものが和了役であったかといえば、搶槓、嶺上開花、海底自摸和などの偶然役が一翻役としてあるだけで、両翻役はゼロであった。そのような中で唯一、清一色だけが三翻であった。

 そこで中国古典麻雀では清一色をアガると「おめでとう」という主旨を込めて得点の他に「賀符(賀たい符の意=ご祝儀のようなもの)」を授受していた。そして大正末期から昭和初期の日本麻雀でも、この清一色の賀符ルールを採用していた。その額は1人100符(現在の一般麻雀の価値に直すと2000点位)、 計300符(計6000点位)であった。しかしこの賀符ルールも、第2次大戦前の主要団体であった日本麻雀連盟のルールでは昭和6年まで採用されていたが、昭和7年に廃止された。

 やがて戦火が激しくなるにしたがい麻雀も下火になったが、昭和23年、日本麻雀連盟が再結成され、同時に昭和23年ルールが発表された。このとき世の中では立直麻雀が盛んになりつつある時代であったが、やはり日本麻雀連盟では戦前の二十二麻雀が基本のルールが採用された。

 そして昭和26年、日本麻雀連盟では「清一色の三翻は、難しさに比べ得点が低過ぎる。かといって賀符の復活は競技的ではない」として、新たに「清一加符」を創出し、その年のルールより採用された。以後、日本麻雀連盟では現在も採用されているが、一般麻雀ではまったく採用されず今日に至っている。

第3項 平和加符

 平和加符は現代の一般立直麻雀固有の加符である。もとより平和という和了役と密接に絡みあっている。従ってこれも第三編 平和論にて詳述する。

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